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 その晩、ヘンリックは一人食堂の片隅で夕食を取っていた。明日の朝、早速ジョンと魔女狩りを再開しに出立する。相手は、一度負けた飽食の魔女ハンナだ。既にヘンリックの方は準備は万全であり、体調もアリスの薬によってかつて無いほど好調だ。今日はこのまま早めに休む。そんな事を思いつつ、黙々と食事を取った。
 夜の食堂は特に賑やかで、ヘンリックが目立たず食事をするのには好都合だった。鴉の宿り木亭では、相変わらずジョンとヘンリックに対する評判は良くない。下手に絡まれ揉め事を起こせば、まず間違いなく更に悪評を広める事態になるだろう。今更評判を気にする事はないが、ここでの生活がしにくくなる事、そして何より主であるロレンスを困らせるのは出来るだけ避けたかった。
 食事を済ませ、酒を一杯だけ口にする。後は部屋に戻って寝るだけだ。そうした時だった。
「よう、兄さん。ちょっといいか?」
 突然、一人の男がヘンリックに話し掛けて来た。見上げると、それはヘンリックとは特に面識のない、おそらくここを定宿にしている冒険者の一人らしかった。面倒事がやってきたか。ヘンリックは内心舌打ちしそうになる。
「何か用か。ジョンなら部屋から出ないぞ」
「いや、そう構えないでくれ。ちょっとあんたに話があるだけなんだ。あんたらと揉める気はないよ」
 そう男は釈明しながら、ヘンリックの返事も待たずに勝手に向かいの椅子へ座る。周囲は変わらず騒がしく、二人の会合にも誰一人気付いてはいないようだった。ひとまずヘンリックは、男の話を聞く事にする。
「なんて言うかさ、一つあんたに助言をしときたくてな。あ、そんな仰々しい事じゃないし、上から物を言うつもりもない。心の片隅にでも留めておいてくりゃいいんだ」
「必要かどうかは分からないが、ならば話してくれ」
「あんたもさ、復讐でやってるんだろ? あの魔女喰いと一緒に魔女を殺し回ってるって」
「そうだ。だから何だ?」
「俺は復讐がどうとか言うつもりはないよ。ただ、端から見てあんたが少し苦しそうだと思っただけさ」
「俺が? 苦しそう?」
 ヘンリックは、男の言葉に意表を突かれた。怪我や疲労は別として、少なくとも表に映るような精神的実感は無かったからだ。
「それは理由があるんだよ。多分だけどさ、あんたはとにかく魔女を殺したいって思う一方で、昔の事か何かに未練があるんじゃないか? 復讐を止める事は出来ない、けれど復讐を続ける事で後戻り出来なくなってしまう何かに未練があるんじゃないかってさ」
 心当たりがある。そうヘンリックは思った。自分への未練は無い。けれど、魔女を殺していくたびにジョンがどんどん昔の頃から変わっていってしまう事に不安を覚えている。少なくとも体はもうまともな人間ではない。だから、心だけでも元のままであって欲しい。魔女を殺し終えるたびにそう願うのだ。
「復讐ってのは、作法が大事なんだ。そうする事で、復讐と日常をちゃんと切り分ける事が出来るようになるし、自分の人生を復讐のためにしなくて済む」
「結局、復讐なんて止めろと言いたいだけか」
「そうじゃないよ。復讐を、安易に止めるな勧めるな。これは、俺の師匠の言葉だ。俺はあんたの復讐を止めもしないし、勧めもしない。ただ、どうせやるんなら何も心持ちまで苦しんでやる事は無いって思っただけさ。復讐なんてのは、ただの手段でしかないんだ。目的にしてしまうから、何だかんだとややこしくなる」
 ヘンリックは、男の語る事が理解出来るようで出来なかった。いや、それは単に理解出来ていても受け入れられないからだろう。男の考え方には一理あるが、それはこれまでのヘンリックやジョンの今現在に至るまでをも否定する事だ。復讐とは、黙ってじっとしているのは気が済まないからやる、そんな単純な事だ。手段として行うという理知的なやり方を選ぶくらいなら、それこそ人間らしい感情の否定である。
「あんたの師匠も、復讐をする相手がいたのか?」
「ああ、俺とは別の弟子にそういう事があったらしい。詳しくは知らないが、とにかくそれがきっかけでそういう結論に至ったんだそうだ」
 おそらくその人物にとって不本意な結末になってしまったから、そういう結論になったのだろう。結局は結果論である。失敗だったから、みんなはするべきではない。それは理性的な理屈である。復讐とは怒り、感情から生まれる行為だ。理性で縛れる程度の感情なら、初めから復讐などやらなかった。
「御高説賜ったが、俺達には不要な理屈だな。俺達は魔女が憎いから、恨みを晴らすためにやっている。恨みを理屈でどうこう出来ると思えるのは、お前らが無関係の傍観者だからだ」
 そうはっきりと断言するヘンリック。すると男は、特に補足も反論もする事無く、無言のまま席を立つと一礼してその場から去っていった。
 これは親切の押し売りなのか、それとも御節介と呼ばれるものなのか。どちらにせよ男の言葉は、恨みを晴らすという行為に否定的な立場を取るだけのようにしか思えなかった。そしてヘンリックは、そういった者達の言葉を一様に価値のないものとする。当事者でもなければ、恨みを晴らす行いを一切悪し様に語る。結局のところ、恨みというのは言葉では伝わらず、共有出来る感情ではない。だからヘンリックは、ジョンとは違う恨みで魔女と戦っているのである。