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 魔女との戦いが終わり、その晩はジョンの宣言通りそのまま館に泊まった。
 ラケルを倒し、館は元の姿へと戻った。けれど、当初とはあまり変わりは無かった。館の手入れは実際になされていて泊まるには充分である事、館はごく普通の二階建てで二階には幾つかの部屋とバルコニーがある程度のありふれた作りだった。あの時、ジョンは二階に隔離されていたそうだが、結局はさほど手の込んだ方法でも無かったようである。狂騒の魔女ラケルは、人間を精神的に追い詰める事だけに特化していて、それ以外の事はジョンの言っていた通り、これまでの魔女に比べて温いのだ。
 ヘンリックは、キッチンで持参している保存食で夕食を取っていた。調理がしたい訳ではなかったのだが、二階は万が一の時にすぐ外へ逃げ出せない事と、一階の他の部屋は何処か居心地の悪さを感じて落ち着けなかったからだ。
 一頻り食事を終え、またいつものように酒を少しずつ舐める。しかし今日は普段と違って屋内であるため、あまり体を温める必要はなかった。そこに、今までエントランスにいたジョンがふらりとやって来る。
「もう、終わったのか?」
「ああ、もう落ち着いた……」
「ジョン、口。べっとり汚れてるよ」
 ヘンリックにそう指摘され、ジョンは口の周りを手のひらで拭ってそれを見る。そして、憂鬱そうに小さく溜め息をついた。
「そこに水瓶があるよ。一応、水も入ってる。俺は使ってないから、安全かどうかは分からないけれど……」
「どうせ洗うだけだから構わない。それに、どの道俺には毒なんて効かない」
 ジョンが毒を飲んだ所を見たことはないが、そんな事だろうとヘンリックは納得する。ジョンは魔女だけでなく何者にも強く、ヘンリックにはジョンが何かに苦闘する姿など想像も出来なかった。
「ジョン、今夜はどうする? 俺は二階には行きたくないから、このままここで寝るけど」
「俺は二階の何処かの部屋を使う。ちょっと一人になりたい」
 口の周りを綺麗に洗い流したジョンは、袖で口を拭いながらそう答える。
「ああ、分かった。ジョンなら何に襲われても平気だろうけど、取り敢えず気を付けて。一応此処は、魔女の住処だったんだから」
「ああ。お前もな」
 そしてジョンはキッチンを後にし二階へと向かって行った。
 これまでジョンと野宿をしたことは何度もあるが、ジョンは夜になると決まって一人で何処かへ行っていた。ヘンリックはそれについて深く詮索はしなかった。それは、ジョンがエルシャの事を思い出しては泣いたりしているのだろうと勝手に想像していたからだ。
 だがその勝手な想像も、最近は揺らぎつつある。時折、ジョンは本当にエルシャの事を今でも憶えているのかと、ジョンの振る舞い方から酷く不安になることがあったからだ。それほどまでに、今のジョンは昔に比べて変わり果てている。魔女と接している時も、接していない時も、打ち倒した時もだ。
 魔女喰いは、まともじゃない。
 ふとヘンリックは、鴉の宿り木亭でジョンの事を噂していた冒険者達の言葉を思い出す。
 彼らは皆、ジョンの行動がとても普通では考えられないという認識だ。魔女を倒しても貴重な宝物を持ち帰らず、ただ魔女を倒す事だけしか興味が無いというその振る舞いが、宝物が目的の彼らにしてみれば理解し難いのだ。そして、そんな理解の及ばない人間が魔女をも倒してしまう異様な力を持っている事に恐ろしさも感じている。
 ヘンリックは、彼らとはまた別の理由でジョンがまともでは無いと思っている。復讐で動いている事は理解出来る。けれど、手段や考え方が時折常軌を逸しているように感じるのだ。そして何より、魔女を倒した後に必ず起こるあれ。あんな事をしてまで魔女にこだわるのか、僅かに軽蔑の念すらある。それでも未だ魔女を殺す事にこだわるのは、それほどまでに恨みの念が強いからなのか。
 魔女達もまた、全てが思い上がりジョンを軽視している訳ではない。今回の魔女ラケルも、決してジョンを低く見積もってはいなかっただろう。けれどジョンはまるで関係無く魔女達を殺す。警戒している魔女すら殺せるほど、今のジョンは強いのだ。その力と殺意が本当に魔女だけに向けられるのか。これは冒険者達が抱くのと同じ不安だ。
 最後は、他の誰よりも自分が必死になって、ジョンに一線を越えさせないようにしなければ。そうしなければ、本当にジョンは怪物になってしまうだろう。人々から恐れられるような、狂った怪物に。ジョンをそうはしたくはないし、易々とさせるつもりもない。だが、いざという時に自分はジョンを止められるのだろうか。何人もの魔女を殺してきたジョンを。
 ヘンリックは、ジョンの黒い剣が自分に対して大きな口を開けて襲い掛かる光景を想像し、背筋を大きく震わせた。
 そんな事は有り得ないのに。
 必死に理性が否定するものの、その妄想を脳裏から振り払う事は出来なかった。