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 緊張した空気が漂う応接室。クワスト社の社長であるエリックは、表情こそにこやかではあるものの、こちらに対して嫌悪感と警戒心を明らかに抱いている。それはひとえに、我々が国税局の人間であるからだ。犯罪組織と繋がるフロント企業とは言えども、官吏に付け入られる隙をそう簡単には見せたりはしないという自負があるのだろう。しかし、今回の目的はクワスト社の脱税捜査でも無ければ違法な貿易の摘発でもない。あくまで、フェリックスに関する事だ。
「さて、本日はどういった御用件でしょうか?」
 柔らかな口調だが、言葉の奥には刺々しいものを感じさせるエリックの話口調。エリアスはそれだけで喉が締め付けられるような居心地の悪さを覚えた。しかし、すかさずベアトリスがお前が話せとばかりに肘で小突いてくる。エリアスはすぐさま本題を切り出した。
「まず、誤認識頂きたいのが。これはあくまで正規のそれとは違う聴取であること、それ故にこの場での発言に法的な証拠能力は一切無いという事です」
「それは、だから安心して洗いざらい話せという脅迫ですかね?」
「いいえ。今回の我々の目的は、御社の事業についてのそれではありません」
「では、一体何を話せばよろしいのでしょう?」
「御社に出入りしている、とある人物についてです」
 エリックの冷ややかな言葉に、エリアスは何度もどもりそうになる。しかし、傍らの至極冷静なアントンとベアトリスの存在感を励みに、何とか自分の心の平静さを保つ。
「とある人物、ですか。どなたの事でしょう」
「フェリックスという、国税局経理課の人間です」
「さて。弊社に出入りする人間は大勢いますから。それに、仮にそういった人物が居たとして、本人の同意も無く話せるはずが無いでしょう。そもそも国税局の人間なら、あなた方にとって身内のはず。我々の業務を止めずとも、本人を直接問いただせば良いでしょうに」
「不躾は百も承知です。そうはいかない事情がありますので。そのため、こういった場を設けて頂く必要がありました」
「ほう、どうやら立場としてはこちらが上のようですね」
 ここに来て、エリックは僅かに不敵な笑みをこぼした。自分達の腹を探りに来たのではない、その確信が態度を更に強気にさせたようである。
「いささか尚早のようですが、とりあえずこちらの要件から単刀直入でお話しましょう。我々は、このフェリックスという者を処分するつもりです。ただ、彼の不祥事が表沙汰になるのは非常によろしくない。特に財務省に知られる事は」
「あなた方の御身内の処分なら、どうぞ御勝手に。それが何か?」
「処分に際して騒がれぬよう、彼の寄る辺を無くしたい。それで、彼と縁を切って頂きたい。それも、出来るだけきつい切り方がいい。彼がこういった事をしでかした自分を深く悔やむような」
 縁を切る。その言葉にエリックは、口元を押さえ考え込み始めた。それはフェリックスとこの会社が繋がりがある事を示しているのだが、そんな事でとぼける茶番は無意味であると判断したのだろう。
「と言うことは、彼がうちでどういった事をしているのか御存知であると?」
「もちろん。アドバイザーの名目で、準社員待遇で雇っているそうですね。具体的な業務内容までは押さえていませんが、大方経理関係の社員教育といったところでしょうか」
「私は、彼が国税局の就業規則に違反しないと言ったので、雇用する事にしただけですよ」
「別段その点について追及はしませんよ。問題は、フェリックスがその収入を未申告だったという事ですから。それはあくまで彼の問題であり、あなた方の瑕疵ではない。違いますか?」
 確かにそうだ。エリックは控え目な声で今の言葉に頷く。
「我々は、事を荒げたくないんですよ。フェリックスをあなた方と切り離した上で、別件で処分し何も無かった事にしたい。ただ、あなた方が彼と距離を取る事に否定的なのであれば、その時は別なアプローチをしなくてはいけない。一言で言ってしまえば、あなた方の後ろ盾ですよ」
「弊社は法令に則って運業する会社ですよ」
「それを覆す証言が出来る人間を押さえているから、今日こうしてやって来た訳ですが」
 ここに来て初めてエリックは息を呑み次の言葉に詰まる。こちらの言っている事が事実かはったりか、判断しかねているのだ。ここは更に畳み掛けるところだ。エリアスは発言の追い打ちをかける。
「そんなに悩む事でしょうか? こんなリスクしか無い賭けをしなければならないほど、フェリックスに固執する理由があるとは思えませんが。有用だった者でも、ケチがついたらすぐに手放す。時にはそれも良いのではないですか? 我々は、あなた方の親も、裏の商売も興味はないのですよ」
 その時エリアスは、自分の言葉に手応えというものを感じた。言葉は手応えのある実物ではないが、自分の言葉がエリックの心を揺らした感触は不思議と伝わったのである。
「……なるほど。確かにあなた方の主張の方が合理的だ。よろしいでしょう、すぐにでもそのようにいたします」
「御理解感謝いたします」
「ところで、この件を我々が財務省へ密告するとは思いませんか?」
「その時は仕方ありません。所詮はフロント企業、ケチが付いてしまえば親は手放す事に躊躇いはないでしょう。あなたがどのような手放され方をするかは分かりませんが、我々は徹底的にやりますよ。あなたに怒りの矛先が向くように」
 露骨な脅迫である。エリアスは自分のしている事を理解しているが、エリックのこれも初めから想定された反応である。そして、どういった意図であるかも分かりきった事だ。
「冗談です。密告したところで、何の得にもなりませんからね」
「ええ。双方が得をする選択をしましょう」
 そう同意の頷きをし合い、今ひとつぎこちない笑みを浮かべる。
 ふとエリアスは、自分がこの査察四課へ配属された初日の事を思い出した。ベアトリスと悪徳企業の明らかに普通ではない取引。あの時はまるで理解が出来ず唖然としたものだが、今の自分はまさにそれに近い事をしている。これが果たして自分の望んだことだったのか。ふと、今の自分の姿に困惑しそうになった。