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 その週の月曜日は、午前中からいきなり外出する事となった。行き先は室長の知人の家で、やはり特務監察室の扱うような出来事が起こっているためだった。行き先は御者に伝えてあるからと、資料だけ手渡され、事情も分からずにバタバタと執務室から飛び出していくのは、既にエリックも慣れたものだった。ただ週の最初は、先週末に片付けられなかったり間に合わなかった仕事があり、それがいささか気懸かりだった。
「で、誰なんだよ依頼主ってのは」
 珍しく酒の匂いもなければ遅刻もしなかったウォレンが、それでもあまり興味は無さそうに訊ねる。エリックはまず状況を把握するため、室長から渡された資料に目を通した。
「えーっと、依頼主はジェイコブ……レイモンド? あ、これってレイモンド一族の人ですね。レイモンドを名乗れるって事は、本家筋ですよ」
「うっそぉ、ホントに? じゃあ、超お金持ちじゃない」
「ジェイコブ・レイモンドは、運送業の経営者ですね。主に鉄鉱や資材の運搬で、世界中あちこちに業務展開をしているようです」
 レイモンド一族。おそらく、セディアランドで最も有名な一族である。彼らは鉄鉱業を中心に、ありとあらゆる分野で多角経営を行っており、政財界へ非常に大きな影響力も持っている。いわゆるセレブリティな世界に住む人種と言って過言ではないだろう。
「けっ、俺の嫌いなタイプだ。ただでさえ楽な人生送れる癖に、ちょっとでも思い通りにならないと不幸だ試練だと喚きやがる甘ったれ共め」
「いえ、そう単純な話ではないみたいですよ。今回の件なんですけど、そのジェイコブ氏の息子に問題が起こったようです」
「問題? どんなだよ?」
「息子のエリアス君は、今年で四歳になるそうです。最近はかなり複雑な話も出来るようになったのですが、ただ時折その言動に奇妙なものが」
「ガキの癇癪じゃねーの」
「いえ。誰か特定の人物の話のようです。身の上話のような感じらしいのですが、それが妙に具体的で、しかも軽く調べた範囲ではその内容も事実と一致しているそうです。四歳の子供が知り得るはずもない事を話すのですから、かなり不安に思っているようです」
「ふーん。それって、使用人の会話を聞いたりとか雑誌新聞を読んで覚えただけじゃないのー? 子供って、割と頭良いわよ。もし生まれつきの大天才だったりしたら、そういう事もあるかも」
「それは絶対に無いそうです。エリアス君にはいずれ事業を継いで貰うので、既に専門家による英才教育を施しているそうです。なので見聞きする情報も徹底管理していて、そもそもそんな話をする知識自体得られるはずがないというのです」
「金持ちは歪んだ子育てしてんなー。で、子供に要らない情報吹き込んだ奴を捕まえろってか?」
「と言うより、エリアス君を心配しての事ですよ。どんな親だって、自分の子供が得体の知れない事を始めたら、何か異常があるんじゃないかって心配するでしょう」
 特に最初の子供には、親は一挙手一投足にまで過敏になるものだ。言動のおかしさも、資料を読む限りは親の主観だけとも言い切れないものがある。その不安を取り除くのは、実に特務監察室らしい立派な仕事だ。
 そう思う反面、自分の仕事は両親親類にとってまさに得体の知れないものだという事に気付き、あまり他人事ではないと苦々しく思う。
 一通りの説明も済んだ所で、エリックはひとまず知識の豊富なルーシーに所感を訊ねる。
「ルーシーさんは、今のところどんな印象を受けます?」
「まあ、本当にうちらが扱う案件なのかどうかはさておき。また幽霊とか妖精の類じゃないの? そういうのって、孤独感が強かったり日常的なストレスを感じてる人が良く見るからねー。あと子供」
「どうして子供が見易いんですか?」
「固定観念が無いからじゃないかな。これはこうだから、絶対こうに違いない。こういうのは大人の考え方だけど、子供は目の前で何が起こっても、これはこういうものだとありのまま受け入れるからね。だから、訳も分からず親の真似なんかしちゃのよ」
「じゃあ、何か? 下世話な幽霊に何か吹き込まれてるってか? 体に取り憑くとかじゃなくて。お、ちょっと面白そうだな。その幽霊となら友達になれそうだぜ」
「変なこと言わないで下さいよ。じゃあ、そういう方向性で調べていけばいいんですね?」
「ま、出だしはねー」
 正確な所は、実際に現場で当人に会って見なければ分からないものだ。ただ、幽霊どうこうという展開は、証明義務が発生しそうだという危惧がある。一般的には否定されている存在を証明する事ほど、滑稽な話はない。そして何より、エリックは未だ霊魂や死後の存在についても、どちらかと言えば否定的なのだ。
「あ、そうだ。セディアランドじゃ珍しいけど、あれの線もあるかも」
「あれの線?」
「生まれ変わり。人間が死ぬとね、別な人間として生まれ変わるって考え方。輪廻転生とか言われてるんだけど、セディアランドの宗教じゃ馴染み無い考え方よねえ」
 死んだ人間が生まれ変わる。エリックは知識としては知っているものの、今一つ腑に落ちない考え方だった。生前の姿で復活という概念はまだ分かるが、何故別人として蘇るのか、その理屈が理解出来なかった。それではまるで、不要品のリサイクルと同じ事が人間でも行われているかのように思えて来る。そんな扱いをされると説かれて、果たして信徒が死後の安息を願って信心を怠らないように励むだろうか。
「そんな事、本当に有り得るんですか? 第一、前の人間だった頃の記憶が無ければ立証も出来ませんよね。僕はそんなものありませんし」
「だから、今回のようなケースは可能性があるんじゃない。もし前世の記憶がそのままで生まれ変わったとしたら、子供はどうすると思う?」
 子供の内ならば、その記憶が前世のものという区別もつかず、思うなりに口にするだろう。けれど、それが事実かどうかなど判別をつけるのは困難である。何故なら、記憶というものは非常に曖昧な存在だからだ。単なる思い込みでもそれは記憶と区別がつかず、更には催眠や話術の類でありもしない記憶を擦り込む方法も、歴とした技術として実在するのだ。人間の記憶とは、自分で思っているよりも遥かに曖昧で脆いのである。