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 ヘンリックは意識のないジョンを背負い、すぐさま部屋へと運び入れる。その様を見た鴉の宿り木亭は騒然とした。これまで幾人もの魔女を倒してきたジョンが人に背負われて帰って来た様を見て、今度ばかりはしくじったように見えたからだ。それは単純に好奇心の視線もあれば、失敗を喜ぶ嘲り、無尽街への探索が遅れる失望感と、いずれも勝手なものばかりだった。冒険者達は、一人としてジョンを気遣っていない。それを感じ取ったヘンリックは、尚更ここは自分がジョンを支えなければと気持ちを張る。
 ジョンをベッドへ横たえさせる。そして次にどうするべきかを考える。ジョンの体は、あれだけハンナに貪られていた割には傷一つついていないが、一向に目を覚まさない。こうなってしまった原因が幾ら考えても見当もつかず、すぐにヘンリックは困り果ててしまった。
 これまでヘンリックは、ジョンの人間離れした様を何度も見て来た。だから一つだけ確信出来るのは、こんな状態でも医者に診せる意味が無いだろうという事だ。他に何か解決策を見つけなければ。ヘンリックは少ない知識を総動員し、ジョンを治す術を考え始める。
 すると、昏睡しているジョンをあの女性がまじまじと覗き込んでいるのに気が付き、思わずヘンリックは呼び止めた。
「あんた、何をしてるんだ? 何か分かるのか?」
「はい。ジョンはあれに、魂の大半を喰われてしまいました。生物は、肉体、魂、精神と三つのバランスが取れていなければ生きられません。今のジョンは魂が疲弊しているため、それに体と精神が引き摺られているのです」
 一体何を根拠にそんな理屈を並べるのか。
 けれど彼女の言葉は不思議な説得力があり、ヘンリックは反論の言葉を出せなかった。何も分からない自分よりも、彼女の方が今のジョンの状態を良く把握しているように思えた。
「なら、どうすればいい? どうしたらジョンを治せる?」
「それは―――」
 彼女が答えようとしたその時だった。突然部屋のドアが荒々しく開かれ、何者かが転がり込んで来る。
「ああ! ちょ、ちょっと! あの魔女喰い氏が負けたって本当なんですか!?」
 真っ青な顔で髪を振り乱しながら叫ぶ男。それはこの鴉の宿り木亭の主人であるロレンスだった。彼は熱心な魔女喰いのファンであるため、この件で酷く取り乱していた。そして、
「あの! すぐにお医者さんを連れて来ますから! 他に何か必要な物はありませんか!?」
 ロレンスの娘サラもまた、父親に良く似た素振りで叫ぶ。二人の血相の変え方はそっくりだとヘンリックは苦笑いする。
「いや、大丈夫だ。少し寝ていれば治る。騒がせたな」
「ああ! ヘンリックさんも酷い怪我じゃないですか! 早く、治療をしないと!」
 ロレンスに詰め寄られ、ヘンリックは反射的に手を伸ばしてそれを制止する。その時、ヘンリックは体のあちこちに激痛が走るのを感じた。今までジョンの事で頭が一杯で気が付かなかったのだろう、自分も恐らく骨に達する怪我をしているようだった。
 すると、
「どうぞ。その程度でしたら、これを飲めば明朝には治りますので」
 不意に近付いてきたあの女性が、ヘンリックに小さな飲み薬の小瓶を差し出した。何処に持っていたのかは分からないが、少なくとも雑貨屋で扱われる類の薬ではないようだった。
「あのう、ところで貴女はどなたでしたっけ? ジョン様のお連れ様?」
 ロレンスとサラは、そんな彼女を不思議そうに見る。ヘンリック以外の人を近付けないジョンに、別の知り合いがいた事を不思議がっているのだろう。
「私はアリスと言います。ジョンの伴侶です」
「伴侶って……ええっ!? あの!?」
「ジョンさんって、奥さんいたんだ……意外」
 驚きを露わにするロレンスとサラ。ヘンリックもまた、痛みであまりリアクションは出来なかったものの、伴侶という言葉に大きく驚いた。だが、すぐに今の言葉に疑問が浮かんだ。アリスという、ジョンが持っていた黒い剣と同じ名前なのは何故か。そして、あのジョンがエルシャ以外の伴侶を作るなんて事があるのだろうか。ジョンは復讐以外に興味は無かったはずなのだが。
「私は薬に長けております。ですので、ジョンの事は心配ありません。今日はこれでお引き取りを」
 アリスと名乗った女性は、淡々とした振る舞いでそんな言葉を発する。だが、何気ないその言葉でヘンリックの中に無数の閃きと疑問が交錯し、俄かにある事実へ辿り着かせる。そして次の瞬間ヘンリックには、頭が真っ白になるほどの強い激情が湧き起こった。その激情はヘンリックに痛みと疲れを忘れさせ、普段では有り得ない行動へ駆らせる。
「お前!」
 立ち上がり飛び出したヘンリックは、アリスの胸元を掴み上げるや否や、そのまま部屋の壁へ叩き付けた。
「キャッ!? ヘンリックさん!?」
 サラの悲鳴、ロレンスの狼狽する声はヘンリックに届かなかった。ヘンリックは怒りの矛先を、ただ目の前のアリスへと向けるだけで、周囲の事は全く見えなくなっていた。
「思い出した……お前、村に時々来てた唖の薬売りだな!」
 アリスは何も答えず、無表情でヘンリックをじっと見やる。彼女が本当に唖ではないことは分かっている。だがすぐに質問に答えない事は、ヘンリックの怒りを更に燃え上がらせる。
「あの頃と変わらない姿……お前、魔女だったんだな。初めから、ジョンに取り入るつもりだったのか? 何が目的なんだ?」
 ヘンリックは怒りに任せて次々と質問をぶつける。けれどアリスはされるがままに、無表情を保ったまま沈黙し続ける。それはヘンリックを見下しているためか、話せない理由があるのか、ただの後ろめたさかは分からない。ただ、それを冷静に見極めるだけの余裕が、今のヘンリックには無かった。
 答えないアリスに怒り、ヘンリックは更にもう一度アリスを壁に叩き付ける。そして、ヘンリックを最も激昂させた要因であるそれを、腹の底から振り絞った声で言い放った。
「答えろ! お前がジョンをおかしくしたのか!?」