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 再びやってきた無尽街は、相変わらず不気味なほど静まり返っていた。整然とした廃墟は全く生物の気配がなく、吹き込むそよ風すらも無機質なように錯覚させられる。もしもこれが、本当に純粋な目的で辿り着いた冒険者だったなら、これほど心躍る場所は無いだろう。そうヘンリックは、思わずにはいられなかった。
「ジョン、ハンナは近くに居そうか?」
「いや、アリスの反応は無い。場所を変えただろう。どの道、魔女は一度決めた自分の縄張りからは滅多なことでは離れない。見つけ出すのに苦労はないはずだ」
 そう答えるジョンの左手が、腰に携えた黒い剣を撫でる。この剣は魔女すら殺す力を持ち、そしてその正体は魔女である。魔女アリスは、魂の半分をジョンに割譲した。そのため魔女本来の力を発揮するには、ジョンの存在が欠かせないのだそうだ。これから再戦を挑む魔女ハンナは、これまで戦った魔女の中でも最も手強い相手である。勝つためにはアリスの全力は必要不可欠だ。
「アリスが言っていた。ハンナは、魔女が食べたくてアリスを産んだのだと。だったら、向こうから来てくれるだろうな」
「そうだな。そうしてくれた方が、探す手間が省けて都合が良い」
 淡々と話すジョンの様子は、これまでと何ら変わらないように思えた。しかし、今のジョンはこれまで以上に魔女に近付いた存在だ。ジョンが変質していくと思いたくはないが、覚悟は必要だろう。
 無尽街を特に当てもなく練り歩く二人。ハンナの気配は相変わらず捉えられず、街並みにもこれといって変化は無い。時折、綺麗な断面をした抉った跡が見受けられたが、それは恐らくハンナが食べた跡だろう。無機物すら食べるのは、美食であれば何でも構わないという事の現れなのだろうか。
 そんな中、不意にジョンからヘンリックへ話し掛けて来た。
「ヘンリック、今更言うのは遅いかも知れないが。これ以上、俺に付き合わなくていい。いや、むしろもう止めるべきだ」
 唐突なその言葉に、ヘンリックは驚き息を飲んだ。
「急に何を言い出す。確かに俺は、ジョンみたいに強くはないし、足を引っ張る事の方が多い。けれど、ジョン一人じゃやっていけないだろ。それに俺だって魔女は憎いんだ。目的が同じなら、手伝わせてくれてもいいじゃないか」
「目的が同じ、か」
 するとジョンは、どこか自嘲めいた様子でそうぽつりと呟いた。
「俺は、もう人間のような食事をしない。夜だって眠る必要が無い。そういう欲求が全く無いんだ。けど、食欲が込み上げて来る事がある」
「知ってる。魔女の肉だろ」
 ジョンは魔女を殺すと、必ず残った魔女の肉を食べ出す。それには、食欲を満たす以外の理由は無い。ヘンリックはその行為そのものについては、少なからず軽蔑の意識があった。魔女の肉が食べたくなる発作は、単にそういうものとしか捉えていなかったが、今思えばアリスの魂の影響なのだろう。アリスは、初めて魔女を食べた時にそれが信じられないほど美味だと語っていたのだ。
「あれは、アリスの影響だと思っている。けど俺は、別に気にはしなかったんだ。魔女を殺す事にそれは何の影響もないのだから。けど、本当は違うんだ」
「違う?」
「俺は、今の自分が良く分からない事がある」
 そこでヘンリックは、ようやくジョンが弱音を漏らしている事に気が付いた。魔女を殺すようになった魔女喰いジョンは、そういった人間らしい弱さなど完全に欠落してしまったものだと思っていた。そう、ジョンにはまだそういう人間らしさが残っているのだ。
「ヘンリック。お前が俺の復讐を手伝ってくれるのは、本当に助かっているしありがたいと思う。もう俺の人生では面白い事は何も無いけれど、お前の存在だけは別だ。だから、俺の復讐に付き合わせる事は、申し訳ないと思いながらも、共通の目的があって嬉しいとも楽しいとも思うんだ」
「だからって、今になって俺を巻き込みたくなくなったというのは止めてくれよ」
「そうじゃない。もし復讐が目的だったら、俺は今のままで良いと思ってるんだ。本当に、復讐が目的なら」
「復讐が目的なら? 実は違うって言いたいのか?」
 そんなはずはない。ヘンリックは誰よりもジョンを理解しているつもりだ。ジョンはこの世の誰よりも魔女を憎んでいる。そして倒す力があるからこそ、こうして行動に移している。復讐以外が目的など、そんな事は有り得ないのだ。
「ヘンリック、俺は時折自分が良く分からなくなるんだ。本当は何のために魔女を殺しているのか」
「復讐するためだろ。ジョンの人生を遊びで滅茶苦茶にした奴らに。どうしたんだ、しっかりしろよ」
「俺だって最初はそう思ってたさ! けれど、段々と別な目的があるような気がしてきて仕方ないんだ!」
 声を荒げるジョンに、ヘンリックは驚きで体を震わせる。ジョンがこれほど感情的な声を出すのは非常に珍しく、二人の時は恐らくこれが初めてだろう。
「……何だよ、別な目的って。そんなものがあるのか?」
「俺は……魔女を殺す事が楽しみになってきた。それは、奴らを苦しめ悲鳴をあげさせる事じゃない。俺はただ……魔女の肉が食べたいんだ」
 そんな馬鹿な。ジョンの復讐心が、ただの食欲に負けるなんて事があり得るのか?
 ヘンリックは耳を疑う。ジョンがそんな低俗な理由で魔女を狩り回っているなんて、俄には信じ難い話だ。しかし、それを話すジョンの背中越しに見る様は、明らかに冗談をこぼしているようには見えない。
「俺はもしかすると、自分の食欲を満たすために魔女を殺し回っているのかも知れない。だから、復讐ならまだしもそんな事のためにお前を巻き添えなんかにはしたくないんだ……」
「ジョン……」
 ヘンリックは、ジョンに何と言葉をかけて良いのか分からなかった。ジョンは、ヘンリック自身が驚くほど人間らしく苦悩している。だけど、復讐心が薄れ反対に食欲が勝って来ている事など、ヘンリックにはどうしても信じられなかった。
 復讐心で魔女を殺しているのか。それとも食欲で殺しているのか。
 それは当事者であるジョンですら分からない事で、だからここまで深く深刻に苦悩しているのだ。