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 ベネディクトゥスからサンクトゥスへ潜入した工作員は、自分とロプトだけでなく、もう一人いた。つまり三人が、それぞれ違う目的で潜入していたのだ。そう考えると、この状況が驚くほど納得がいった。ロプトは、カラティン王の命令でセタを懐柔して離反させるのが目的だと言っていたが、それは嘘なのだろう。恐らくカラティン王の配下ではなく、政敵にあたるような何者か配下だ。目的も、単にカラティン王の勢力をこれ以上増長させないためだろう。
「そのロプトという人間が、何かしらの策略でセタ殿を陥れているというのか?」
「まず間違い無いと思います。トマスという貴族を殺したのも彼、自分が隠した遺体の在処を知っているのも彼です。多分オービットを殺したのも彼でしょう。そして今、団長の身柄を拘束するようあちこち煽っているはずです」
「なるほど、目的はセタ殿の悪評を立たせる事だとするなら、確かに納得がいく。今は時間が惜しいから、君の持つ情報の出所や細かな事は訊かずにおく。それで、次に行動するならロプトはどう出ると思う?」
「あいつは、極論を言えば団長を殺すような事にこだわっていないと思います。そもそもベネディクトゥスへ亡命する事自体も無理に妨害はして来ないでしょう。だから、直接手を出して来るとは考え難いです」
「目的は悪評、社会的な信頼を殺す、そういった所か。それは厄介だな」
 セタの身柄を押さえようとする者さえ振り切れば、恐らくベネディクトゥスへの亡命はあっさり成功するだろう。ただ、その頃にセタの名声は地まで貶められると思って間違い無い。ロプトはセタを物理的に殺すのではなく、社会的に葬り去ろうとしている。それはロプト自体を抑えなければ、セタの亡命が成功しようが延々と続いてしまうのだ。
 セタが不当に貶められるのは許せない。しかし今最優先しなければならないのは、聖騎士団に身柄を押さえられないこと、つまりただちに亡命を急ぐ事に変わりはないのだ。だから、すぐに行動しなければ。けれど、貶められたセタを連れて行ったところで意味はあるのか。
 そんな悩みに頭を抱えたその時、セタがおもむろに口を開いた。
「私を不当に貶める輩がいるのなら、その事は気にせず亡命を最優先してくれて構いません」
「何を言うんですか、団長! あなたが命懸けで築いて来た事が、全部無かった事にされてしまうんですよ!?」
「それでも、やはり私は今が大事だ。私は家族と平穏無事に暮らせれば、それ以上は求めない。カラティン王の力になれないほど悪評が広がってしまっても、せっかくの骨折りに報えられないのは心苦しいが、私は私自身の評判などどうでもいいんだ。私はただの平民だ。元々、英雄だなんて器じゃない。英雄と呼ばれるのは、キリエ砦で散っていった戦友達の方だ。私は、彼らの戦果に乗っているだけにしか過ぎないよ」
 そう、セタは決して功績を誇らない。自分を英雄視させようともしない。コウは今までそれを、他の貴族や王族達に配慮しての事だと思っていた。しかし本当は、一人生き残ってしまった事に負い目を感じているからなのかも知れない。戦友の戦果を独り占めする形になってしまった事が申し訳なくて仕方ないのだ。
 すると、おもむろに使者は小さく含み笑った。
「なるほど。カラティン王が欲しがる訳だ」
「はい?」
「あなたの評判は以前から耳にしていました。国に尽くし、亡き戦友に敬意を忘れず、決して増長せず。カラティン王はそこを見込まれたのです。もっとも、あなたがこういった扱いを受けていた事までは存じ上げておりませんが。改めて私は確信しました。やはりあなたはカラティン王が必要とするお人柄です。あなたとその家族。無事にベネディクトゥスへ送り届けましょう」
「ですが、殺人の容疑がかかった私では……」
「関係ありませんよ。王はそんな事を気にも止めないでしょう。そもそも王が他の王子を押しのけて即位した簒奪者ですからね」
 そう笑い軽口を言う使者の様子からは、むしろカラティン王に対する敬意と親しみが感じられた。おそらくは相当に厚い信頼関係があるのだろう。
 先代を押しのけて即位したカラティン王とは、一体どんな人物なのか。コウは再びその者の人となりが気になった。セタの窮状を知らないとは言え、人柄を正確に評価する慧眼の一方、亡命をさせてまで自分の派閥へ引き込もうという強引さ。よほど治世者として恵まれた才があるのだろう。
 このまま共にセタ達とベネディクトゥスへ渡れば知り得る事である。だがコウは、自分はそうするべきではないと考え始めていた。セタは自分が知り得る中で最も素晴らしい人物である。彼の居場所は、彼を正当に評価してくれる者の下が相応しいだろう。だからこそ、このままではならないのだ。セタには不当な評判がついてはならない。ありのままで帰参するべきなのだ。そのためには、ロプトを始末するしかない。