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 翌朝、ヘンリックは自分でも思わなかった程の清々しい目覚めを味わった。かつてないほど疲弊しきった上に全身至る所に怪我を負って帰ってきたはずが、体は活力に溢れ全身の傷は全て消え去っている。普通では有り得ない回復の仕方だが、あの魔女アリスの作った薬だからこそ成せるのだろう。
 体が快調な分、空腹感も普段より強い。しかしヘンリックは、まずジョンの部屋へ向かった。何よりジョンの体調が気懸かりなのだ。
「ジョン、大丈夫か?」
 部屋に入り声をかけてみる。しかしジョンは相変わらず眠ったままで、よくよく注意して様子を窺わなければ生きているかも分からない程だった。
「ジョンは変わりません。根本的な治療が必要ですから」
 傍らに立つ魔女アリスは、そう無表情のまま語る。
「分かってる。あの魔女ハンナに魂を喰われてしまったからだろ。それで、治す手段はあるのか?」
「はい。魔女を一人、喰い殺します」
 そうアリスが話始めた時だった。不意に部屋のドアが外からノックされる。話の腰を折るのは誰だと、ヘンリックは舌打ちしながらドアを開ける。
「やあ、おはよう。魔女喰い氏の調子、どう?」
 そこに立っていたのは、この宿の主であるロレンスだった。
「いや、昨夜のまま何も変わらない。それで、何か用事か?」
「んーと、まあ、そうだね。ちょっと言い難いんだけれど……」
 ロレンスは言い淀みながら周囲を気にする素振りを見せる。何か大事な話なのだろうか。仕方なくヘンリックはロレンスを中へ入れる。
「大した話じゃないんだ。ただ、何か誤解があるといけないからね。先に話しておこうと思ってさ」
「回りくどいな。はっきり言ってくれて構わないよ。俺は、俺達がどういう存在かは分かってるつもりだ」
「そうか……。いや、ね。昨夜の事もあるんだけどさ、宿中の冒険者達がね、君らの事を怖がってるんだよ。元々、魔女喰い氏の事を気味悪がっている人は少なからず居たんだ。それが、その」
 そこでロレンスは視線をアリスの方へ向ける。しかしアリスの視線は、相変わらずジョンへ注がれたままだった。
「魔女を殺してる事よりもね、魔女と一緒になってたって事にみんな驚いてるんだよ。良くも悪くもね。だからそれで、魔女喰い氏を一斉におっかながっちゃって」
「要するに、魔女を殺すくらい強いジョンが正気ではないから、自分らにとばっちりが来ないか心配ということか。元々ジョンには焦臭い噂もあった事だし」
「い、いや、そこまでは言ってないよ! けど、宿中が怖がってるのは本当の事だ。かと言って、僕は君達に出て行けとは言わない。僕はね、此処に泊まる冒険者達は、冒険する目的で差別はしないと決めて開業したんだ。ここで君達を追い出したりしたら、それはこの鴉の宿り木亭の理念に背く事だからね。ただ、それでもみんなは怖がってるから、それを助長するような事はして欲しくないし、みんなの態度が気に障ってもどうか許してやって欲しいんだ」
 実際のジョンの評判が良くない事は、ヘンリックも知っている事だった。そもそもこれまでに泊まって来た宿は、どこもジョンの事を最終的には気味悪がっていた。それはジョンが魔女を殺せるほど強い事にではなく、そこに纏わる数々の噂のせいだ。魔女喰いは正気ではない、魔女の肉を食べている、飲まず食わずで眠りもしない、そういった人間とは思えない部分が、ジョンの強さと相俟って人々の不安を煽るのだ。
「別に構わない。俺達はどこの宿でもそうだった。どの道、残りの魔女を片付けたら出て行くつもりだ」
「ごめんね、そう言ってくれると助かるよ。この部屋には誰も近付かないようにしておくから。他に力になれる事があれば、遠慮無く言ってくれて構わないよ。それじゃ」
 ロレンスはそう言い残してそそくさと部屋を後にする。
 それほどここは居心地が悪いのだろうか。ロレンスの急ぎ振りを疑問に思うヘンリックだったが、ふとその理由に気付く。この部屋には魔女のアリスが居る。普通の人間にとって魔女は恐ろしい存在なのである。ロレンスが部屋へ入って来た事は、むしろ勇敢な部類なのだ。そして、その事にすぐ気付けない自分は、それこそジョンと同じように正気ではないと傍目には映るのかも知れない。
「話が途中だったな。それで、魔女を殺せばジョンは治せるのか?」
「はい。魔女一人分の力の源があれば、それで失ったジョンの魂を元に戻せるでしょう。ですが……」
「なんだ?」
「代わりにジョンの、あなたが言うところのおかしさは進むでしょう。ジョンはこれまで以上に強く魔女の影響を受けるのですから」
 ジョンを治した所で、これまで以上に人間離れしていく。ヘンリックは、その事に少なからずショックを受けた。ジョンの姿形が変わるのは、百歩譲って良しとする。けれど、物事の考え方や価値観までもが変わるのは、とても俄には受け入れ難い。それはまるで、ジョンがジョンで無くなってしまう事と同じだからだ。
「昨夜も訊いたが……ジョンはもう人間では無いのか?」
「純粋な人間とは言い切れないでしょう。かと言って、魔女でもありませんが」
「それでお前はいいのか? お前がジョンを愛してるなどと曰った事は信じる。けれど、それは人間としてのジョンじゃないのか?」
「私が完全な魔女と言い切れないように、ジョンが完全な人間である必要はありませんから」
「完全な魔女じゃない?」
「私は、単なる食材として産まれた魔女ですから」