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 コウはその夜もまるで眠れる気配がしなかった。正規の騎士となり、定期的に夜勤をしなければならなくなった事で生活のリズムが乱れたせいもある。ただコウはもっと別の理由、即ちセタの件についての不安が一番の原因ではないかと考えていた。
 明日は通常の日勤であるが、まだ眠れる感じがしない。そこでコウは、またロプトが勤めるあのバーへ行こうと思い立った。ロプトの顔が見たい訳ではないが、何かしら有益な情報交換が出来る可能性がある。例え無くとも、適当な酒を飲むだけで十分だ。
 あまり外で飲んでいる事を知られたくないコウは、フードの付いた大きめの外套を着込んで部屋を後にする。顔はすっぽりフードで覆い、灯りの少ない夜ではほとんど顔が分からないようにした。この国では十五歳から酒を飲む事は出来るが、若年での飲み歩きはあまり風聞が良くないのだ。
 時間も時間という事もあり、ロプトの勤めるバーまでの道のりはほとんど人通りが無かった。いずれも足早に行く人ばかりで、こちらには全く興味を示さない。コウにとってそれは実に都合が良かった。
 何事も無く辿り着けるだろう。そんな事を思いながら歩いていた時だった。
「あれは……?」
 ふとコウは、通りの向こう側から何者かが早足で向かってくるのが見えた。これまでと同じ、ただの通行人だ。初めはそう思っていたが、その背格好に見覚えがある気がして、コウは思わず傍の路地へ身を隠しすれ違い様にその者の顔を窺った。
 そして、コウは思わず息を飲み絶句する。それは、他の誰でもない、セタだったからだ。
 どうしてこんな時間にこんな場所を? 今日は夜勤では無かったはず。服装もまるで自分と知られないようにしているものだ。それに普段のセタならば、こちらの気配くらいすぐに気付くはず。まるで他の事に追われ気が周囲に回っていない印象を受ける。まさか、これからベネディクトゥス国へ妻と共に渡るつもりなのだろうか。
 不可解な状況にコウは、思わずセタの後を追おうとする。するとその時、セタは突然足を止め近くにあったゴミ収集箱を目にした。そして落ち着き無く周囲を確認すると、おもむろに何かを懐から取り出し中へ放り込む。そしてセタはすぐにそこから立ち去った。
 一体何を捨てたのだろう? ああも人目を気にしてまで。
 セタの後を付けるべきか。それとも、今捨てた物を改めるべきか。
 数秒考え、コウはゴミ収集箱の中を確認する事にした。立ち去ったセタは明らかに自宅の方へ向かっているため、まず今夜にベネディクトゥス国へ渡るような事は無いと踏んだからだ。
 すぐにゴミ収集箱へ近づいて蓋を開ける。
「あった、これだ」
 セタが捨てたらしきもの、蓋を開けて一番上にあったぼろ布の包みを取り出す。しかし、布越しではあるにせよ、コウは手に取った瞬間にはっきりとそれが何であるかを直感する。そしてゴミ収集箱とは違うほのかに異様な臭いがする。コウは恐る恐る包みを開ける。
「何故こんな……」
 中から出て来たのは、やはり推測した通りの短剣だった。ただ異なるのは、その短剣にはまだ乾ききっていない血がべっとりとついている事だ。
 こんな時間に人目を避けて捨てた、どう考えても事件性のある物。しかしこれを捨てたのがセタだという事実はどうしても信じたくなかった。
 何か理由があるはず。もしくは、自分がしょうもない思い違いをしているだけだ。
 にわかに背中がざわつき始めたコウは、あやふやな記憶を頼りに、セタが現れた方向へ向かうことにした。足早に向かうコウの脳裏には様々な憶測が浮かんでは消えていた。まさか、セタに限ってそんな事あるはずがない。コウはそう信じようとするが、どうしても不安がそれを裏切ってしまう。早くこの不快な感情を払拭したい。コウの足は自然と早まった。
 路地の先は一本道で曲がれる道は一切無い。この先から来たセタは何の目的で向かったのか。そして今は何があるのか。コウの脳裏には幾つもの憶測が雪崩のように流れ込んでいく。
「うっ……」
 そして、コウは路地の先でそれを見つけてしまった。
 冷たい地面の上に突っ伏したまま動かない男。念のため首筋に手を当てて脈を取り、鼻先に手を当てて脈を見る。そして地面にじわじわと広がる血溜まりを見る。深いため息と共に、コウはそれを認めざるを得ない事に落胆する。
 事情も背景も理由も分からない。ただセタは、この男をあの短剣で刺し殺してしまったようだ。そしてその事実を隠蔽するつもりである。
 そして男の顔を確かめて見る。するとそれは驚くことに、先日セタの胸倉を掴んでいたあの騎士だった。
 これはつまり、あの時の仕返しだというのだろうか。まさかあの温厚なセタが、こんな事をするなんて。いや、こうなるには何か理由があったはず。気がつくとコウは必死でこの状況について擁護の言葉ばかりを並べていた。
 こうしていても仕方がない。この状況をどうにかしなければ。
 そしてコウは決意する。
 この死体、自分が隠蔽しよう。