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 アリスの魔力で、今度は鴉の宿り木亭内のジョンの部屋まで瞬間移動する。二回目ともなればさして驚きもしなかったが、ジョンの部屋の周囲には何人かの冒険者達が興味本位で集まっていて、彼らの驚きと忌避感の入り混じった視線には居心地の悪さを覚えた。
 部屋の中でジョンは、相変わらず生きているのか死んでいるのかも分からない様子でベッドに横たわっていた。アリスは珍しく足早にジョンの元へ駆け寄ると、床に膝をついて枕元を覗き込んだ。
「おい、ジョンは治せそうか?」
「ええ。ジョン……大好きなジョン。今、私があなたを治してみせます」
 アリスはぶつぶつと独り言を口走り、やがておもむろにジョンの方へ体を乗り上げると、そのままジョンと唇を重ねた。そこを接点に、アリスからジョンへ、ヘンリックには上手く説明が出来ない何か力の奔流のようなものが伝わって行くのを感じた。アリスが弱まったジョンの魂を治すというのは、きっとこういう事だったのだろう。
「これで大丈夫。明日にはジョンは動けるようになる」
 唇を離し、背を向けたままヘンリックへ説明するアリス。しかしもう一度体を乗り上げ、ジョンと唇を合わせた。二回目の行為には治療の意図も意味も無い。それを思うと、ヘンリックは酷く嫌悪感のようなものをアリスに抱いた。アリスがジョンに対してどれだけ真剣なのかは理解する。けれど、よりによってジョンにとっては宿敵でもある魔女と結ぶ事は、どうしてもヘンリックは受け入れられないのだ。それはもはや理屈ではなく、ただの感情論である。
 自分は、もっとアリスの事を理解するべきなのだろうか。
 そんな疑問を持ったヘンリックは、まだ残していた疑問をアリスに問いかけてみた。
「一つ訊きたい。お前、あのハンナという魔女と何があったんだ? どうして仲違いした?」
「あれは、自らの食欲を満たすために私を産みました。それを察した私は、あれの元から逃げ出したのです」
「食欲を満たすためって……それだけのために産んだと?」
「あなたが戦ったのは、あれの眷属ではありません。私のようなものを産み出そうとした、その失敗作です」
 ヘンリックはこの事実を一度に消化しきれず困惑する。
 アリスとハンナは親子関係である。しかしそれは、ヘンリックの想像よりも遥かに歪んだものだった。そしてあの肉の塊のような群れも、言うなればアリスの同族に近い存在である。そしてこれらを結びつけるのが、ただの食欲。魔女というものは、食欲ですらも常軌を逸したものなのか。ヘンリックは酷くおぞましい物を見せつけられたような心境に陥った。
「私は世の中の事も知らないまま世俗へ飛び出し、生きるためにあらゆる物を食べて命を繋ぎました。そのうち、自分の持つ強い力と特異性に気付き、それで自分が魔女と呼ばれるものである事を知ったのです」
「どうやって気付いたんだ?」
「魔女を食べたからです」
 ヘンリックの脳裏に、アリスがマルタを喰い尽くした光景が蘇る。
「今思えば、魔女を求めるのは私の本能なのだと思います。偶然相対した魔女に対し、私は強烈な食欲が湧き上がるのを抑え切れませんでした。初めて口にした魔女は美味でした。おそらく力のあるもの、それも自分に近ければ近いほど、私は美味と感じるのでしょう。そしてそれ以来私は、魔女を食べる事はありませんでした。それはまさに、私を産んだあれの欲望そのままだからです。私は、あのような存在にはなりたくなかった。ですが今は違います。ジョンのためになるのなら、そんな事は躊躇いませんから」
 魔女を食べる行為は、自分を産んだ忌まわしい親と同じ行動。だから本当は魔女を食べる事はしたくなかったが、その信念もジョンのためなら簡単に曲げられる。それはアリスの献身とも取れなくもないが、どこか依存めいているようにも思える。
「ジョンは、私が初めて心を惹かれた存在です。自らの欲求も満たせない魔女、出来損ないでどうしようもない私にでも、ジョンは最初から優しく接してくれました。ジョンのおかげで私は、自分に価値を見出す事が出来たのです」
 それは違う。ジョンは誰にでもそうだ。アリスが薬売りとして村に来た時も、最初は大人達が訝しがって近付こうとはしなかった。けれど、それをジョンが底抜けのお人好しと朗らかさで近づき、うまくみんなとの橋渡しをしたのだ。ジョンのそこに何も損得は無い。ただジョンが、そうせずには居られない性分だというだけだ。
 アリスの言い分はともかく、ジョンへの感謝は事実だろう。それだけに、ヘンリックは改めてアリスの行動に納得がいかなかった。
「ジョンに感謝していると言ったな。それなのにお前は、ジョンに誓約を課した。自分が力を貸す代償だ。魔女を憎むジョンなら受け入れるだろうと知った上で」
「そうでもしないと、ジョンは私を愛してくれません。ジョンの心中には、ずっと別の女が居ましたから」
 それはエルシャだ。ジョンの幼馴染で最愛の妻である。幼少の頃のヘンリックは、ジョンとエルシャが同じくらい好きだった。
 アリスの言葉に、ヘンリックはある意味安堵した。それはまさに魔女の考え方そのものだからだ。
「やはり、お前は魔女だ。人間の弱みに付け入り自分の思い通りにしようとするその本性は、幾ら言い繕っても隠せない」
「あなたは、何故魔女を憎むのですか? あなたも、大切な人を奪われたのですか?」
「ああ、そうだ。お前ら魔女は優しいエルシャを殺し、ジョンをこんな風におかしくしてしまった」
「それでジョンが心配だから、今までもずっとジョンに無理をして付いていたのですね。私と同じ」
 アリスの言葉は、ヘンリックの苛立ちを一気に沸騰させた。
「ふざけるな!」
 ヘンリックは危うい所で剣を抜きそうになった。たとえ無駄だと分かっていても、この剣を叩きつけでもしなければ怒りが収まりそうにないとすら思えた。
「二度と同じなどと言うな。魔女め」
 アリスが何かを言いかけたが、ヘンリックは耳を貸さなかった。
 ヘンリックは乱暴にドアを開け部屋を出る。そして自室へ戻ると、装備や荷物を無造作に放り投げ、ベッドへ腰掛けた。そのまましばらく、ヘンリックは頭を抱えた。やがて何度も嗚咽を漏らしている自分に気が付いた。
 ヘンリックはひたすら悔しかった。ジョンとエルシャの人生が狂わされた事、それを知っても今の自分にはジョンに対してさほどの事もしてやれない事、そしてそんな自分とアリスに僅かだが共通点を見出してしまった事に。
 アリスは明らかに今までの魔女とは違う。だが、それを認めてしまう事はエルシャとジョンに対する冒涜になるような気がしてならなかった。