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 通されたその部屋は、まるで弁護士の相談室のような厳かさすら感じさせる佇まいだった。輸入物の漆塗りのデスクと革張りの椅子、そこに座るのはシックな色のスーツを着た品のいい身なりの老紳士だった。左右の壁には書架があり、エリアスは見たこともない背表紙の本がずらりと並んでいる。それが尚更この老紳士を知的に見せ、思わずエリアスは萎縮してしまった。
「さあ、どうぞ。こちらへお掛け下さい」
 老紳士が人の良さそうな笑顔でデスク前の椅子をエリアスに促す。エリアスは言われるがまま一礼だけして椅子に座った。その椅子は何とも座り心地の良い安楽椅子だった。この空間にはあまりに不似合いに思えたが、萎縮していた心境のエリアスにはリラックス出来るありがたい座り心地でもあった。おそらく顧客と落ち着いた話をするためのものなのだろう。普通悪どい闇金融とは、顧客には冷静な判断をさせず不利な契約を結ばせてしまおうとするものだ。もしかすると、彼らはさほど悪どい商売をしている訳ではないのではないだろうか。そんな事をエリアスは思った。
「本日はどういった御用件でしょうか? 私共がお力になれる事があれば、遠慮無く仰って下さい」
「あ、それは、その……」
 まさか、脱税の疑いのあるこの店の視察に来たなどと、面と向かって馬鹿正直には言えない。ましてや、向かいの食堂で客に聞いたように、闇金融を営んでやいないかを確認したいなど以ての外だ。
 無難な返答は待ち時間に考えていた。だが、ここに来てそれがすっかり頭から飛んでしまった。エリアスはたちまち言葉が話せなくなり、呼吸の苦しい魚のように口をぱくぱくと動かす。すると、そんなエリアスの様子を見て良いように察したのか、老紳士は笑顔で言葉を続けた。
「大丈夫、誰でも最初は緊張するものですよ。金銭の貸し借りは、確かに恐ろしい側面もあります。ですが、きちんと計画的に行っていけば人生をより効率的に営めるものなのですよ。誰でも融資は当たり前にしているのです。決して、おかしな事ではありません」
 エリアスの様子を見て、それを初めての融資の緊張で慌てふためいていると解釈したのだろう。老紳士が良い意味で勘違いしてくれている事でエリアスは冷静さを少し取り戻し、予め用意していた無難な言葉と設定を思い出す。
「あの、大変お恥ずかしい話ですが。実は、少し高価な買い物をしたいと思っていまして」
「高価な買い物ですか?」
「あの、レイモンド商会が今年に限定発売する、最新型の懐中時計です。なんでも暦の機能がついているとかで、とても注目されているんです。ただ発売本数はやはり限定的で、全て予約販売の上に前金払でして。どうしても欲しいのですが、来週の予約開始までに金額を揃えられそうにないんですよ。それで、是非と……」
 高価な買い物は、目的としては非常にありきたりである。そのためか、老紳士は全くエリアスの言葉を疑う様子は無かった。
「なるほど、確かに良い時計は多少無理してでも欲しいものですね。高級品など一生物ですから、今ここで無理をしたからと言っても、長い目で見ればむしろ安い買い物になりますよ。お客様は非常にお金の使い方が分かっていらっしゃる」
 金を借りる理由でこうも褒められるとは。明らかなお世辞と分かるだけに、エリアスはいささか返す笑顔がぎこちなくなった。
「実は私も時計が好きでしてね。同じ好事家であれば、是非お力になりましょう」
「そう言って頂けると助かります」
「ええ、ええ。では品代分、ご融資させて戴きましょう」
 老紳士は万年筆を手に取ると、早速手元にあった紙に何事かを書き始めた。それは紙の上から下までと随分長い文面で、最後に朱印で判を押した。
「こちらはご融資の契約書となります。どうぞ、じっくりと御確認下さい」
 差し出された用紙を受け取るエリアス。そこでふと、何か違和感を覚えた。待合室で見た冊子には、状況や目的に応じた様々な融資のプランが紹介されていた。しかし老紳士は、自分で一方的に決めた契約内容をこのように提示して来ている。にこやかに見えて、やはり目的は高利貸しのそれなのだろう。エリアスはこの状況を客観的に見る自分を自覚でき、更に冷静さを取り戻せて来た。
 これまでの人生で、幸いにもエリアスは高額の金が必要となるシチュエーションに陥る事が無かった。そのためか、融資の契約という概念は理解していても、手に取った契約書の中身に今ひとつ理解が及ばなかった。小数点以下の数字と聞き慣れない語句、それらの意味は何となく分かっても組み合わさる事でどういった状況になるのか、想像する事ができないのだ。けれど、今回優先すべき事は契約内容の精査ではない。エリアスは一通り目を通して内容を理解した振りをする。
「この内容で大丈夫です。お願い致します」
「本当に問題はありませんか? ご不明な点があれば、御説明いたしますよ」
「いえ、問題はありませんよ」
「そうですか。では結構、契約といたしましょう。こちらに署名をお願い致します」
 エリアスは老紳士に指定された箇所へ自分の名前を記入する。
 これで契約は完了である。そしてこれを持って帰れば、この店が違法な金融業を営む証拠にもなる。
 成果は上々だ。エリアスは内心ほくそ笑まずにはいられなかった。