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 あなたは。
 ヘンリックは、アリスの言葉に含まれていたその何気ない言い方が気に掛かり、思わず問い返そうとする。それはまるで、自分は違うとでも言いたげではないか。だが視界の端で肉塊の群れが雪崩のように動き始め、ヘンリックはそちらに気を取られ剣を構える。真意を問えぬまま、アリスは再び閃光と共に黒い剣と化し、ジョンの手へ戻る。
「やるぞ、ヘンリック」
「ああ」
 意志の確認もそこそこに、二人はハンナの肉塊達との交戦に入る。
 ヘンリックは真っ先にかかってきた肉塊に対して、袈裟斬りに剣を振り下ろす。剣は驚くほど抵抗が無く肉塊を二つに斬り裂いた。だが、この肉塊達は幾ら斬られようともすぐさま体を繋ぎ直して再生を果たす。力はまだしも、この再生力だけは魔女と遜色が無いのだ。
 だが、
「オアアアア……」
 ヘンリックが斬りつけた肉塊は、人とも獣ともつかない呻き声を漏らしながら、その場で崩れるように溶けていってしまった。以前とは異なり、ただの一太刀で肉塊は再生が出来なくなっている。これは直前にアリスが剣に滴らせた薬の効能だ。
 まさか、ここまで有効だなんて。
 驚きと喜びの入り混じったヘンリックは、慎重だった姿勢を一転させ、肉塊の群れへ果敢に向かっていった。
「失せろ、化物共!」
 一つ、二つ、三つ、ヘンリックが剣を奮うたびに肉塊達は次々と形が崩れその場に溶け落ちていく。一度この肉塊達に物量で押し切られた経験のあるヘンリックにとって、ただの一太刀で倒せてしまう事は痛快極まりなかった。全く再生を考慮する必要が無い上に、剣が面白いように斬れてしまうため、気分の高揚感は抑えようが無い。実際、ほとんど剣を当てるだけで倒せてしまうのである。危機意識など持ち様が無い。
 肉塊の群れの勢いが落ち着き、ヘンリックはようやく足を止め周囲を見渡した。広場には溶け切れていない肉塊が幾つか散乱し、酷い悪臭を放っている。まだほんの少し蠢いている肉片もあるが、そこから再生する見込みは無いように見受けられた。気分の高揚感もあってか、息は多少切れて苦しかったが、それ以上に力が後から後から溢れ出て来るような感覚があった。今なら、まだどれだけの肉塊共が雪崩れ込んで来ようとも、全て一人で相手に出来る自信があった。それほどに今のヘンリックは自信に満ち溢れていた。
「ヘンリック、少し飛ばし過ぎだ。少し休め」
 そう声をかけてくるジョンの周囲は、最初とまるで変わり映えしていなかった。ジョンも相当数の肉塊を相手にしたはずなのだが、ヘンリックとは違って跡形もなく消し飛ばしてしまったのだろう。そして、ジョンは息を切らせるどころか汗一つ浮かべていない。
「大丈夫、まだいける。それに、こういう雑魚は元々俺の担当だ。ジョンこそ、魔女のために力を温存しておけよ」
「温存する事は無いさ。どうせ、力はお互い無尽蔵だ」
 そこに、数体の肉塊共がジョンに向かって襲い掛かる。それを察知したジョンだったが、事も無げに黒い剣を振りかぶると、そのまま肉塊共に目掛けて振り抜く。直後、目の眩むような稲妻が幾本も肉塊共に向かって次々と落ちた。肉塊共は一瞬で消し炭になり、そのまま塵となって何処かへ消えてしまう。
 これは剣術ではない。そしてヘンリックは、今の攻撃に見覚えがあった。今の稲妻は、かつてジョンと共に倒した魔女レアの魔力だ。あれはおそらく、アリスがレアの力の源である魂を喰い尽くした事で手に入れたのだろう。今のジョンは非常に魔女に近く、アリスが居れば魔女の魔力すらも使えてしまう。だからヘンリックのように、あの肉塊の群れに対して泥臭く戦う必要が無いのだ。
 ジョンの魔力は無尽蔵だが、自分でも倒せるような雑魚をいちいち相手させる訳にはいかない。ヘンリックは残りの僅かな肉塊に狙いを定める。
 その直後だった。唐突にヘンリックの背筋に冷たいものが走り、体中が自分の意思とは無関係に震え始める。気がつけば、いつの間にかヘンリックは十歩以上もその場から後退っていた。
「来たか……!」
 ジョンの声にも緊張が走る。黒い剣は何か意図を示しているのか、小刻みに震えながら澄んだ金属音を発していた。これも、アリスの感情の現れなのだろうか。
 魔女が現れる予兆は、ヘンリックも良く分かっていた。魔女の事を自然そのものが恐れているのか、周囲が異様なほど静まり返るのだ。今まさに、それをかつてないほどの濃密さで味わうヘンリックは、無意識の内に手足が凍えて震え出した。しかし、ハンナとまみえるのは二度目だからだろうか、寸前で理性を持ち直し、ヘンリックは一度深呼吸をするといつものように剣をその気配に向けて構えた。
 ぎゅんと音を立てて空間が歪み始める。それは、宙の一カ所に周りが吸い込まれているかのように見えた。そして歪みが頂点に達したのか、突然と赤黒い光を放ち、その歪んだ空間から一つの人影が飛び出して来た。
「おやおや、これは驚いたねえ。お前がそんな孝行者だとは思わなかったよ。こうして二度もやって来るとはねえ」
 歪みから飛び出して来たそれ、飽食の魔女ハンナは、ジョンの方を見るや否や、そう嬌声をあげて誉める。それはジョンに対してのものではなく、ジョンの持つ黒い剣、アリスに向けての言葉だ。
「おや、また魂の輝きが変わってるじゃあないか。他の魔女の魂でも継ぎ足したのかい? 喰い差しは口にしない主義だが、これなら多少なりともそそられるねえ」
 ハンナの口元がにたりと歪む。そのあまりのおぞましさに、ヘンリックは奥歯が少しずつ震え始めた。