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 街道を逸れ山を一つ越えると、目の前には小高い丘がそびえ立っている。その麓一帯には、不自然なほど黒土が広がっていた。そして黒土の周囲は老朽化したレンガの壁がぐるりと囲んでいて、それは防衛と言うより隔離の方が釈然とする光景である。
 ヘンリックは山を降りながら、そんな異様な光景と、すぐ前を音もなく進むアリスの背中とを交互に見ていた。
「もう間もなくですが。宜しいでしょうか?」
「ああ。別にこっちの事は気にしなくていい」
 魔女に気を使われる事は、ヘンリックにとってあまり面白くないことである。アリスもまた、表情も無く感情の抑揚が感じられないため、ヘンリックはアリスの言葉が親切心なのか他意があるのか計りかねていた。
 今回の目的地は、あの壁に囲まれた黒土の一帯である。そこは漆黒の墓場と呼ばれ、僅かに残る古代史に拠れば、かつては不治の病にかかり死んだ者達を埋葬するための土地だったそうだ。しかし記録はそれだけで、肝心の土の色についての記述は何も見つかっていない。ヘンリックは、この黒土は元々自然にある色なのか、それとも不治の病の原因となる何かが滞留しているのか、それが気懸かりだった。
「あの墓場跡に魔女が居る。漆黒の魔女マルタだ。それより、ジョンがいなくとも本当に倒せるのか?」
「はい。そもそも私は、そういう力を持って産まれたのですから」
 魔女が産まれる。
 今朝もその話を聞いたが、アリスは自分が魔女から産まれた魔女である事を口にしていた。ヘンリックは、魔女がどのようにして産まれるのか知らない。そもそも魔女とは既に存在しているもので、何処からやってくるのかなど誰も知らないのだ。
 産まれるという言葉で、ヘンリックはふと飽食の魔女ハンナの事を思い出す。
「アリス、お前はあのハンナという魔女とはどういう関係なんだ? まるで旧知のような話し方だったが」
「あれが私を産んだ魔女です」
 アリスはあっさりと答え、逆にヘンリックは驚愕する。
「なら、お前の母親じゃないか!」
「あれを親と思った事はありません」
 ジョンの魂を喰ったハンナがアリスの親ならば、やはりアリスは二心あるのではないか。そんな危惧を抱くヘンリックだったが、アリスの答えは整然としたものだった。親と思ったことはない。それはつまり、何らかの理由で決別したという事なのか。
 どういう経緯があったのか、それを詳しく知りたい。ヘンリックは素直にそう思う。そしてその好奇心を口にしようとした時だった。
「来ました」
 アリスがやや厳しい口調でそう言い、前方を向いたままゆったりと身構える。ヘンリックも即座に呼応して、剣を抜き放ち前方を注視する。
 前方には、漆黒の墓場とそれを取り囲む古レンガが見える。だがその丁度入り口らしき部分に、一人の人影が立っている事に気が付いた。
「魔女か……!」
 それは、黒い大きなぼろ切れを身にまとった、一人の若い女性だった。足は何もはいていない素足だが、そこには土の汚れ一つすらついていない。その不自然さが、如何にも彼女が魔女であると断定出来る要因だ。
「何をしに来たの? それも、魔女と人間が組むなんて珍しい」
「あなたを殺しに来ました」
 無表情のまま即答するアリス。だが、
「何故? 私は、あなたにも人間にも危害を加えていない」
 漆黒の魔女マルタは、更に理由を問うてきた。落ち着き払ったその喋り口調は、何処かアリスに似ているようだった。
「私に争いの意思はない。私の望みは、ただこの地で静かに過ごしたいだけ。あなたと戦う理由はない。だから、このまま帰って」
 なんだ、この魔女は。
 ヘンリックはマルタの態度に困惑する。魔女とはもっと残虐で好戦的な存在だと思っていて、事実これまで見て来た魔女は皆そうだった。しかし、彼女からはそういった素養が一切感じられない。高慢さも意欲も、すっぽり抜け落ちている。
「私にはあります。あなたの魂が必要なのです。魔女の強さの源である魂が」
「あなたも魔女なら、自分の魂を使えばいい」
「それは出来ません。そうすれば、私はあの人と添い遂げられなくなってしまう」
「魔女なのに、人と添い遂げるつもりなの? 哀れな考え方。それとも、狂ってる?」
「私は、意見や評論を聞きに来たのではありません。魂を喰いに来たのです」
 そう言って、途端にアリスの体から黒いもやのようなものが流れ始める。アリスのまとう雰囲気が一気に変わり、肌にひしひしと禍々しさが伝わってきた。ヘンリックはこの雰囲気を良く知っていた。ジョンが魔女と相対し黒い剣を解放した時と同じ雰囲気だ。
「避けられないのね。なら、私も黙って喰われる訳にはいかない」
 マルタはおもむろに右手を掲げる。すると、マルタの足元が突然震え出したかと思うと、急激に隆起し、マルタを高く持ち上げていく。隆起した土はあっと言う間に形を成し、巨大な人型と変貌した。ゴーレムの生成、ヘンリックは過去に読んだ事のある文献の一節を思い出す。
「そこの人間。逃げるなら今の内」
 ゴーレムの頭の上から、マルタはヘンリックに向かってそう話し掛ける。だがヘンリックは返事もせず、ただ剣を構えて見せる事で返答とする。
「そう、残念だわ。争いは避けたかったけれど、これでもうあなたは生き残れない」
 マルタの右手が再び宙を踊る。すると、今度はヘンリックの周囲の地面が次々と隆起を始める。それは丁度ヘンリックほどの背丈があるゴーレム達に姿を変えた。