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 エリアスは、酒についてはさほどこだわりも無ければ全く飲まない訳でもない。飲みたくて飲む時と付き合いで飲む事が半々で、いずれもほろ酔いで済ませている。自分と酒の距離はこのくらいが丁度良いと思い、その節度を守っているからだ。だからだろうか、同僚達が酔いつぶれているこの光景を前にすると、理性が普段よりも強く働いた。
 何人かは帰宅したようだったが、ほとんどは酔いつぶれ起きているのか寝ているのか分からない状態でテーブルの上に突っ伏している。起きている者達も、呂律が回らず何を言っているのか分からない言語を互いにぶつけ合う異様な会話をしており、とても参加しようという気にはなれなかった。
 早く帰りたい。心底そう思う。だが、新人である自分が勝手に帰って良いものか、こういった場の振る舞い方が分からないエリアスはその踏ん切りがつかなかった。既に飽きてしまった酒を舐めるように飲み、膨れた腹で残った料理を細かく啄む。ストレスを酒にぶつける事ができれば、もう少しこの場を楽しむ事が出来るのだろうか。そんな愚にもつかない事を考えた。
「隣、いいかな?」
 そんな時だった。唐突にかけられたその声は、他の泥酔した者達とは違ってしっかりとした滑舌のそれだった。まだ泥酔していない者がいたのか。そう驚きながら振り返る。
「ああ、君は全然酔っていないようだね。もしかして、結構酒には強いのかな?」
 にこにこしながら訊ねるのは、国税局の最高責任者であるジョーンだった。久し振りの対面とこの唐突さに、エリアスは思わず総毛立つような心境になった。
「い、いえ、自分は少しずつしか飲んでいませんので。あ、どうぞ」
 エリアスは慌てながら隣の空いた椅子を引く。ジョーンは一言礼を述べてそこへ座った。
「急に悪いね。実は、少しばかり君と話をしてみたくてね。いつぞやの続きだよ」
「そ、そうですか。自分は大丈夫、問題ありません」
「はっはっは、そう緊張しなくていいよ。もっと楽に構えて」
 そう言われても、国税局の長を相手に軽々な態度は取れるはずもなかった。こうなると事前に分かっているなら酒もあまり飲むべきではなかった、そうとすら思ってしまう。
「エリアス君。君の評判はね、実は査察部内では結構耳にするんだよ。心当たりはあるかな?」
「いえ、そんな。図体の大きな新人がいるとくらいにしか思われていないかと」
「またまた御謙遜を。君はね、あの四課でやっていけているだけで、充分凄い事なのだよ。ベアトリス君以来の逸材なのさ」
 そう誉めるジョーンの後ろの方の席では、当の本人であるベアトリスが泥酔した様子でアントンに絡んでいる。ベアトリスはいわゆる泣き上戸らしく、呂律は回っていないが愚痴のような繰り言を泣きながらアントンに語り、いちいち同意を求めている。アントンもまた酔いが回っているのか、真顔ではあるがいまいち視点の定まらない様子で、そんなベアトリスの言葉を半分に聞いていた。
「あれ、以来の逸材ですか」
「いや、君はもっと凄いと私は思っているよ。彼女はああいう破天荒な性格だから、こういう場所でも馴染めている。でも、君はそうでもないだろう? 自分の常識が通用しない、仕事の内容自体があまりに非日常的過ぎて、自分の居場所が無いような気さえしたはずだよ」
「……否定はしませんが。あ、いえ、その、そういう訳では……」
「ハハッ、いいんだよ。君の凄い所はそこなんだから。君は、明らかに自分が馴染めないような場所でも、ただひたすらじっと我慢し努力を重ねて、自分なりの形で馴染もうとしている。その成果の一つが今回の強制捜査だ。君は誰にも愚痴を言ったりせず、ただひたすら目的のためにコツコツと頑張れるタイプの人間だ。軽薄な人間の多い現代人において、とても稀少な寡黙で努力家の人間。みんなはね、君のそういった姿勢を評価しているんだよ」
 まさか自分が、査察部内ではそんな風に見られていたなんて。
 エリアスにとっては、まさに寝耳に水の話だった。そして、明らかにそれは過大評価であり、とんでもない誤解をされているのだと背筋が冷たくなる。
 エリアスは、自分を忍耐強いと思ってはいない。ただ口下手なせいでいつも貧乏籤を引き、気の弱さからそれについての愚痴や文句も人に漏らせないだけである。本当は、未だにこの査察部から転属される事を諦めてはいないのだ。そのため心証を悪くしないための努力はしているが、まさかそれがそんな誤解を招いているとは。
「エリアス君。君にはね、近々もっと込み入った話がしたいんだ。君のその性格や気性を買っての事だ。是非とも受けてくれるよね?」
 ジョーンは一体何をどう買い、一体何を受けさせようとしているのか。露骨に白札を切らされようとしている事に困惑し、迂闊な返事をするべきではないと理性が警鐘を鳴らす。
 だが、警鐘よりもジョーンの立場の強さがそれを上回った。気が付くとエリアスは、またいつものように、相手が望む当たり障りない返答をしてしまっていた。