BACK

「結論から言うとだな、いわゆる手違いという奴だ」
 新たな環境、そして今後自分が長い時間を過ごすであろう執務室、本当ならもっと新鮮で晴れ晴れとした心境でいるはずなのだろうが、エリアスは酷く憂鬱で居たたまれない思いで突っ立っていた。
 総員はおよそ十名ほどだろうか。管轄となるのはこの東区エリア一帯、その中で税金について何かしらの業務を行う。エリアスの認識はまだその程度の漠然としたものだった。これからもっと具体的な業務内容について説明を受けるのだとばかり思っていたのだが、それよりも先に言い渡されたのはそんな無慈悲な宣告だった。
「手違いって、どういう事だよボス!」
 宣告をしたのは、如何にも呼び名らしい貫禄のある中年の男だった。いささか官吏らしくない強面を持ち、街中で見掛ければエリアスは絶対に近付かないタイプである。しかし、ベアトリスは先程の自分に対してと同様に食ってかかっており、まるで気後れをしていない。
「ああ、ついさっきまで首相の秘書官の一人が直接訪ねて来ていてな。例のエリックという新人が、先週に別部署へ配属してしまったと分かってなあ。まあその、なんだ、よく手紙でもあるだろ? 誤配ってやつだよ」
 そうおどけた口調で話す、ボスと呼ばれた中年の男。すると、執務室内にどっと笑いが起こった。しかし、当の本人であるエリアスは元より、ベアトリスは全くにこりともしていない。
「いや、笑い事じゃねーだろ実際! 法律知ってて計算の得意な奴が欲しいって、前々からアンタだって言ってただろ!? それを手違いで、どこの誰か分かんねー奴よこされても、どうしようもねえだろ!」
「おいおい、本人の前でそういうこと言うなって」
「関係ねーよ。どうせ、自分には合いませんでしたって、すぐに転属届け出すに決まってんだから。そんな奴、アタシは教育係なんて御免ですからね」
「それは駄目だ。もう決まった事だからな。まあ、何だ。お前もそろそろ新人気分は抜いて、ちったあ年長者らしくしろよ」
「アタシがまるで、いつまでも落ち着き無い半人前みたいに言うなよ!」
「実際そうだろ。人員の補充たってな、お前の欠点を補う意味で注文したんだぞ?」
 ボスと呼ばれる彼とベアトリスのやり取りは未だ続く。それを他の人員はほとんど他人事のように聞き流すか、何か見世物のように眺めているかしている。あまりの暢気さに、エリアスはただただ困惑するだけだった。いつもの見慣れた光景を前にしていると言うよりも、どこか諦めじみた空気が漂っているように思う。
 遠慮の無い言葉でやり取りするベアトリスとボス、そしてそれを娯楽か何かとしか思っていない局員達。エリアスにとってこの状況は、自分の努力が報われ始めたと喜んだのはとんだ思い違いだったと訂正させるのに十分だった。
 エリアスはこの状況について、妙に納得をしてしまっていた。やはり自分などがこんな所へ入れるはずもなく、ただの手違いだったのだ。きっと話に出ているエリックという人物は相当優秀だったに違いない。それを取り逃したのなら、悔しいと思うのも当然だろう。そしてそれを表に出す事に、少なくともベアトリスは遠慮がない。
「とにかくだ! 挨拶はもういいから、お前はエリアスを連れてこれやって来い! 新人研修だ!」
 如何にも食い下がり続ける彼女に辟易したという表情のボスは、ベアトリスへ何か書類を押し付けて追いやった。意外と素直に書類を手にしたベアトリスは、まじまじとその内容へ目を通す。
「何だよ、株式会社アレクサって」
「金と人のロンダリングか何かしてるって噂だ! 焦臭いのは確実だから、後は自分で調べて来い! 以上!」
「おい! 本気でやるつもりかよ!? ちょっとは上に文句言うとかしろよ!」
「今をときめく首相に文句言えってか? 俺はもうすぐ定年なんだ。何事もなく穏やかに過ごしたいんだよ。それより、お前もここでやってくなら、新人の一人や二人、一人前に育成してみろ。自分が一人前のつもりならな」
 そう言われては言い返せないのか、ベアトリスは悔しそうに言葉を飲んだ。そしてその直後、視線は傍らでじっと押し黙っているエリアスの方へ向けられる。
「ちっ、図体だけはデカいなりしやがって」
 ロビーで会った時とはまるで正反対の態度、しかしエリアスはそれが今の自分の妥当な評価だと、何も言わずにただ受け入れた。そもそも、大して自分と歳は変わらないにも関わらず上司と当たり前のように言い争うような人間と対立したいとは思わない。ともかく今は、おとなしく従っているのが賢い選択だろう。そしてもう一つ、確信した事がある。新しい人員に期待をしていた事は知的な能力だったが、逆に言えば体力的な能力だけでも需要はあるという事だ。それならば、自分もあながち戦力外とは言い切れない。
「道すがら説明してやる。おい、とっとと行くぞ」
 ベアトリスにそう急かされ、慌てて後をついていくエリアス。その時ふと、こんな人間にでも務まる仕事なら大したことはないだろうと、そんな不遜な言葉が脳裏を過った。