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 唐突に動き始めるプランシェット。その事実に気付いたのは、三人ほぼ同時だった。
 二人の内、どちらかが悪ふざけをしている。そう直感的に思ったエリックは、なるべく軽い調子で指摘しようとする。だが、それより先に口を開いてしまったのはパトリシアだった。
「ちょっと、これ動かしてるのどっち? 悪ふざけはやめてよ」
 パトリシアは不安が入り混じった口調で、やや厳しめに言う。その真剣な様子に、エリックもパトリツィオも思わずぎょっとたじろいでしまった。
「い、いやだなあ。何もしていないよ?」
「じゃあ、エリック!?」
「落ち着いて、パック。僕も何もしていない」
 誰かの悪ふざけではない。なら、何故盤上のプランシェットは動くのだろうか。だが答えを探すよりも先に、プランシェットは霊応盤の一点に向かっていき、その文字の上をぐるぐると小さく回り始めた。
「『入り口』……? まさか、来たという意思表示?」
 プランシェットが移動した先は、霊応盤の左端にある入り口と刻印された所だった。出口という刻印が右端にある事から、それは文字通りの意味なのだろう。
「まさか……本当に母さんが?」
「落ち着いて下さい。何が現れたのか確認する事が大事です。まず、名前から訊ねてみましょう」
「な、なるほど」
 エリックの咄嗟の提案により、パトリツィオはいったん深呼吸で気持ちを落ち着けながら、問うべき言葉を選び始める。だがエリックは内心、何を馬鹿な事を言っているのだと、自分に苛立っていた。
 霊などと言うものが存在するなど有り得ない。ましてや、こんな遊びで現れるなど以ての外だ。そうは思いつつも、現におかしな事象が続いている。エリックは自分の中で不安感が高まっていくのが分かった。それは、特務監察室に来て以来、度々覚えるようになった感覚である。目の前で、言い訳のしようが無い形で、自分の中の常識を覆される恐怖だ。
「あ、あの! あなたの名前を教えて下さい!」
 やや震えがちな声で訊ねるパトリツィオ。するとプランシェットは、その声に反応するかのように異なる移動を始めた。その移動は曖昧なそれではなく目的を持った明示的な動きで、プランシェットに張り付いた自分の指先が僅かに引っ張られる感触があった。
 自動筆記の正体は、人間の無意識による筋肉の小さな振動を勘違いする事に拠るもの。だがそれは、よくよく考えてみればおかしな理屈である。その無意識の振動が参加者全員一致し、プランシェットを同じ方向へ向かわせる偶然など考え難いからだ。
 きっとどちらかが、迫真の演技で悪ふざけをしているに違いない。プランシェットが移動するのも、素知らぬ顔で指に力を入れて動かしているからだ。そう結論付けたエリックは、プランシェットだけでなく二人の動向にも注意深く見張る。
「えっと……あれ? 文字を指していないような……」
「ホント。何だか記号に見えないかしら?」
 そう言われ、エリックもプランシェットの動きを目で追ってみる。すると確かにプランシェットは刻印を指しているというより、霊応盤の上を動き回っているように見えた。
「これ、もしかして八の字じゃありませんか? いや、横向きだから無限大か」
「確かにそう見えるわね。でも、どういうこと? 何か意味があるの?」
 そう訊ねるパトリシア。しかし訊ねられた本人であるパトリツィオは、この薄暗い中でもはっきりと分かるほどに戦慄の表情を浮かべていた。
「どうかしましたか?」
「……れ、霊応盤の上でプランシェットがそう動くのは……ここに降りたのが悪霊だからです。間違いありません。この霊応盤を作ってもらった魔術師の人からそう聞きました」
 震える声で、やっとの事で話すパトリツィオ。
 この場にいるのは、パトリツィオの母親ではなく悪霊だというのか。
 エリックは、怒って良いやらあきれて良いやら、複雑な心境だった。ただでさえ馬鹿げた遊戯だと言うのに、そんな聞こえの悪い事故でも起こったかのような言い方をされ、どう反応していいのか分からなかった。そしてパトリックもまた、初めこそ不安げな表情をしていたものの、次第にこの状況が馬鹿馬鹿しく思えてきたらしく、露骨に溜め息をついて見せた。
「それで、どうしたらいいの? 帰って貰った方がいいんじゃない?」
「とにかく、話してみましょう。『すみません、お帰り下さい』」
 丁寧な口調でお願いするパトリツィオを、二人は冷めた目で見ていた。特にエリックは、プランシェットが動き出した直後にウォレン達の顔が脳裏を過ぎった事を深く恥じていた。
 パトリシアの態度からすれば、この悪戯を仕掛けたのは消去法でパトリツィオとなる。大方、パトリシアを怖がらせて気を引こうという魂胆だったに違いない。ただ、自己暗示まで引き起こした手順は良かったのだろう。一応、笑い話としての種にはなる。それくらいが今夜の収穫だろう。そうエリックは結論付けた。
 早いところ、この茶番を終わらせてくれないだろうか。そんな事を思っていた時だった。パトリツィオが震える声で訴えかけて来た。
「こ、これ、僕の事ですか……?」
 パトリツィオが霊応盤とエリックとを交互に見やる。何事かと盤上のプランシェットを見ると、先程まで描いていた八の字とはまた別の動きをしていた。今度はプランシェットは、刻印された文字を順番に、明確に指している。エリックはその指している文字を追いながら文面を読み取った。
「『三日後、お前は死ぬ』……?」