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 パトリツィオが用意した降霊会用の部屋は、海岸とは反対側の奥まった位置にあった。扉はわざとらしい黒塗りで、銀メッキらしいドアノブが妙に輝いている。そして古めかしい錠前がぶら下がっていて、おどろおどろしく見せている。
「さあ、どうぞ」
 鍵を外し扉を開けて中へ促すパトリツィオ。まずエリックが先に入り、部屋の中をざっと見渡した。ランタンの僅かな灯りで視認出来る限り、部屋はさほど広さはなかった。中央には正方形で黒塗りのテーブル、部屋には窓が無く暗色の布が不自然に掛かっている。骸骨や悪魔の絵画といった物はなかったが、それでも演出の露骨さは否めなかった。
「ね、ねえ。ここ大丈夫なの?」
 不安げなパトリシアが恐る恐る部屋に入って来る。
「大丈夫ですよ。別に何のいわくもありませんから」
 そう軽い口調でパトリツィオはテーブルの上の燭台へ火を移す。薄暗かった部屋に光源が増えて明るくはなったものの、火がゆらめくせいで影が揺れ、一層不気味さを増したように思う。
「そうじゃなくて、火事が起こった時の事よ。窓も無いんじゃ、逃げられないじゃない」
「あ、確かに息苦しいかも知れませんね。でも、扉には鍵はかけませんし、いざとなれば力強くで破れるほど脆いですから。なに、心配しないで。さ、ここに座って下さい」
「大丈夫かしら……」
 半信半疑といった面持ちで着席するパトリシア。エリックもまた、部屋を一通り確認した上で着席した。
 降霊会が真っ当なものだとは微塵も思っていなかったが、やはり自分が護衛で付いてきて良かったとエリックは思った。こんないかがわしい部屋で二人きりにさせるなど、とんでもない話である。
 エリックは、この降霊会云々よりもパトリシアを無事に帰宅させる事について思考を巡らせ始める。物理的な護衛だが、実の所あまり自信はない。官吏になる者は研修期間中に希望する配属先に関わらず一通りの格闘技術を叩き込まれるのだが、荒事に関しての成績はあまり良くなかったのだ。それ以外にも極限まで精神的に追い詰める圧迫面接や幻覚剤の体験といった過激なものもあり、今となっては異常としか思えないものばかりだ。にも関わらず、ただのチンピラ程度もあしらえるような自信すら無い。だが、パトリツィオ一人なら、少なくともパトリシアが逃げる時間くらいは稼げるだろう。こんな異様な部屋まで来てしまって今更ではあるが、後はパトリツィオがとち狂わぬよう祈るばかりだ。
「それで、降霊会って具体的に何をするの?」
「まずはこれを見て。これもわざわざオーダーメイドで用意したんだ」
 そう言ってパトリツィオが机の下から取り出したのは、古めかしい木材で出来たお盆くらいの板と、同じ材質の小さな板の二つだった。
「これは霊応盤と呼ばれてる物なんだ。ほら、この板には文字と数字が刻まれてるでしょ? こっちのプランシェットを霊的な存在が動かして、この文字と数字を指しながら会話を行うんだ」
 パトリツィオが霊応盤と呼ぶ板には、文字と数字の一覧がわざとらしいおどろおどろしい書体で刻まれている。また、はいやいいえといった簡単な単語も刻まれている。これは霊などと話すよりも、何らかの事情で言葉を話せなくなってしまった人が意思疎通するための道具として活用した方が良いだろうと思う。
「じゃあ、霊が来たら勝手に動くってこと?」
「正確にはちょっと違うかな。このプランシェットに、三人で指を置くんだ。そうすると霊が誰かの指を借りて動かすんだよ」
「指だけ? 何だかへんてこねえ」
 小首を傾げるパトリシア。その一方でエリックは、これはあらかじめ予習しておいた自動筆記の一種だとほくそ笑んでいた。
 人間の体は無意識で動く事があるが、特に指、それも緊張状態の時が顕著である。そういった無意識の動きが物を動かしてしまうのを、あたかも物に何かが取り憑いて動かしているように錯覚するのだそうだ。要するに、霊などというものは存在しないのである。
 パトリシアはこの部屋について不安感を抱いているため、条件は満たされていると言って良いだろう。やはり降霊会などとはでたらめもいいところで、初めからパトリツィオは綿密に計画した上で招待したのだ。
 パトリツィオの計画を看破したものの、おそらくそれを指摘しても一切認めはしないだろう。エリックは自分の考えは口にせず、ただただ脇役として大人しく成り行きを見守る事にする。
「では、早速始めるよ。みんな心を落ち着けて、リラックスしてね。それで、この霊応盤の上のプランシェットに利き手の人差し指を置くんだ」
 パトリツィオに言われるがままに、エリックはパトリシアと共にプランシェットと呼ばれる矢印型の木材に人差し指を置いた。そこにパトリツィオも加わり、三人の人差し指がプランシェットの上に集まる。
「では、始めます。お二人とも、ここからは何があっても勝手に指を離さぬようにお願いします」
 勝手に指を離すと呪われる。そんな良くある子供じみた怪談を思い出す。けれど、主催はこのパトリツィオである。エリックは口出しせず、ただその指示に従う事にした。