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 単独での視察。エリアスにとって初めてのそれは、自分がようやく査察四課に認められ始めたのかと自信を湧かすのに十分な事だった。しかし同時に、何が起ころうとも自分一人で解決しなくてはいけない、そんな不安もあった。
 西地区の三番街、そこは聖都でも古い街並みが未だに残る地区である。昼間だというのに恐ろしく静かで、時折通る人達はみな足取りが非常に緩やかだ。ここだけ時間がゆっくり経過しているのではないか、そんな気にすらさせられる長閑な風景だ。
 エリアスはあらかじめ確認しておいた地図を思い出しながら、実際の街並みと比べ、住人達と同じように緩やかに歩を進める。今回の対象となるのは、この三番街にあるウード商店という店だ。昔からある個人経営の店で、動いている金の量も非常に小さい。商売気のない、趣味だけで経営しているような店だ。だがそんな店でも、脱税の疑いがあれば調査をしなくてはいけないのだ。今回のエリアスは、その下見のような役目である。おそらく、自分のような新米でも何とかなるように小さな仕事を割り当てられたのだろう。そう解釈すると、幾分緊張が紛れていった。
 頭の中の地図を頼りに小路のような通りを進んでいく。程なくして、今回の対象であるウード商店を見付ける事が出来た。それは、如何にもな古めかしい外観と、店頭に掲げられたレトロなデザインの看板が印象的な店だった。子供の頃、自分の家の近所に似たような店があった事を思い出し、エリアスはほんの少し懐かしく思った。
 店に無事辿り着けたのだから、今度は職務を果たさなくてはいけない。だが、初めての事である以上はどうしても気後れしてしまう。店に入ろうか入るまいか悩んでいると、ふとエリアスはウード商店の向かいに小さな食堂がある事に気付いた。そこはウード商店と同じ如何にも年季の入った佇まいで、建てられたのは同じ時期のように見受けられた。
 時刻は正午に少し早い時間帯であるが、昼食を取るのには早過ぎる訳でもない。エリアスは一旦気を落ち着けるべく、その食堂へと入った。
「あら、いらっしゃい。お好きな席へどうぞ」
 早速出迎えたのは、予想していたよりもずっと若い女性の店員だった。外観に反して真新しい内装の店内に先客は一人、カウンター席には大分年を重ねた風体の男が黙々と食事をしている。エリアスはウード商店の様子を眺められる、少し離れた窓際の席へ座った。
「こちらがランチメニューです。お決まりになりましたらどうぞ」
 彼女に差し出されたお品書きを受け取り、何が食べたい気分かと吟味する。メニューはいずれもセディアランドでは何処にでもあるもので、食事の際にメニューで絶対に冒険をしないエリアスにとってはありがたかった。この後の事も考え若干軽めのメニューを注文する。その頃には緊張も大分ほぐれてきていた。
 店員は彼女だけなのか、注文を受けた彼女は自分で調理をし始めた。普通昼時など一人では到底回しきれないものだが、この店はさほど客も来ないのだろう。やはり時間の流れが都心部とは違うと、改めて思わされる。
「どうぞ、お待たせしました」
 しばらくして注文したメニューが運ばれて来る。それはエリアスが想像していたより小綺麗にまとまっていて、味も素朴で美味かった。都心でやればもっと客を呼び込める、そんな御節介を思ってしまう程である。良い店に当たって気持ちも落ち着き正解だった。満腹感により心地良さすら覚え始める。
「お兄さん、この辺の方じゃありませんよね? 今日はお仕事ですか?」
 女店員は食後のお茶を出しながら、何の気なしに訊ねて来た。
「あ、はい。自分は、この辺りの地区の環境調査をしていまして」
「あら、もしかして御役所勤め?」
「は、はい、まだ今年配属されたばかりの新人ですが」
 いささか慌てたものの、あらかじめ教えられた通りの偽の身分を説明する事が出来た。エリアスは密かに安堵する。国税局の人間は職名を口にするだけで誤解を招く事があり、一般的にこういった店では歓迎されない事が多い。余計なトラブルを避けるためにも、普段は偽っていた方が円滑に進む。アントンに教えられた事だ。
「この辺りは何も無くて、あまり調べ甲斐がないでしょう? でも、そこがいいところなのよ」
「そうですね。都会の喧騒もありませんし」
 無難な会話から何か情報が得られるかと思ったが、エリアスには相手から欲しい情報を引き出すような話術は無い。案の定ただの会話でそれは終わってしまう。余計なことを言って悪目立ちするよりは、平凡な振る舞いに徹していた方がいいだろう。
 やがてお茶も飲み終えたエリアスは、勘定を済ませ仕事に戻ろうと思い席を立とうとする。丁度その直後だった。
「お前さん、役人なんだってな」
 いつの間にか、カウンター席に居たはずの老人がすぐ脇に立っていた。エリアスは危うく驚きの悲鳴をあげそうになる。
「そ、そうですが……何か?」
「向かいの店、見ただろ?」
「ええ、ここへ入る時に」
「調べてはくれんかの。あの店は、悪者の店なんだ」
「悪者、ですか?」
 表現が曖昧過ぎる。年寄り特有の語彙の少なさのせいだ。しかし妙な押しの強さがあり、エリアスは話を聞かざるを得なかった。
「あそこではな、悪どい金貸しをしとるんだ。それでもう何人も不幸になった者がおる。私はみんな知っているんだ」
「悪どい金貸しですか?」
「そうだ。無理矢理大金を貸しつけては法外な利子を巻き上げる。人を人とも思わない、とんでもない事だ」
 悪どい金貸し。それはいわゆる闇金だろうか?
 自分の職務はあくまで脱税の取り締まりであり、その上今日はただの視察である。闇金の取り締まりをついでにやれるような、人脈も知識も職権も無い。だが、とても断りきれそうにない、エリアスは苦笑いが顔に出るのをこらえるだけで精一杯だった。
 今日はもっと気楽な仕事だと思っていたのだが。
 占いを信じている訳ではないが、査察部に配属されて以来自分の流れが格段に悪くなっている。そう思えてならない。