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 その日の朝、コウは普段の通勤で通る街並みが妙に物々しい事に気がついた。既に通勤の始まる時間ではあったが、街中に憲兵達の姿がそこかしこにあった。彼らは何かしら調べていたり、通勤中の人々を止めては聞き込みをしている。更には、憲兵ではないが似たような事をしている者の姿も僅かにあった。諜報員紛いか、探偵稼業の者か。とにかく、誰かの意思で一斉に捜査が始まっている。それを実感させる光景だった。
 コウは、いよいよ恐れていた事が始まったかと、背筋の震える思いだった。敢えて強気に、自分は全く何も知らなければ関係もない、そういった素振りで歩いていく。実際のところ、疑われるのは好ましくない状況だった。コウは、死体と凶器の始末をした当事者の一人であるからだ。
 多少は聞き込みをされるかとも思っていたが、流石に騎士団の制服を来た人間を足止めする事には抵抗があるのだろう、コウは思っていたよりもすんなりと向かう事が出来た。
 しかし、王宮の近くへ差し掛かった時、思わぬ足止めを食ってしまった。それは、街の中に掛けられた橋の一つが、憲兵達が検問所を敷いたせいで人の行き交いが著しく滞っていたからだ。
 まだ時間に余裕はあるにしても、ほとんど進まない人の群れの最後尾に立ち尽くすのはあまり気が進まない。多少遠回りになっても迂回路を進もうか。そう思って踵を返すと、突然肩をポンと叩かれ呼び止められた。
「やあ。朝から迷惑なものだね」
「なんだ、お前か」
 コウを呼び止めたのはロプトだった。お互いの仕事の目的は対立するため、表立って敵対はしないにしても関わりは積極的には持たないはずだと思っていたのだが。ロプトはまるで旧知のように気軽にコウへ話し掛けて来る。
「知ってるかい? これ、どこかの領主の息子が行方不明だからって始まった捜査らしいよ」
「先日、王宮でも友人だかが聞き込みをしていたよ。約束を突然すっぽかして行方不明らしい」
「まったく、一平民が行方不明になっても誰も騒ぎはしないのに。貴族様だとこの仰々しさだ。本当に参るよ」
「生まれや身分っていうのがそういうものだろ」
 コウはロプトと歩きながら、そんな世話話をした。こちらから情報を出すつもりもなければ、ロプトもまたそれを要求しない。ならこういった世話話から何か得られるかも知れないと思ったが、ロプトはコウにとって目新しい情報は何も口にしなかった。警戒しているのはお互い様というところだろうか。
 しかし、不意にロプトはやや声を潜めコウに訊ねて来た。
「そっち、うまく行ってるようだね? 何かセタの特別な信頼でも得られたのかな?」
 思わぬ的を射た指摘に、コウは危うく動揺を表に出す所だった。自分は察せられるような迂闊な言動はしなかったはずなのだが。それともロプトは鎌を掛けて来ているのだろうか。
 コウは極力平素の様子でロプトに答える。
「そんな訳ない。ずっとそれが出来なくて苦労している」
「そうかな? その割に、前よりも振る舞いから焦りが消えて余裕が出て来たようだけど。それって順調って事じゃないのかな?」
「好きに取ればいいさ。駆け引きには乗らない」
「ふーん、まあいいけど。でもね、こっちの仕込みを邪魔されたら困るんだよね。事情を知らなかったにしても」
 その時、唐突にロプトはそんな思わせ振りな言葉を口にする。
「何のことだ?」
「惚けなくていいよ。君、思ったよりも不思議な行動をするんだね。僕はてっきり、このことで脅しでもかけるんじゃないかって思ってたんだけど。まさか証拠まで一緒に沈めるなんてね」
 コウはようやくロプトの言わんとする事に気付き、そして息を飲んだ。ロプトは、コウがトマスの死体と凶器を処分した事を知っているのだ。それだけではない。ロプトの口振りからすると、あの出来事は。
「まさか、あれはお前がやったのか?」
「そういうこと。どうして、なんてのは無しでね。あれはこの国への未練を完全に絶つための、まあアフターサポートみたいなものさ」
 セタは既に亡命の承諾をしているが、他に何か未練のようなものが残っていたのだろうか。そしてロプトはそれを絶つために、あんな強硬手段に出たというのか。
「お前、そんな理由で人を……?」
「君だって同じようなものじゃないか。おっと、君はそう言えばまだだったね」
 ロプトのどこか見下すような口調。それはまるで、未だに人を一人も殺めていないのは劣っている事だと言っているかに聞こえた。
「新王は……こんな事をしてでもセタを欲しがるのか?」
「さあ、手段は選べとは言われてないからね。それに、ああいう奴ら、何か見てて腹立つだろ?」
 そう言いながら、ロプトは道の先を指差した。どこかの貴族らしい馬車が、道行く人々をはね飛ばさん勢いで往来をかけている。実際あれにはねられても、ただの平民ならば一瞥すらしないだろう。この国で貴族という階級は、それほど別格なのだ。
「今のあれ、第三騎士団の副団長。最近遠縁の親類から領地を相続して羽振りがいいらしい。その前は、しょっちゅうセタに絡んでは剣術の稽古と称して痛めつけてた屑さ」
 その事はコウも知っている。実力差がそもそも段違いのためセタが大きな怪我をする事は無かったが、とにかくしょっちゅう絡んで来ては稽古をしようとするしつこい人間だった。ここ最近ではすっかり絡んで来なくなっていたが、そんな事情があったという事をコウは全く知らなかった。
「次はあいつをやる。今度は邪魔をしないでね。頼むよ」
「お前、そんな騒ぎを起こしてどうするつもりだ? セタを困らせるだけだぞ」
「ああいう奴らにセタがいいようにやられたって事が気に食わないだけさ。それに、せっかく我が国に迎えるんだ。ある程度の箔が必要だろう?」