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「よーし、準備はいいな!?」
 総勢十数名の局員の前で、ベアトリスは普段にも増して張り切った様子で号令をかける。
 東区の倉庫街、その一画に建つのは特にこれと言った特徴の無い二階建ての事務所。事務所の入り口の正面に、査察四課の局員が集合していた。
 ドルゴルス海運。それが今回、強制捜査を行う対象である。ドルゴルス海運は業界では零細規模の会社だが、明らかに意図的に申告していない利益が存在する。それについての警告等々、これまで再三に渡り繰り返して来たものの、一度として応じられていない。そのため、やむなく強制捜査に至ったのだ。
 ドルゴルス海運の事務所前には、既に同じ程度の人数の男達が揃えられている。完全に抗戦する構えであり、遠目から睨み合いが始まっている。
「向こうも待ちかねてる事だし、行くぞ! 独立後の初強制捜査だ、うまくやるぞ!」
 うまくやる。その妙に歯切れの悪い言葉に、エリアスは頭痛を覚える。うまく、の中には非常に様々な意味合いや思惑が含まれているのだが、それには捜査成功に関するものだけでなく、死人を出さない、逃亡を許さない、といった非常に物騒な意味も存在する。どこまで本気かはともかく、査察四課の新たな伝統にするつもりだとベアトリスは話していた。今回の強制捜査の指揮はベアトリスに一任されている。そのため普段以上に張り切っているのだが、エリアスにはボスが血迷った判断をしたとしか思えてならなかった。
 ベアトリスが先頭に立ち、他の局員を引き連れる形で事務所へと向かい進んで行く。ドルゴルス側との距離が縮むに連れ自然と罵声が飛び交い始め、辺りはたちまち騒然とする。ふと周囲を見回せば、いつの間にかこの騒ぎを見物する人だかりも出来始めていた。好奇の視線を浴びるのは初めてでは無いが、未だに慣れないものだとエリアスは溜め息をつく。
「オラッ! 国税局査察四課だ! 道を空けろ!」
 ドルゴルスの社員達の目前で、ベアトリスは誰よりも一際大きな声で怒鳴る。今にも掴み掛かりそうな剣幕で怒鳴る男達を前に、ベアトリスは全く気後れをしていない。相変わらず自分とは精神の構造が正反対だとエリアスは思う。
「先輩、待って下さい。まずは令状を見せないと」
「おっとそうだな。おい、早くやれ」
「はい。ここに、裁判所からの執行令状があります。まずはこれの確認を」
 エリアスが令状を提示し、そこまで言いかけた時だった。
「うるせえ! このボケが!」
 突然男の一人がいきり立ち、手にした角材をエリアスに目掛けて振り下ろして来る。エリアスは咄嗟に令状を庇おうとしたためそれを避けきれず、頭に当たらぬよう腕で防ぎはしたものの、バランスを崩して転倒してしまった。
「おい! エリアスがやられたぞ!」
「よし! このまま乗り込んじまえ!」
 それがきっかけとなり、一斉に局員達が突っ込んで行く。たちまちドルゴルス社員との乱闘が始まり、辺りに飛び交っていた罵声には人を打つ音が混じり始めた。
 期せずして一人蚊帳の外となったエリアスは、ゆっくりと立ち上がり、令状が無事である事を確認して上着の中へ仕舞い込むと、大きな溜め息をついた。
 国税局が念願の外局化を果たし、査察四課も現状の人員構成のまま引き継がれたのが一ヶ月前。内局だった以前とは違い、少しは仕事の内容も変わるのではないかと若干の期待をしていた。しかし結果はこの通り、以前とは何一つ変わっていない。それどころか、独立性の高さからより無茶をしがちになったような感すらある。
 こんな異常な乱闘騒ぎでも、社会の秩序の維持には必要なものなのか。
 エリアスは諦めと苦笑いばかり繰り返した。
「おお、派手にやってるね。怪我、大丈夫?」
 突然場にそぐわない陽気な声をかけられ振り向く。そこに立っていたのは青の翼構成員であるハジだった。
「いえ、きちんと防ぎましたので。それより、どうしてこんな所に? 危険ですよ。一応民間人なんですから、用があってもそういう体で」
「分かってるって。ちょっと興味があったんだよ、強制捜査ってのにさ。おー、すげえな。本気で殴り合ってる。刃物が無い以外は、俺らの抗争と何ら変わんねーじゃん。おっと、あのねーちゃんもいるな。またひっでえ蹴り方しやがる。あれはマジで痛かったなあ」
 ハジは明らかに面白半分でこの乱闘を見物している。彼らにしてみれば、法律に許された範囲で白昼堂々と乱闘騒ぎを起こす様は、愉快な見世物でしかないのだろう。
「それで、用件だけど。これ、うちのボスからだ。新しい情報。詳しいこと知ってる人がいるからさ、今日にでも話聞きに行ってね」
 ハジに手渡された封筒を素早く仕舞い込む。その中身は、国税局が取り締まり対象とする未申告の収入のある法人や個人などの情報だ。
「この会社を取り締まるとして、その後釜にそちらがつく、と。元々の約束ですから、何も口出しはしませんが。あなた方主導になってからは、申告だけはきちんとして下さいね。そうでないと、本業の方がありますから」
「分かってるって。俺らもあんたらと仲良くしていたいからな」
 そう笑いながら、ハジはぶらりとこの場から去っていった。相変わらず掴み所の無い性格だが、油断ならない人物でもある。青の翼としての活動は彼を通してのものだが、基本的に彼らの都合で動くことは無い。それは、ベアトリスに挨拶をさせたことに拠るものだ。こちらが情報提供を受けるだけという関係はありがたいものだが、実際多少の罪悪感は否めないでいる。
「おい、エリアス! てめえ、何サボってやがる! さっさとこっち来て、こいつに令状読ませろ!」
「は、はい! 今すぐ!」
 遠くからも雷鳴のように響くベアトリスの怒鳴り声に、エリアスは慌てて駆け出した。
 査察四課の非日常的で異常な勤務環境は、配属された頃と少しも変化はない。ただ、そこでの立ち方はいささか変わったかも知れない。それだけでまた、こんな事を続けられるのだから、自分も大概酔狂なのだろう。そんな自虐的な事を思いつつ、エリアスは急いで火中の元へ駆けた。