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 コウは朝の日課を終わらせた後、一人詰め所で佇みながら昨夜の事を思い返しては思案に暮れていた。
 セタが自宅でも警戒している理由、それは何者かが一年近くセタの自宅を監視しているためだ。そしてそれは、他の騎士団長が関係しているのだと、少なくともセタは考えている。ただでさえ折り合いの悪い貴族達を刺激しないため、この不審者について騒ぎ立てる事をしていないのだ。
 おそらく狙いはセタの妻だろう。セタ自身は強く油断が無いため、正攻法ではとても太刀打ちが出来ない。ならば弱点となる存在を狙うのは当然の戦法である。
 あの不審者の目的は分からない。だが、セタの隙を生むために利用、もしも利害が一致するならば連絡を取り合い協力する事が出来ないだろうか。もしもあの者の目的がセタの命であれば、尚更協力し合うメリットがあるはずなのだ。逆に協力を取り付けられなければ、セタはあのように四六時中警戒をしたままになり、暗殺する好機が巡って来なくなる。
 どうにか繋ぎを取る手段を模索しなければ。その日のコウは一日中隙さえあればその手段について模索し続けた。だが一人での構想で何か良い手段が都合良く閃くはずもなく、結局コウは特に何も思い浮かばないまま一日の業務を終えた。
 普段通り商店街で夕食を取り、寄宿舎の自室へ戻る。今日は特に記録しておくべき事はなく、早めに休もう。そんな事を思いながら部屋の鍵を開け、ドアノブへ手を掛ける。その直後だった。
「ん……?」
 コウはドアノブを握ったまま一瞬動きを止めた。それはドアノブを触った感覚に違和感があったからだ。コウは自分が留守の間に、万が一部屋の中に侵入されてもすぐ気付けるようノブに僅かに砂をまぶしている。通常ならノブを触った時に若干ざらつくのだが、今はそれが無く砂は綺麗に拭い取られている。これは何者かが侵入の痕跡を残さぬよう布越しにノブを握ったからだろう。
 ただの空き巣ならここまでする事は無い。となると、自分の正体を知っている人物の仕業という事になる。
 コウは最大限に警戒しながらドアノブを回してドアを引く。侵入した何者かが中で待ち受けているかも知れないため、警戒を解く事は出来なかった。ドアを開けながらさり気なく右手を動かし、袖に隠した短剣の重みを確かめる。万が一いきなり襲われた場合はこれで応戦しなければならない。だがあくまで暗殺用の鋭いだけで薄いナイフでは切り結ぶ事も不可能だ。仕掛けるならばこちらが先でなければ。
 警戒しながら自室へ入るコウ。すると部屋の中は既に明かりが灯されていて、視界の利く状況だった。暗闇に乗じて不意打ちをしてくるかと思っていたがそういう意図は無く、もしくは相手をしっかり確認してから仕掛けるつもりだったのか。
 そう思っていると、物陰からおもむろに人影がゆっくり姿を自ら現してきた。コウにとってそれは更に予想外の展開であり、ぎょっとして背筋を硬直させる。
「だ、誰だ!?」
 声を荒げるコウ。すると侵入者はコウに対して襲い掛かるでもなく、極めて涼しい表情で人差し指を口元で立てコウに沈黙を促してくる。その仕草から殺気や悪意の類はまるで感じられず、コウは毒気を抜かれたような気分になった。だが他人の部屋に勝手に入ってくる事自体、既に普通の目的を持っているとは思えない。コウは改めて警戒心を強め、忍ばせているナイフの重みを再度確認する。
「突然の事で驚かせてしまってすまない。まず、こちらには敵意は無い事を理解して貰いたい。だから、今回は丸腰で来ているんだ」
「素手でも人を殺す方法は腐るほどある。それに、自己申告など当てになるものか」
「おっと、その反応。やはりキミがそうだったんだね」
 この侵入者は、ベネディクトゥスの工作員である事を知っている。コウは全身の血が沸き立つような感覚を覚えた。それを知っているならば、生かして帰す訳にはいかないからだ。
 それにしてもこの男、一体何者なのか。コウは改めて侵入者をよく観察する。年齢は自分と同じくらいに見える。服装は王宮にも出入りしている雑貨の納入業者のもので、それ自体には見覚えがある。飄々とした態度ではあるものの、明らかにかたぎではない雰囲気を漂わせている。そして何よりも真っ先に気になったのが、この男の顔が昨夜セタの自宅を覗いていた者と全く同じだという事だ。
「お前、昨夜セタの家に居たな。何が目的だ?」
「大方予想はつくと思うけどね。まあ、思わせぶりな物言いはしないさ。キミと無関係ではないからね」
「なら、お前も……」
「同じではないさ。僕の目的はセタの引き抜きだ。だからキミに目的を果たされると困る」
 引き抜き。それはコウの目的であるセタの暗殺とはむしろ真逆の事だ。
「お前、祖国を裏切るつもりか……!? 何故王の命令に背くんだ」
 怒りと困惑に震えるコウ。すると男は、そんなコウの反応は初めから見越していたかのように答えた。
「やっぱり、キミはまだ知らないんだね。キミに命令を下した人は、もうベネディクトゥスの王ではない。今のベネディクトゥス王はカラティン様だ」
「カラティン……継承権の無い庶子じゃないか。譲位するにしても、どうしてよりによって」
「カラティン様が勝ち取られたからさ。他の王子を蹴落としてね。それだけ優秀なお方だ。今のベネディクトゥスは疲弊している。優れた人間が治めなければならない情勢なのさ」