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「もう、いいでしょう。ここまでで宜しいですね」
 もはや見ていられない。エリックは強引に会話に割って入ると、ウォレンをエリアスからかばった。
「すみません、ルーシーさん。ウォレンさんを外へお願い出来ますか? 後は僕が」
 いつになく深刻な表情のルーシーは、無言でこくりと頷くと、一回りも小さくなったように見えるウォレンを優しく立ち上がらせ部屋の外へと促した。あれだけ気を張っても、虚勢を打ち砕くのはこんなに容易い事なのか。そうエリックは苦々しく奥歯を噛んだ。
「相変わらず、人には恵まれるんですね。出来た後輩にかばって貰って、助かったんじゃないですか?」
 歩くことすら覚束ないウォレンの背中に、エリアスはまた容赦なく冷たい言葉を浴びせかける。
 だが、その直後だった。これまで静観していたジェイコブが突然と立ち上がると、何の予告も無くエリアスの頬を一度強く張った。
「いい加減にしなさい。私は、そんな教育をした覚えはない」
 ジェイコブの行動に、エリアスだけでなくエリックも唖然として立ち尽くした。
「すみませんでした、ウォレンさん。下の階に休憩室を用意させています。そちらでしばらくお休み下さい」
 丁寧な謝意を伝えるジェイコブ。ウォレンはそれに対して何も反応せず、ただルーシーに付き添われ部屋を後にしていった。
「エリックさんも、申し訳ありませんでした。本当はこんなつもりではなかったのですが……」
「と、仰いますと?」
「まず、息子とウォレンさんの関係についてですが。実は既に調べはついてあったのです。初めは息子の言う事は半信半疑でしたが、念のため興信所を使って調べさせたのです。それで、息子の言っている事がほぼ全て事実であること、そして現在のウォレンさんが特務監査室という名前の部署に居る事が分かったのです。特務監査室の事は私も仕事の関係で知っておりますし、ラヴィニア室長とも多少の面識がありました。ですから、本当に信じ難い事ではあるのですが、息子はディーンという実在していた人物の生まれ変わりなのだと、受け入れざるを得なくなったのです」
 ジェイコブは、既に自分の中でエリアスの奇行について答えを出していたのだ。そうなると、今度は特務監査室がここへ呼ばれた理由も本来のものとは変わってくる。当初特務監査室は、あくまでエリアスの奇行の原因を調査するために来たのだから。
「では何故、我々を呼んだのでしょうか?」
「エリアスのたっての希望です。ウォレンに会いたい、会って話がしたい、と」
「二人の関係を御存知なのであれば、こうなる事くらい予想がついていたのでは?」
「ええ。深くは訊ねませんでしたが、恨み言を吐き出したいのだろうと、私は黙認する事にしていました。それで気持ちが晴れるのであれば、別に構わないだろうと。ただ、いささか度が過ぎていたのでこうなりましたが」
 初めからウォレンが来る事が分かっていて、あえて引き合わせた。息子の気持ちを晴らさせるため、そして奇行を治めるためでもあるのかも知れない。だが流石にジェイコブも、ここまで根深いとは思ってもいなかったのだろう。
「子供っていいですよね」
 ふと、エリアスが妙に開き直ったような口調で言葉を吐いた。
「何を言っても多目に見て貰える。親でさえ、こんな加減した程度にしか殴れない。軍属時代じゃ考えられなかった。だから、思う存分吐き出せましたよ。途中で止められたらどうしようかと思っていたけど、やっぱり子供を黙らせるのは気が引けましたか?」
 その言葉は、自分に対して向けられている。それに気が付いた瞬間エリックは、全身総毛立つような怒りが込み上げて来た。そして感情に任せ、エリアスの胸元を乱暴に掴み上げる。しかしその手は、すかさず横からジェイコブに抑えられた。強く握り締めてくるジェイコブの手の感触に、エリックは我に帰る。だが、エリアスの胸元は離さなかった。
「理解して貰おうとか、微塵も思ってませんよ。ただ僕は、自分の人生を滅茶苦茶にしたウォレンが心底憎い。それはもうどうしようもない感情なんです。酷い話ですよね。せっかく恵まれた家庭に生まれて来たのに、こんな欠陥を抱えているんですから。前の僕だけじゃない、今の僕ですらウォレンには苦しめられているんだ」
「なら、どうしろと言うんですか? ウォレンさんが死んでしまえば満足なんですか? それとも自分で殺してやりたいと?」
「いいえ。むしろ死なずに、生きて、この先もずっと苦しみ続ければいい。惨めならば尚いい。僕はそれを想像して、初めて穏やかな気持ちになれる。エリアスの人生を謳歌出来るんですよ」
「最悪だ。あまりに下劣で品性も何もない、性根が腐ってる。人の不幸に喜びを感じるなんて、それでしか幸せになれないなんて、人間としての最底辺だ」
「憶測だけで綺麗事を。一度理不尽に殺されてみればいい、君もそうなる」
 自分をこうしたのはウォレンだ。そう言いたげなエリアスの眼差しは、エリックが今自分で評したものとは真逆の、強く真っ直ぐな意思が感じられるものだった。エリックは酷い脱力感に苛まれ、自然とエリアスの胸元から手を離してしまった。自分にはこの状況をどうする事も出来ない、そんな無力感すら込み上げて来る。
「これでもう、ディーンとしての振る舞いは最後です。これからはエリアスとして、相応に子供らしく振る舞います。せっかく僕を生んでいただいた母にも、これ以上心配は掛けたくありませんから」
「それでも、恨みは忘れてくれないんですね」
「そうです。これは、僕が生まれ持った傷痕なんです。人に見せるのも憚られる、醜い醜い傷痕です。簡単には消せないなら、うまく付き合うしかありません」
 その方法が、ウォレンを憎み続ける事なのか。
 どんな経緯にせよ、エリックはエリアスの言葉には納得がしかねた。ウォレンをああも傷付けたやり口がとても許せなかった。しかし、自らの怨念を醜い傷痕と表現したエリアスの心境は、ほんの僅かだが理解の兆しが芽生えそうな、そんな予感がした。
 ふとエリックは思い出す。自分と手続きを間違われ、本来は自分が行くべきだった財務省へ配属された男。顔も見たことのない彼の名前もまた、エリアスだった。同じ名前の人間に苦しめられるウォレンとは、非科学的な表現ではあるが何かしら因縁があるのかも知れない。