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 その日、エリアスは有給を使い、東区中央にあるホテルへ潜入していた。そのホテルは聖都創立記念ホテルといい、聖都で最も格式の高いホテルの一つである。エリアスは青の翼の構成員の手引きで、臨時雇いの清掃員の肩書きを得ている。臨時雇いでは廊下などの共用スペースまでしか入る事は出来ないが、それでも建物内を歩き回る事が出来るのは非常にありがたい事だった。
 二階の宿泊エリアから順に清掃をし、最上階まで辿り着いたら再び下へ降りていく。その単調な清掃作業を朝から延々と繰り返していた。この苦行にも似たルーチンワークは、宿泊客には常に清潔な施設を利用して貰いたいという創業者の理念から来る方策である。その一方で苦痛な単純作業と捉える者も少なく無く、結果的に人手不足を補うため臨時雇いまで許容しているそうだ。エリアスが潜入出来たのも、この方策があればこそである。そして、エリアス自身はこういった繰り返し作業をさほど苦には感じていなかった。
 昼過ぎになり、往復回数が分からなくなってきた頃、不意にハジがエリアスの前に現れた。
「よう、さっきここの帳簿を調べてきておいたぜ」
「え、どうしてここに?」
「客として来てんだよ。ま、身分証の類は全部偽造だけどな」
 ハジはエリアスの連絡係兼監視役であるが、まさかここまで付いてくるとは思ってもみなかった。最初は青の翼から刺された釘程度にしか思っていなかったのが、こうして彼もリスクを背負うと幾分か仲間意識のようなものが芽生えて来たと思える。
「例のオリヴァーって奴、私設秘書官の名前で予約しているぜ。そろそろチェックインしてくるはずだ。それと夜の影も、多分偽名を使って既に昨日から宿泊している。こりゃ、偶然と呼ぶには不自然だよな」
 ハジはそれらの情報を記したメモをエリアスへ手渡した。そこには、この短期間で調べたとは思えないほど様々な情報が並んでいた。違法な組織でありながら、査察四課よりも遥かに調査能力が上のようである。いや、違法な組織だからこそ出来得る手段の賜物なのだろう。
「ええ、そうですね。わざわざ他人別人を装っているという事は、明らかにここで会う約束をしているのでしょう」
「現場押さえるつもりなら、これが最初で最後のチャンスだろうな。ま、俺達青の翼の仕事はここまでだがな」
「いえ、十分過ぎる程ですよ。本当にありがとうございます」
「一応念押ししとくが、約束は忘れるなよ。この件が片付いたら、俺らは奴らのシマを取りに行く。お前はそれを手伝うんだ」
「分かっています。約束は守ります」
 ハジはにこやかに手を挙げ、その場から立ち去った。一旦彼を自分の仲間のように感じていたが、今の念押しでそれが自分の一方的な勘違いと思い知らされる。彼らが自分に協力するのは、あくまで利害関係から来るものに過ぎないのだ。
 この件がどういう幕引きになるにせよ、自分はこの後に必ず取り立てられる。それほどのリスクを背負ってまで得た好機なのだから、何としてでも結果を出さなくては。いよいよエリアスは気を引き締める。
 エリアスはそれからごく普通の掃除夫として、至極真っ当に黙々と仕事をこなしていった。自分が国税局の人間である事を知っているのは、ハジの他にはいない。そのため、疑われるような真似をする訳にはいかなかった。
 しばらくして、階段の方から数名の足音が聞こえてくる。エリアスは宿泊客が案内されているのだと察し、素早く廊下の隅へ移動し顔を下げた。通り過ぎて行ったのは、荷物を持ったホテルの案内係とスーツ姿の男が二人、壮年の男とまだ若い男の二人である。エリアスは壮年の男の顔を一瞬盗み見て、彼が今回の事件の発端であるオリヴァー本人であると、何故か直感した。
 二人は廊下突き当りの部屋へ入っていく。エリアスはその部屋の場所を確認し、しっかりと記憶する。
 これで、このホテルにオリヴァーと夜の影が揃った事になった。彼らがいつ会合を行うのかは分からないが、少なくとも到着早々は無いだろう。それでも時間はあまり無い。
 次にやるべきこと。それは、この現場を公にすること、その為に必要な頭数を揃える事だ。
 査察四課の執務室へ向かわなくては。そして、皆を説得しここへ集めるのだ。