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 そこは、何処にでもありふれたごく普通の飲食店だった。保守的なセディアランドの伝統料理、外観も特筆するような特徴は無く、何か売りとなるような料理でも無ければ記憶に残る事は無い。それだけに、彼らの活動拠点には適しているのだろう。
 先日、ベアトリスの旧知のグループから得たのは、この店が拠点となっている事と、定期的に行われる会合が今日である事だ。そこに乗り込むのはもちろんエリアスの案ではないのだが、またいつものようにそれに付き合わされている。
 エリアスは、アントンとベアトリスの後に続き店の中へと入った。時刻は昼と夜の間の空白帯で、店内に客は二組だけと閑散としている。店内に入るとすぐにウェイトレスがやってきた。
「いらっしゃいませ。三名様でしょうか?」
「いや。責任者はいるか?」
「え……失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「国税局査察四課だ」
 国税局。その言葉に彼女の表情がさっと曇った。これまで幾度と無く見てきた、国税局という名前の持つ一般的な認知のされ方が分かる瞬間である。
「しょ、少々お待ち下さい……」
 辛うじて取り乱す事はせず、ウェイトレスはすぐさま事務所の方へと駆けて行く。責任者が来るのを待たず、その後をすかさず三人は追って行った。
 事務所室への入り口は、店の奥まったスペースにあり、丁度客側からは見えない位置にあった。それを見越し、アントンは半開きになったドアを強引に開けて中へと押し入った。事務所には先程のウェイトレスと、壮年の気弱そうな男性が慌てた様子でこちらを見ていた。エリアスは後ろ手でドアを閉め、そんな二人に更にプレッシャーをかける。
「あ、あの、私は店長のクラークと申しますが……。納税の事に関しては、税理士の方へ任せておりまして、きちんと申告しているはずなのですが……」
「それは結構。本日は、それとは別件で伺わせて頂きました。急な事で申し訳ありませんが、何卒御協力をお願いしたい」
 アントンの口調は、お願いするようで有無を言わさぬ威圧感があった。気弱そうな相手と踏んで、多少強引に話を進める腹積もりなのだろう。
 クラークを事務机の椅子に座らせ、すぐ隣に別の椅子を引きアントンも腰掛ける。その距離は彼にとって非常に威圧感を覚えるものだった。常に無表情で淡々とした話し方をするアントンは、彼のような人間にとって非常に苦手だろう。
「この辺りを仕切っている組織、闇の影と名乗っているそうだが、それについて心当たりはあるか?」
「え、えと、いや、その……私共も客商売をしているからでして……」
「明言して貰いたい。我々は、無実の人間を拘束するような事を、出来ればしたくない」
「は、はい。その、そういった方々は存じております。ですが、それは! その、この辺りの店はみんなそうです。いわゆるみかじめ料というものを納めない限りは、商売なんてやっていけない訳ですから」
「それだけじゃないはずだ。この店は、もっと他にあるだろう」
「いえ、その、えっと……」
「即答出来ないのが証拠だ。無駄な事はよせ。下手な誤魔化しや嘘は、すぐにバレる。お互い時間の無駄というものだ」
 アントンの有無を言わせない迫力の前に、クラークはだらだらと冷や汗をかきながら表情を青ざめさせている。それだけでも、少なくとも彼が一般的なみかじめ料以外の繋がりがあることは明白だった。そしてその繋がりは、おいそれとは口に出来るものではない、そんな深刻さを窺わせる。
「あ、あの……あなた方は国税局の方でしたよね? どうしてこんな事を……」
「訊ねているのはこちらだ。答えるのか、答えないのか。それとも、口を割られたいのか」
「そ、そんな事は……いえ、ですから、そう易々とは言えないのでして……」
「勘違いをしているようだが、我々の目的は取り締まりではない。お前の上の人間と話がしたいだけだ。話せないのであれば、お前自身が取り次いで来い。それまでは、ここで待たせて貰うが」
 犯罪組織の関係者だからこの状況も致し方ないと言えなくもないが、積極的に関わった訳で無ければいささか酷とも言える。しかし、現状の手掛かりかここにしか無い以上は、こういった手段に出るのもやむを得ないだろう。
「このまま少々お待ち下さい……」
 エリアスは了解を取った上でドアを開け、クラークを通す。クラークは表情を青ざめさせながら、慌てて事務所を飛び出していった。おそらく、目的の連中が居る所へ向かったのだろう。
「あの……これで大丈夫でしょうか? この後の展開って、どう考えても」
「構わない。俺達は、奴らと取引をしに来た訳じゃない」
「ですが、肝心の情報が得られない事には……」
「もぎ取れば問題はない」
 いつもの無表情でそう断言するアントン。普段は思慮深く見える彼の様子も、今は無謀な方法に敢えて身を投じているようにしか見えなかった。確かに、こちらの動きが既にオリヴァーに察知されている可能性を考えれば、焦りが出て行動が早計になってしまうだろう。けれど、だからこそ目的に対する手段は慎重になるべきである。アントンはかつてベアトリスの教育係だったそうだが、彼女の悪癖はむしろ彼が仕込んだのではないか、今となってはそのように思えて来た。
 不安を募らせたまま待っていると、程なく廊下からこちらに近づいて来る足音が聞こえてきた。それは明らかに大勢であり、殺気立ったものだった。ドアから離れ身構える。すると室内には、いずれもまともな職ではない者達が殺気立って入ってきた。
 ドアを塞がれ、このままでは出る事が出来ない。そしてこれは、またいつもの流れになってしまうだろう。
 エリアスは、この案件はきちんと交渉はあると言ったかつてのショーンの言葉を思い出し、それとは対極にあるこの現状に卒倒しそうになった。