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 廃墟の無尽街をひたすら進み続けると、やがて街の中心地らしい広場へ辿り着いた。そこは東西南北の大通りが交わる円状の広場で、景観を意識しているのかこの周囲だけは高い建物が無かった。そして広場の中央には丸い奇妙な穴がぽっかりと空いていた。穴は深く底が全く見えなかった。穴の縁は非常に鋭利で、この穴が出来てからさほど時間は経っていないようである。
 元々ここには何かオブジェでも建てられていたのかも知れない。それを何かしらの方法でこのように地面ごと消してしまったのだろうが、周囲の石畳に目立った亀裂は一切無く、そこにあったものが忽然と消え失せてしまったようにしか見えない。溶かしたのか粉砕したのか、はたまた力強くで引き抜いたのか、ヘンリックにはどういった手段を用いればこんな事が出来るのか、まるで想像がつかなかった。
 正体の分からない技、これが飽食の魔女ハンナの力だ。これまで様々な魔法を使いこなす魔女達を見てきたが、ここまでストレートに魔力の強さと異質さを実感させる魔女はいなかった。飽食の魔女が他の魔女に比べ遥かに強い魔力を有している話の信憑性を、此処に来て痛感する。
「これ……やっぱり飽食の魔女がやったんだろうか?」
「ああ、だろうな」
「どんな力なのか分かる?」
「知らん。それに、どの道興味はない」
 ジョンは素っ気なく言うが、ヘンリックは看過できなかった。特に物音に対しては警戒しながらここまで来たが、これほど大掛かりな事をしていた兆候や気配など一切無かった。普通であれば、これほど大きな物を消すならばそれなりに魔力を蓄え練らなければならない。こちらに全く気付かれずこんな真似をする事は出来ないはずなのだ。飽食の魔女とは、それほど静かにこれだけの事が出来る実力者という事なのか。
 飽食の魔女は油断のならない相手だから、もっと警戒すべきだ。そう口にしながらジョンの方を振り向いた時だった。ジョンは腰に携えた黒い剣を手にし、その様子を慎重に窺っていた。
「どうかしたのか?」
「アリスがまた震え始めた」
「大丈夫か? ひとまず落ち着かせないと」
「いや……、これまでよりも震えが激しくなってきた」
 剣の震える音はこちらまで聞こえてくる。それはただ震えていると言うよりも、まるで何かと共振しているかのようだった。
 何が来るというのか?
 ヘンリックは自分がどれだけ悠長な事を考えていたかに気付く。魔女を喰い殺す剣が異変を知らせるのは、それこそ魔女が近づいた時に他ならない。
 その次の瞬間だった。ひたりと冷たく張り付くような小さな音がどこからともなく聞こえる。同時に剣の震えが止まり、周囲が耳鳴りがするほどの静寂に包まれる。ヘンリックが明らかに不自然な静寂だと思うのと同時に、呼吸がままならなくなり心臓が抑え切れないほど脈打ち始める。この常軌を逸した圧力、味わったのは久し振りの事だとヘンリックは思い出す。初めてこれを味わったのは、ヘンリックが生まれて初めて魔女という存在と対面した時だ。
 ひたり、ひたり、と這い寄る音。音はゆっくりこちらへ近づいて来ていた。それに伴い、ヘンリックの感じる圧力も更に強まっていく。あまりの圧迫感の強さに、ヘンリックはたまらず片膝をついてしまった。
「ジョ……ジョン、魔女だ。それも……異常だ!」
「ああ、分かってる」
 ジョンの視線は広場の中心に空いた大穴に向けられていた。ジョンはそこを睨みつけながら黒い剣を抜き放ち構える。黒い剣はジョンに命令されるよりも先に、その口を大きく開き構えた。ジョンはこの魔女の強さが尋常ではない事を察知したのようだった。魔女が現れるよりも先に警戒を露わにしたのは初めての事だ。
 ひたりと近づく音の主がゆっくりと姿を見せる。それは、広場の中央に空いた大穴の縁から、横向きの体を前へ倒すように現れた。大穴の側壁を天地を無視して歩いてきたらしく、その挙動は上下の概念が薄いかのように見えた。
「んんー? 何だ、珍しい気配を感じると思ったら。随分と懐かしいじゃないかねえ?」
 現れたのは、長く真っ直ぐな黒髪をなびかせる壮年の女だった。これが飽食の魔女ハンナだ。ヘンリックは必死で呼吸をしながらその姿を見据える。
「お前が飽食の魔女、ハンナだな?」
「おやおや、これはこれは。懐かしい奴だけじゃなく、なんとまあ。ククク……」
 構えるジョンに対し、ハンナはにたりと笑みを浮かべると、さも嬉しそうに舌舐めずりをする。ハンナの視線はまるで、ジョンを添え物のように見ていた。その視線はむしろジョンの持つ剣へ向いている。
「お前の都合に興味は無い。ただ殺すだけだ」
「こう混ざっていながら、随分と活きが良いものだね。勝手に居なくなったかと思ったら、随分な孝行者じゃあないかい。本当に、食欲をそそる」
 直後、突如としてジョンはその場から大きく後退った。ジョンが魔女を前にして退いた。それはヘンリックにとって驚愕すべき事態だった。これまでジョンが魔女に対して、戦端を開く前から気圧される事など一度として見たことが無かったからだ。
「どれ、せっかくだ。まずはお前の心尽くしから戴こうじゃあないか」
 にたりと笑みを浮かべるハンナ。するとハンナの口は、その嫌らしい笑みから更に広がり、口が左右に大きく裂け爆発的に質量を増やしていく。現れたのは、首から上が黒く巨大な顎となった異形の姿だった。