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「僕がこれを始めたのは、丁度一年ほど前の事です。それまで働いていた会社をクビになって、就職活動をしていたのですがなかなか職にありつけず。貯金もそろそろ底をつきそうになって、どうしようかと悩んでいました。憂さ晴らしに行きつけのバーで酒を飲んでいたのですが、その時に隣の席に座った男からこの話を持ちかけられたんです。うまい儲け話があるから乗らないかって」
 うまい儲け話。下手な詐欺師の使う陳腐な言葉である。けれど、彼は元々金に困っているのと酒に酔っていたせいもあるのだろう、それについ乗ってしまったのだ。
「話は単純でした。その男から定期的に品物を受け取り、自分はそれに値段を決めて誰かに売り込む。そして後から品物の代金を払いに行くんです」
「代金は何処でどのように?」
「さっきの店です。あそこの店の隅に、専用のガラクタのスペースがあるんです。それを買う事が代金を払う事になるんです。それで、自分は代金を収めた証拠としてあのガラクタを男の元へ持って行くんです」
「なるほど……そういう仕組みだったんですね」
 回りくどい構造に思えるが、それがオリヴァーの考え出した安全なやり方なのだろう。手間を増やせば増やすほど管理は難しくなるものの、捜査が及ぶ足止めになる。そしてそれ自体が違法行為でないのは、捜査をする上での大きな妨げになるのだ。
「最初の頃は、まあまあ稼げてたんです。本当は就職先が見つかるまでの繋ぎのつもりだったんですが、そこまで頑張らなくても前と同じくらいの収入が得られて。あ、その、収入自体は届け出をしていないので、実質はもっと多いですね。だか次第に就職活動もやらなくなり、貰う品物も増やしていってこっちを本業にし始めたんですが……」
「先程の店で、何か金額でもめていたようですが。もしかすると、仕入れ値が変わったのですか?」
「はい。半年ぐらい経った頃から少しずつ値段が上がっていって。最初の頃はそれでも何とか採算は取れていたんですが……。今となっては収める額の方が遥かに大きくなってしまって」
「もし支払いを拒めばどうなるのですか?」
「以前に一度だけ、支払いが遅れた事がありました。その時は……」
「その時は?」
「自宅の近くで襲われ、小指を折られました……」
 マフィアなどがよくやる脅しの手口である。顔ほど目立たないが決して軽い傷ではなく、そして生活する上で指を使うたびにこの事を思い出させる。念入りに釘を刺す際の方法だ。
「先輩、これってやはりそういう組織との繋がりがあるのでは? 彼らにもシマはあるでしょうし、何かしら協定が無い事にはこういった商売も出来ないはずです」
「だろうな。結局のところ、汚い仕事はそういう連中に全部押し付けてきたから、今まで検挙されなかったんだろ」
 これはもはや悪質な脱税行為というよりも、官吏と犯罪組織の癒着行為である。そもそも国税局の管轄から外れているようにも思えるが、これぐらいの手柄でなければ査察四課の存続は難しい。そして、この案件の危険性とはまさにここにある。
「あ、あの、これは本当に誰にも話さないで下さい。お願いします。今こうして話しているのも、とても危ない事ですから……」
「ええ、分かっています。協力者の保護プログラムが用意されていますから」
「そ、そうですか……。助かります、本当に。あ、申し遅れましたが、自分はバートと言います」
 安堵するバート。だがエリアスは、内心申し訳なく思っていた。保護プログラムとはあくまで重大事件の裁判における証人のためのものであり、事件の協力者への保護はあくまで個々人の良識の範囲と括られているのだ。当然だが、その事については本人に伏せておくしかない。
「先輩、これからどうしましょうか? ひとまず彼には、庁舎まで来ていただいて詳しい調書を取るべきだと思いますが」
「ああ、そうだな。つー訳で、これから移動だ。命より大事な用事なんて無いだろ?」
「え、ええ、まあ……」
 バートはざっくばらんな口調のベアトリスに対しては、未だに訝しんだ目を向けている。やはり国税局という肩書と釣り合わない素行に見えてしまうからだろう。
 ひとまずバートを連れ、国税局へと向かう。協力者という事で、彼が有力な情報を持っていればそのまま保護の話にも持って行きやすい。そんな事を考えつつ、エリアスは注意深く裏路地から大通りの方を確認する。
 その直後のことだった。
「あっ……と。すみません」
 通りに出てすぐ、後ろのバートがそんな事を口にした。すぐにエリアスの横を誰かが足早に横切って行く。たまたま後ろから来た通行人とぶつかったのだろう。そんな事を思っていたのだが。
「……あれ?」
 困惑の言葉と僅かな物音。エリアスは振り向き、そして息を飲む。
「お、おい! しっかりしろ!」
 その場に屈み込むバート。困惑と恐怖の入り混じった顔は蒼白で僅かに震えている。そして彼の手が左脇を押さえていた。指の間からぼとぼとと絶え間無く真っ赤な鮮血が流れ落ち、足元に大きな血だまりを作っている。その大きさは、素人目でも分かるほどに致命傷を負った事が明らかだった。
「エリアス、今の奴だ! 追え!」
 怒りの表情で怒鳴るベアトリス。エリアスは自失しかけていたが俄に我に返り、すぐさまその場から飛び出す。
 今すれ違った男。あれがバートを刺したに違いない。それは何時から狙っていたのか。こちらの動きは既にバレているのか。指示したのはやはりオリヴァーなのか。
 混乱するほど幾つもの疑問を脳裏に浮かべながら、闇雲に路上を駆け巡る。
 だが、そんな追跡で見つけられるはずもなく。エリアスは幾ら探し回っても、あの男を見つける事は出来なかった。