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 エリアスは、自分は損ばかりする性格であると思っていた。幼い頃からの口下手で、損な役回りや厄介事ばかりを押し付けられ続けてきた。どれだけ努力してもそれを伝える事が出来ず、正当な評価はなかなか得られ難い。
 エリアスは苦手なものも多い。暗がりや人混み、狭い部屋や高所なども近づきたくはない。そんな臆病さをどうにかするべく、幼い頃から武術道場へ通い体を鍛えた。それでも強くなったのは体だけで自信も度胸もつかず、口下手も臆病さも改善されなかった。
 そんな自分が聖都大へ入り、平凡な成績ながらも無事に卒業出来た事は、ひとえに地道な努力の甲斐だと思っている。在学中に官吏の試験に受かった事も同じだ。これまでの数々の努力が、ようやく報われ始めたのだ。それを確信させたのが、自分の配属先が財務省に決まった事だ。外務省や法務省と同格のエリートばかりが集まる財務省、そこに呼ばれるなんて思ってもみなかった事だ。
 その日エリアスは、前もって通達されていた時間と場所の通り、本庁舎から程近い東通りの一画へとやってきた。その一帯に建ち並ぶのは全て財務省の関係支局である。流石に本省に配属されるだろうとは自惚れてはおらず、その内局だけでも十分に満足だった。
 国税局査察部。それがエリアスの配属先の名前である。その役割は事前に十分予習をしている。国税局とはその名の通りセディアランドにおけるあらゆる税金を管理する部局、そして査察部とは特に脱税行為について取り締まる部署だ。その仕事は、時折新聞でも大きく取り沙汰される。脱税という国家への背信行為を取り締まる、非常に重要な職務である。エリアスは分不相応な大役だと及び腰になりそうなのを堪えつつ、これが今の自分の正当な評価なのだと鼓舞しながら目的の場所へ向かった。
 国税局の建物は、本当にこれ一つでセディアランド全体の税を管理しているのかと疑ってしまうほど、エリアスの予想とは大きく異なった小さな庁舎だった。けれど、財務省は内局だけでも数多くの支局を持っているため、これもおそらくその中の一つにしか過ぎないのだろうと考え直す。
 玄関ロビーに入ると、そこには幾人もの人達が何やら忙しそうに動き回っていた。入場制限の無いエリアではあるが、外部の人間との打ち合わせや何かしらの授受など、業務に必要な事が行われているのは何となく感じ取れた。エリアスは、早く自分もこのようになりたいと、漠然とした憧れを抱く。
 通達には、玄関ロビーにて局員が待っているとある。しかし、ロビーにはあまりに大勢の人々が行き交っており、一体誰がどこの誰なのかまるで見当もつかなかった。
 査察部と自分の名前を大声で呼び掛ければ、おそらくその誰かが反応するだろう。そう思い付くも、エリアスはとてもそんな事は出来ないと思い留まった。そんな事をすれば一斉に注目をはじめとする浴びる事は火を見るよりも明らかで、とても居てはいられなくなるだろう。
 一体どうすればいいのか。初日からこんな事で躓いてしまうなんて。エリアスはおろおろしながらも、とにかく何かしら奇跡的な偶然で査察部の人間を見つけられやしないかと、そんな気持ちで人の群れを眺める。それでどうにかなると本気で思っている訳ではないが、エリアスにはそうする他なかった。
 そんな時だった。どれだけ時間が経っただろうか、不意にエリアスは横から呼び止められた。
「ねえ。あんた、さっきから立ちっ放しだけど、誰かと待ち合わせの約束?」
 見た目はきっちりとしたスーツ姿の若い女性だったが、言葉遣いがいささか荒く官吏のそれとは思えないものだった。上背も体格も自分の方が遥かに上ではあるが、彼女はむしろ威圧感さえ覚えさせるような態度である。
「は、はい。あの、えと、自分は、このたび国税局査察部への配属が命じられまして―――」
 そこで言葉を遮るように、彼女は笑顔で歓声を上げた。
「ああ、君だったのね! 良かった、探してたのよ! 私、国税局査察部四課のベアトリス。よろしくね!」
 ベアトリスと名乗った彼女は、一方的にエリアスの手を取って握手する。その手は驚くほど握力があり、エリアスをぎょっとさせる。
「は、初めまして。自分は」
「大丈夫、聞いてる聞いてる。聖都大を随分優秀な成績で出たらしいじゃない。体力はそれほどでもないって聞いてたけど、なかなかいい体格してんじゃないの。あ、謙遜してたのかなあ?」
「い、いえ、自分はまだまだそれほどでも………」
 いちいち大声で話すベアトリスとは話がし難い。エリアスは焦りながら何とかうまく会話へついて行こうとする。
「じゃあ、早速中へ入ろうか。もう色々と準備は出来てるから。期待してるよ、エリック君」
「はい?」
「だから、エリック君には期待してるって。なんせ、これだけの秀才がうちに配属されるなんて、本当に驚きだわあ」
 唐突に別人の名前で呼ばれ、エリアスは焦りながら訂正する。
「あ、あの、自分の名前はエリアスといいます。エリックではありません」
「はあ? 何言ってんのよ。昨日書類が来たばっかりなのに、覚え間違える訳ないじゃない」
 そうけらけら笑うベアトリス。しかし事が事だけに、エリアスは尚も食い下がった。
「い、いえ、本当です。ほら、こちらの辞令にも自分の名前で書いてありまして」
 そう言って見せた書類一式を、ベアトリスは引ったくるように手にして、すぐさままじまじとそれを見つめる。ぶつぶつと独り言を漏らしながら時折ぶるぶると肩を震わす姿は尋常ではなく、エリアスはとても声がかけられなかった。
 やがて、ベアトリスは書類から顔を上げると、
「どうなってんだ、おい!? 誰だ、お前!」
 突然とエリアスの胸倉を掴み、猛然と怒鳴なりつけてきた。
「そ、そう言われましても……」
 大の大人の胸倉を掴んで怒鳴りつけるという事を平然と行うベアトリスに、エリアスは異様なものを感じた。まず普通の生活をしていれば、こういった人種に遭遇する事はまず有り得ないし、こういった人種になる事も無いからだ。
 そしてエリアスは、もう一つ異様な事に気が付いた。ベアトリスがこんな事をしても、他の人間は誰一人として止める所か意にすら介していないのだ。
 ここは、もしかしてとんでもない所ではないのか? 自分はまた貧乏籤を引いてしまったのではないか?
 そんな弱音が脳裏を過ぎった。