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 週が変わり、ロプトとの取り決めでコウの活動が優先される週になっても、コウはあれから全く活動を進めていなかった。第十三騎士団内に内通者が居ること、騎士待遇になったため自由な時間が減ったこと、そういった制限される事情はある。だがそれ以外に、一体自分は何のためにこんな事をしているのかという疑問が浮かんで消えないのだ。
 コウは孤児で両親の顔を知らずに育った。自分が満足に独り立ち出来るようになったのは、ベネディクトゥス国現上王のおかげであるのは忘れた事はない。セタの暗殺の任務も、ただの主従から来る命令だけでなく、恩を返す意味もあるのだ。にもかかわらずコウを躊躇わせるのは、ひとえにセタの身上である。誰よりも愛国心が強く、誰よりもこの国に貢献した男。それなのに彼は、人並みの幸せすら得られない。この事へ覚える強い感情、それはまさに義憤と呼ばれるものかも知れなかった。
 その晩、仕事を終えて寄宿舎へ帰ってきたコウは、服を着替え荷物を片付けると、ベッドに座ったままぼんやりとしていた。貴重な時間を浪費している。それを理解はしていたが、どうしても先に進むことが出来なかった。果たして自分は、セタを暗殺するべきか否か。一向にその答えが出ないのだ。
 こうしていても仕方がない、何か行動しなければ。
 そう思いながらも動けないでいるコウは、ふとテーブルの上に無造作に置いたチラシの束に、一つ妙に色の濃い紙が混じっている事に気がついた。何となく手に取ったそのチラシは、どこかのバーの広告だった。しかしコウはこのチラシに違和感を感じた。紙質がチラシに使うような安物ではない事と、バーの名前や営業時間が全く記されておらず簡単な地図が描かれているだけだったのだ。
 ふとコウは、それがロプトが直接投函したものではないかと推測した。仮にそうではなくとも、今は何も考えられず夜もあまり良く眠れない。違っていれば違っていたで、少し酒を飲むのも良いのかも知れない。コウはそれ以上は深く考えず、服をまた着替え直し早速そのバーへ出掛ける事にした。
 ほとんどが閉めてしまった商店街をしばらく歩き、チラシの地図を頼りに路地へ一つ入る。バーは時折一見分かり難い立地でやる事がある。店が客の数をあえて絞って一人でも回せるようにするのと、客が限られた者しか知らない店を知っているという優越感に浸るためらしい。だがさほど飲み慣れてもいないコウには、それはあまり良く理解出来ない事だった。
 路地の一角にひっそりと営業するチラシのバーを見つけると、コウは早速店の中へ入った。店の中は外から見たよりもずっと広く奥行きがあったが、客の気配はほとんど無かった。あまり流行っていないのだろうか。そんな事を考えながら、コウは誰もいないカウンター席へついた。
「お、早速来てくれたんだね」
 おもむろに裏から出て来くるや話し掛けてきたのは、バーテンダーの格好をしたロプトだった。薄暗くてすぐに顔は分からなかったが、あの馴れ馴れしい話し方は良く憶えている。
「やっぱりお前か……。何をしてるんだ、こんな所で」
「夜はここで働いてるんだよ。昼の収入だけじゃ、何かとしんどくてね」
「どうせ別の理由もあるんだろ」
「まあ、そこはね」
 そしてロプトはにこにこしながら、頼んでもいないワインをコウへ出した。
「お近づきの印に。奢りだよ」
 相変わらずの馴れ馴れしい態度。そして、こちらが唐突に現れたにも関わらず何の動揺も見せないふてぶてしさ。自分と同様に単身潜入するだけあって度胸はあるのだろうが、どこかこちらを格下に見ているような気さえする。
 コウはロプトの思い通りになる事が気に入らなかったが、黙ってそのワインを手に取り一気に飲み干した。するとそのワインは思っていたより強く、思わずむせそうになってしまった。
「ほら、そんな一気に飲むから。大丈夫?」
「別に何でもない。それよりも、一つ聞かせて欲しい事がある」
「何でもって訳にはいかないけど、話せる事ならまあいいよ。何?」
「カラティンっていう新しい王、そいつはどんな人なんだ?」
 するとロプトは、これまで以上ににやけた顔を見せた。
「あれ? もしかして結構興味ある?」
「いや。俺はただ、セタがどういう扱いを受けるのか知りたいだけだ」
「それはつまり、場合によっては諦めてくれるってこと?」
「そういう意図はない」
 ロプトがどう思ったかはともかく、カラティン新王についてなら話せるようである。サンクトゥスへ潜入して以来ほとんどベネディクトゥスの政情を知らないコウにとっては貴重な情報だ。
「カラティン王が上王の庶子である事は知ってるね。だから王位継承権も一番下、その上軍部や大臣などの後ろ盾もない。だから王位を勝ち取るには並々ならない苦労があった訳だよ。当然表沙汰には出来ない事もあるだろうし。どうしてそこまでして継承権にこだわったのか、真意は本人にしか分からないけれど、やり方は意外と単純だったんだ」
「単純? どんな?」
「後ろ盾のない彼は、自分の後ろ盾を一から作り出したんだよ」