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 夜も更け、誰もが眠りについている頃。寄宿舎の自室で、コウは机に向かい作業をしていた。机の上には手のひらほどの小さな羊皮紙が留められ、コウはそこに針とインクで細かな文章をひたすら書き記していた。
 それは、セタの主だった活動の記録や、特に印象深い行動などのメモだった。本来なら、こういった記録は諜報活動の証拠として残るため、全て頭の中へ焼き付けたままにする。だがコウは、自分に何かあった時のための引き継ぎ目的でこういったものを作っていた。自分がセタの暗殺に失敗するのはそれほど深刻な問題ではない。重要なのは、自分の後任が再びセタの活動を調べるのに何年もの時間を費やす羽目にならないかだ。これだけの記録を作るのにも、コウは四年に及ぶ歳月を必要としていた。もしも後任へ何も引き継げなかったら調査は全てやり直しとなり、命令の達成には更なる年月が必要となるだろう。それでは達成よりも先にタイムリミットが来てしまう。
 コウは今年で十七歳になる。だがそれは正確な年齢ではなく、あくまでこのサンクトゥス国での戸籍上の年齢だ。実際の年齢は自身も知らない。コウは孤児だった。そしてその出身も非常に曖昧である。コウの生まれた土地は両国の会戦で何度蹂躙され国境線が引き直されたような所だ。コウはたまたまベネディクトゥス国の人間に拾われただけに過ぎない。
 そんなコウが今サンクトゥス国に居るのは、ある命令の遂行のためである。それは、ベネディクトゥス国が土地を失う原因となったセタへ復讐を果たす、つまり暗殺だった。そのためコウは身分を偽り戦災孤児として入国、そして紆余曲折を経て現在の状況まで辿り着いたのだ。
 セタは強い。彼は他の貴族騎士の野次や誹りも後目に、ひたすら愚直に日々訓練をしている。おそらく自分では、多少不意打ちをしたところで差し違える事すら出来ないだろう。だが彼は、非常に甘くお人好しな部分がある。そもそもその性格のおかげで、出自の怪しいコウが騎士団へと入る事が出来たのだ。セタを確実に仕留めるには、やはりこの甘い性格に付け込むしかないだろう。
 必要な事柄を書き込み終えたコウは、羊皮紙を小さく丁寧に折り畳むと、それをベルトのバングルの中へ忍ばせる。決して人に見られてはならないが、肌身から離す事も躊躇われるものである。コウにとってこれが露見する事は死よりも避けたい事態だ。
 灯りを消しベッドへ入る。そしてコウは、そろそろセタ暗殺の実行へ移したい、そういう願いを込めた構想を練り始める。
 騎士見習いの自分は、騎士用の武器の携帯を許されていない。訓練所では訓練用の殺傷力の低い武器しか使えず、そもそもセタに正面から挑んだ所で簡単に返り討ちに遭うだろう。
 正攻法が駄目ならば、可能な限り油断する状況を作り、短剣を隠し持って襲うしかない。だがセタは、温厚な性格ではあっても緊張感の無い男ではない。少なくとも城の内外を問わず、公務中は常に周囲に気を張り巡らせているだろう。
 毒物を使うのはどうか。毒物を得るには、まず相応の知識か人脈が必要になる。そしてそのどちらを得るにも更に時間を要し、これまで自分が築き上げてきた身分を一瞬で失うリスクもある。代替え案としてなら良いかも知れないが、あくまで他に手がどうしても見当たらない時の手段だろう。
 やはり、セタが最も油断する時を探し、それを狙うしかない。だが、公務中のセタは油断から最も縁遠いが。
 その時、ふとコウはとある出来事を思い出し、思わずベッドから跳ね起きた。
 セタは三年前、丁度コウが見習いとして入団した直後に妻を娶った。相手はセタと同じ孤児院の幼なじみで、名をマリーといった。コウは彼女とは二度会っている。一度目はその結婚式の際に、二度目は去年にセタの家に招かれ夕食を御馳走になった時だ。
 セタは外では決して油断をしない。ならば、自宅の中では、それも妻の前ではどうか。
 何とかして、もう一度セタの自宅へ招かれるような事が出来ないだろうか。そうすれば、セタが自宅で油断をする人間かどうか確かめる事が出来る。だが、コウは多少なりともセタと懇意にはしているが、あくまで上司と部下の関係である。馴れ馴れしく遊びに行くような間柄ではない。何か理由が無ければ、相当に不自然な訪問となってしまうだろう。
 やはり鍵となるのは、セタのお人好しで甘い性格か。けれど、一体どういった形で付け込むのが一番有効なのか。
 そこでコウの思考は止まってしまった。暗殺という使命を帯びてはいるものの、コウは年齢なりの人生経験しか持ち合わせていない。人の心情の機微を深く読み取る術は知らないのだ。
 やがて、コウは考え疲れてしまい、そのままベッドへ再び沈み眠り込んでしまった。明日になればまた時勢が変わり、何か良い方向へ好転するかも知れない。コウは物事を曖昧なまま進める性格ではなかったが、積極的な行動はかえって自らの首を絞めてしまう以上、現状ではそうするしか他なかった。