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 事務所に雪崩れ込んで来る男達。そして最後に、三十がらみの男がゆっくりと入ってきた。殺気立つ男達の中、彼だけは落ち着き払った足取りとアントンに似た無表情さを保っている。彼だけは別格だ、そうエリアスは感じ取った。
「国税がうちのボスと話をしたいそうだが。これがどういう事か分かって言ってるのか?」
「お前らのしのぎに興味はない。取り締まるにしても、管轄が違うからな。我々の目的は、お前らと連んでるうちの身内だ」
「国税局と連んでる覚えはない。そもそも、それはお前らの方こそ否定するべき事だろう。身内の不祥事を表沙汰にするのか?」
「それだけじゃない。逮捕から起訴し、社会的に抹殺するつもりだ」
 アントンが力強く断言したその言葉は、よほど予想外だったのだろう。男は驚きのためか、無表情だった口元を僅かに歪めた。
「なるほど、そっちの政治の都合か。だが、残念だが俺達には関係のない事だ。俺達は、国税との付き合いなど無い」
 やはり、そう簡単にオリヴァーとの繋がりを認めたりはしない。オリヴァーとの繋がりは、それだけ彼らに利益をもたらしているからだ。
 強攻策に出たところで、こうなるのは初めから予想がついたはず。アントンらしくない稚拙さだ。そうエリアスが状況を憂い始めた時だった。
「ならば、こちらは勝手にやらせて貰う」
 アントンはおもむろに上着の中から何かの書類を取り出し、それを広げて一同へかざした。
「これより強制捜査に入る。この店に申告されていない収入が存在する疑いがある。また、それについて反社会的組織が関わっているようだが、これについても必要に応じ対応を行う」
「……は? 令状?」
「二人とも、早速始めろ。店内の胡散臭い部屋は全て隈無く調べ上げるんだ。邪魔をするようなら、腕尽くで締め上げろ」
 強制捜査の令状。そんなものを取っていたなど、まるで話を聞いていない。そもそも、強制捜査の令状など裁判所は簡単に発行してくれるものではないのだ。
 なら、まさかあれは。
 そんな確信じみた疑いが脳裏を過ぎる。しかし、ベアトリスはまるで意に介さずに行動を始めた。
「そういう訳だ。お前ら邪魔すんなよ。捜査を妨害するんなら、こっちもそれなりに対応するからな」
「ふざけんな、てめえ!」
 一人の男がいきり立ってベアトリスへ殴りかかる。だがベアトリスは、難なく殴りかかってきた拳をかわし、同時に腹へ強烈な膝蹴りを食らわせた。男は床へ崩れ落ち、声も出せずもがき苦しむ。ベアトリスはそれについて一瞥もしなかった。
「よし、始めるぞ。ぼやぼやしてんなよ」
 ベアトリスの口調は普段と何ら変わりなく、またいつもの調子でエリアスを呼びつけた。この反応と態度、やはりベアトリスもあの強制捜査の令状の真偽について知っていたようだ。
 幾ら何でも無茶苦茶過ぎる。これは完全に犯罪だ。ボスは元よりショーンも知らないのであれば、この状況は暴走以外の何物でもない。
 エリアスの心配を余所に、ベアトリスは次々と事務所内の棚や引き出しをひっくり返し始める。それは明らかに捜査のそれではなく、ただ散らかす事を目的とした乱雑なものだった。先輩にやれと命令はされたが、生来揉め事は避けたがる性格のエリアスにとっては躊躇わざるを得ない状況だ。
「おい! てめえらいい加減にしろ!」
「もういいでしょう!? こいつらまとめてやっちゃいましょう!」
 ただでさえ殺気立っていた一同の我慢は、もはや限界といった様相である。エリアスは武術を長年嗜んでいるため、単なる街のケンカ自慢程度なら楽にあしらえる自信はある。けれど、こんな閉所でこの人数を一度に相手にするのは、幾ら何でも無謀過ぎると確信していた。第一、全員が行儀良く素手でかかってくる保証もないのである。これ以上怒らせてしまえば、文字通り三人の命取りになりかねない。
 だが、この期に及んでも、未だアントンは冷静なままだった。
「妨害もいいだろう。お前らの裁判での心証が悪くなって構わないのであればな」
「ケッ、上等じゃねーか! かえって箔が付くってもんだろ!」
「箔が付けば、これまでのようなお目こぼしは期待できなくなるぞ。刑務所での高待遇も期待できるな」
「関係ねえって言ってるだろ!」
 冷静な口調のアントンがよほど気に障ったのか、今度は集団の一人がアントンに目掛け襲いかかろうとする。しかし、
「やめろ!」
 殺気立った男達が一瞬で萎縮するほどの一喝。それを放ったのは、事務所に最後に入ってきたあの男だった。
「泥試合をボスは望まない。官吏とは尚更だ。お前らは少し黙っていろ」
 萎縮した手下達は無言で拳を下ろし、すごすごと下がっていく。狭い事務所内に大勢で押し寄せたせいで距離感はあまり変わらなかったが、嘘のように室内がしんと静まり返った事にエリアスは息を呑んだ。これだけ人がひしめいていながらもこの静けさ、直前の殺気立った様子を見ているだけに、彼の存在の恐ろしさがひしひしと伝わってくる。
「少しは話をする気になったか?」
「ボスはお前達と取引などしない。だが要件は伝えておいてやる」
「面子があるか。まあいいだろう。こちらもお前達のシノギを奪うつもりはない。それだけでも伝えてくれればいい」
 あくまで目的は、彼らと繋がっているオリヴァーだけ。彼を失脚させるだけの何かが手に入れば構わないのだ。しかし、このやり方は明らかに彼らの面子に傷をつけ、挙句このまま敵対しかねない。交渉の進行自体が危ぶまれるほどだ。
 二人が何を考えているのか分からなくなってきた。自分への説明が無いのは、やはり未だ未熟だと思われているせいだろうか。エリアスは長く忘れていた、査察四課へ配属されたばかりの憂鬱だった心境を、ここに来て突然と思い出してしまった。