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 翌日の業務終了後、エリアスはまたしても何処から現れたショーンに強制的に付き合わされ、再びあのショーン行きつけのバーへ入った。バーはまたしてもマスター以外誰も居らず、ショーンとエリアスは昨日と同じ席へ座った。
「昨日は君の意識確認だったが、本日は標的についての説明を行う。ここでの会話は、一切記録はしないで貰いたい。全て頭の中に叩き込むこと。よろしいかね?」
 そうは言っても、自分には拒否権などない。エリアスはあまり自身は無かったが、よく理解したと嘘の頷きをして見せた。
「オリヴァー統括官が行っているのはいわゆる副業なんだが、そのやり口が良くない。彼はまず、何かしらの品物を目を付けた数人に卸す。その数人は、更にそれぞれ別の数人に卸し中間マージンを取る。そうやって、間接的にではあるけれど相当な人数から金を巻き上げているのさ」
「そのやり方は、確かセディアランドでは違法ではないのでしょうか?」
「そうだね。だから当時もジェレマイアは、その線で攻めていったそうだけれど。結局失敗してしまったんだ」
「証拠が不十分だったのでしょうか?」
「いや、単に違法ではなかったのさ。オリヴァーが最初に卸した数人は、法的には単なる譲渡で品物を渡していたからね。もちろん、官吏が頻繁にそんな事をしていれば贈賄を疑われるし、金銭のフィードバックも念入りに調べられた。けれど、譲渡された品物が非常に安価で、不自然なほどに譲渡を証明するものが揃っていてね。断念せざるを得なかったんだ」
 つまりオリヴァーは、二束三文の品物に何かしらの売り文句などで別の付加価値をつけていたのだろう。原価と市場価格の乖離が賠償額に影響した判例も珍しくはない。本人とっては非常に価値のある物でも、原価が安い場合はその程度の賠償額しか認められないのが通例なのだ。
「では、代金はどのように回収していたのでしょうか? 幾ら安価でも、譲渡だけでは儲ける事は出来ないのでは」
「そう、そこが今回の一番重要なポイントだよ。なにせ、あのジェレマイアが掴めなかったのが、その代金の回収の流れなのだから」
 現首相のジェレマイアは、かつては財務相に就任していた。当時は、彼の一族が代々政財界において指折りの有名人であった事もあり、彼を親の七光りでポストを手に入れた若僧だと軽んじる風潮があった。しかし、それがある時に突然と政財界の浄化作戦を行い、何人も逮捕起訴され失脚していき瞬く間に政権が変わってしまった。そんなジェレマイアですら掴みきれなかった悪事、それが果たして暴けるのだろうか。エリアスは、俄かに不安を抱いた。
「実のところ、ジェレマイアもオリヴァーのしていた代金の回収方法自体は掴んでいたのだよ。ただ、例によってそれを裏付ける事が出来なくて断念したのさ」
「どういった方法なのですか?」
「その代金は、オリヴァーの息子が経営する店に払われていたのさ。代金にその分を上乗せするとか架空のサービスの対価もか、そういう形でね。扶養家族ではない息子だから、直接は結びつけられない。それでその代金は、オリヴァーが設立した慈善事業団体へ寄付される。そしてその運営費として、代金分が抜かれていくのさ」
「では、その慈善事業団体を調べれば良いのではないでしょうか?」
「それはまずいのさ。これまで査察部が慈善事業を行う組織を調査対象にしたケースはほとんどない。それは、脱税の有無に関わらず、心証が悪いからなのさ。世間一般に対する財務省のね」
「財務省のイメージのため、ですか……」
 例え社会福祉に貢献している団体でも、それが何かしらの脱税に関わっているのであれば例外無く調査するべきである。けれど、国税局が財務省の内局である以上、財務省が世間からの心証を取るのであればそれに従うしかない。国税局は財務省の判断に従うしかないのだ。
「では、オリヴァーと息子の金の繋がりを証明出来れば、例えば何らかの物証を押さえられたら良いのですね」
「そういう事になるね。ただ、その物証が難しくてね。人手を割けないからとても危険だし、下手をすると死ぬかも知れないから」
 死。その言葉は、エリアス自身でも驚くほどに自分の気持ちを冷めさせた。これまで嫌々ながらも聞いていたショーンの話だったが、事の詳細へ触れていくに連れて次第に心境に熱を帯びていた。自分が役に立てるのなら、と積極的な気持ちさえあったのだが。やはり生命の危険があるとなっては、事情は大きく変わってくる。
 その時エリアスは、何故未熟な自分がこのような大事に誘われたのか、そしてくどいほど信頼を念押しされたのか、その理由を察してしまった。同時に、自分を冷めさせた死という言葉が、既に足元にまで及んでいる事を実感してしまう。
「大丈夫、君は腕も立ち度胸も備えている。少々辛いかも知れないが、強い心があれば大丈夫だよ」
 だが、その強い心こそ最も自分に欠けているものだ。
 断るべきだ。
 それを何とか口から絞り出そうとしたが、
「わ、分かりました……」
 遂にそれは出来なかった。