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 執務室は、何時になく重苦しい空気に包まれていた。それは、有力な情報提供者を失った事よりも、秘密裏に行っていたはずの捜査をオリヴァーに気付かれたのではないかという不安からだ。
 バートの暗殺は、必ずしもオリヴァーの指示とは言い切れない。単純にシマを取り締まるマフィアに制裁されただけなのかも知れないのだ。だがその事は、オリヴァーに連絡がされるかも知れない。けれど、オリヴァーが末端の事で連絡をさせる危険を避けているかも知れない。
 状況は不透明、なおかつ読み違えた時のリスクがあまりに大きい。それが、査察四課の一同に二の足を踏ませる理由だ。
 具体的な解決策が見当たらない。そんな鬱屈した空気の中、おもむろに口を開いたのはベアトリスだった。
「なあ、こうしていても時間の無駄じゃないのか? やっぱ、捜査はやろうぜ。バレたかどうかは、この際考えるのやめにしてさ」
 すると、ボスは躊躇いがちな皆を代表するかのように答えた。
「実際、バレていたらどうする? 何かしら対策を立てられるぞ。もしくは、俺らの中で誰かが殺されるかも知れない」
「バレてたらバレてたでいいだろ。なおさら、こういう無駄な時間を使うべきじゃねーよ。今までだって、強制捜査以外でも標的にバレてた事なんて何度もあったろ。おんなじ事なんだよ」
 ベアトリスは席から立ち上がると、かけていた上着を着始めた。
「それに、このまま何もしなくたって、査察四課は消滅、アタシらも何処の部署に飛ばされるか分かんねーだろ。だったら、やれるだけやった方がマシだぜ。アタシは、座ったまま死ぬのは嫌だからな」
「お前は良くても、俺は管理責任を問われるんだがなあ」
「そんくらい、仕事してくれよボス。ちゃんと給料貰ってんだろ? おい、エリアス。お前も来い」
 突然の飛び火に、エリアスは驚きの声を上げる。
「え? 自分もですか?」
「当たり前だ。アタシはお前の教育係だぞ」
 それが、こんな命懸けの捜査を強要する理由になるのだろうか。
 バートのように、自分もある日突然殺されてしまう様を想像する。幾ら武術を修めていると言っても、暗殺や不意打ちを防ぐ事は出来ない。どれだけ体を鍛えていても、ナイフ一つで終わってしまうのだ。
 今度は自分が殺される番かも知れない。それだけ危険な相手なのだ。だが、そんなことは今更だ。局長が予め自分に訊ねて確認したのは、こういう事態を想定しての事だ。
 やはり、自分は運が悪い。
 エリアスは苦笑いしながら席を立つと、さっさと執務室を出て行くベアトリスの後を追った。
「ところで、先輩。どこか当てはあるんですか? 闇雲に捜査してもどうにもならないとは思う相手ですけれど」
「ああ、ちょっとな。当ては無くもないんだ」
 そう答えるベアトリスは、珍しく自信のなさげな雰囲気だった。
「何か情報屋でも居るんですか?」
「近いが……たちの悪い奴らさ。こんな事を訊ねれば、間違いないなく力関係がおかしくなる。取り締まる側と取り締まられる側のな。ま、今までの貸しが貯まってるから、せいぜいそれがチャラになる程度で済ませる」
 力関係と貸し。エリアスは、何処かで聞いた覚えのある言葉だと思った。
 そう、あれは。
 自分が査察四課に配属された当日、初対面のベアトリスに連れて行かれた、とある会社。そこでのいざこざの結果が、まさにそれだったではないだろうか。