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 人を殺すという行為は、対象が余程の手練れか警戒をしていない限りは、実は非常に容易い事である。最も難しいのは、証拠や痕跡を残さない事だ。暗殺者とはまた別の話だが、人間を消す事を生業としている者は、特に死体を消す手段に長けているそうだ。騎士の仕事を通じて、死体や殺人が発覚した事件には何度か関わって来た。そしてその犯人はいずれも、死体の始末で失敗し事が露見している。人一人を個人の力で無かった事にするのは、それほど難しく労力がいる事なのだ。
 コウは、近くのゴミ捨て場から調達して来たぼろ布で死体をくるみ、更に念入りに縄で縛る。有り合わせの応急的なやり方だが、これで幾分死体は運びやすくはなった。それでも困難な事に変わりは無く、また人目につかない保証は無い。
 どのようにして死体を始末するか。コウは目の前の大荷物を眺めながらしきりに頭を悩ませる。
 街の外へ運び出せば、沼に沈めるなり川へ流すなり、幾らでも始末する方法はある。だが、問題はその運搬方法だ。こんな時間でも人目に付かない保証は無く、ただ運ぶにしても人力では到底不可能だ。
 何か方法は無いか。
 しばらく思考を巡らせた後、ふとコウは去年に自分も関わったある殺人事件の事を思い出す。あれはとある男が些細な言い争いからうっかり一人の男を殺してしまったというものだった。その時男は、死体を運び出すために船を使った。だが男は船の漕ぎ手としては素人で、バランスを崩し転覆してしまった所で騒ぎになり露見してしまったのだ。
 そうだ、この方法なら。
 コウは荷物を物陰に隠すと、すぐ近くの川へ向かった。幸いにこの場所は川までは近く、一人で引き摺っても運び出せるだろう。問題は運ぶための船だけだ。
 コウは川沿いを目を凝らしながら船を探す。かつてこの辺りは回船で商売をしていた事があり、古い船着き場は幾つも残っている。戦争が長く続いた事で今は廃れてしまったが、整備された川は変わらず残っているのだ。
 一つくらい船は残っているはず。そう期待を込めてしばらくの間川沿いをうろついていると、案の定すっかり老朽化した船着き場の一つに古びた荷船が放置されているのを見つけた。コウは早速近くへ降りて船の状態を確かめる。船は縄でしっかりと繋がれてはいたが古く腐食しているため、ほどけはしないが手持ちのナイフで簡単に切り離す事が出来た。縄が古いという事は船自体も長らく誰も乗っていないという事だろう。そして肝心の船の状態を確認してみると、相当に傷んではいたが辛うじて水漏れはしていなかった。どれだけ耐久性があるかは分からないが、一回くらいならば乗る事は出来るだろう。
 コウは近くから古びた櫂を見つけ、ゆっくり慎重に船に乗り漕ぎ出す。船はかなり軋みはしたが、川は波が無いため揺れる事は無く、見た目よりもずっと安定感があった。コウも船を漕ぐのは素人に毛が生えた程度だが、ゆっくり慎重にやれば問題は無いと考えて差し支えなかった。
 転覆や衝突に気をつけながら、慎重に船を先ほどの荷物を隠した近くへ乗り付ける。そして物陰に隠していた荷物を力一杯引き摺りながら、苦労して船の上へ何とか転がし乗せる。船体は多少沈みはしたが、依然問題無く川の上に浮かんでいる。
 早くここから離れよう。コウが再び船を漕ぎ出そうとしたその時だった。不意にコウは、付近に人の気配を感じて動きを止め息を飲む。こんな所にこんな時間に、一体誰がどんな理由で来るのか。そう警戒しながら窺っていると、気配は少しずつこちらへ向かってくるのが分かった。もし見つかれば言い訳が難しいと判断したコウは、船を進め川の支流との合流点にある物陰へ船ごと身を隠した。
 息を潜めながら気配を探るコウ。近づいて来た何者かは、明らかにこちらに用があって来た足取りだった。しかし何かを探しているのか、先ほどから同じ所を何度もうろついている。こんな場所で探し物ならば、そう多くは無いだろう。酔っ払っているのならば静か過ぎる。まさか、実は既にこの事件は露呈していて、この騎士か若しくは騎士の死体を探しに来たのではないだろうか。
 場合によっては、この誰かも殺してしまわなければならないかも知れない。コウはナイフを右手で逆手に持ち、踏ん切りが付くように集中力を高める。
 なるべくなら、セタと無関係な人間は殺したくなかったのだが。この状況では仕方がない、運が悪かったと諦めて貰おう。そう覚悟を決めたコウは、頭の中で具体的な殺しまでの段取りを考え始める。
 それからしばらく経った後だった。
「チッ……すっぽかされたか」
 うろつく気配の主が吐き捨てたのだろうか、突然そんな独り言が聞こえて来る。それは中年の男の声だったが、コウには聞き覚えが無かった。男は尚も愚痴っぽく何事かを呟いていたが、この場所から遠ざかっていったためはっきりと聞き取る事は出来なかった。
 一体どういう事なのだろうか。待ち合わせをすっぽかされたような口振りだったが、その相手とはもしかしてセタだったのだろうか? 今の男とはどういう関係で、どんな用事があったのか。様々な憶測が頭を過ぎる。しかしコウは、一つとして明るい要素はない、そう悲観的になっていた。