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 ジョンとハンナ、それぞれの両顎が真っ向からぶつかり合う。その衝撃は凄まじく、二人の周囲は大きく地面を吹き飛ばした上に、ジョンの両足を膝まで埋もれさせた。
「あはははは! 抵抗するかい!? するよねえ! 喰われたくないからねえ! けど、お前はアタシに喰われるんだよ! 所詮、アタシの食材でしかないのだからねえ!」
「魔女が、自惚れるな!」
 ジョンは膝まで埋まった両足を片方ずつ強引に引き抜く。そして黒い剣を構えたままハンナの方へ更に詰め寄ると、更に剣へ魔力を込め始めた。
「なんだい、なんだい。本気で混ざり合うつもりかい? まあ、それでもいいさ。魔女と、魔女の魂を喰らってきた人間の和え物なんて、そう滅多に喰えるものじゃないからねえ!」
 黒い剣は、白くぼんやりと輝きながらも更に一回り膨れ上がる。ジョンの魔力、魂の力その物を喰らって肥大化しているようだった。黒い剣、アリスは見る見るうちに活性化していく一方で、ジョンは目に見えて衰弱を始めていた。
「やれ……! この魔女を喰らい尽くせ! ……俺の全部を喰らってでも!」
 更にアリスには強い力が流れ込む。それはもはや魔力だけに留まらず、魔力の源である魂そのものを削り取っているかのようだった。
 その時アリスの力は、流れが不安定ではあるものの、一時一時では明らかにハンナの力を凌駕していた。アリスの両顎は少しずつハンナを押し始める。そして突き立てられた牙を通し、ハンナからアリスへ、アリスからハンナへと魔力とその源の奪い合いが始まった。
「う……お前、まさかまだ退かない気かい……?」
「退くとでも思ったのか、魔女め。お前も所詮、他の魔女と同じだ。人間は皆、最後は自分に跪くと思い上がっている」
 吐き捨てるように答えたジョンは、尚も一歩ハンナへ迫り、そして手にした黒い剣をハンナへ押し込んだ。すると、その拍子にアリスの牙が深くハンナに食い込んだのか、ハンナは初めて一歩後退った。
「な、なんだい、この親不孝者め! 子の癖に、本気で親を喰うつもりかい!?」
 ハンナは明らかにうろたえ始めていた。真っ向からの力勝負に負けるとは露ほども思っていなかったのだろう。精神が乱れれば、魂が揺らぎ、体が動揺する。ハンナの怖気を真っ先に感じ取ったアリスは、より強く深く両顎を突き進めていく。僅かではあるが確実に、アリスはハンナを喰い始めていた。
「アリスは言っていた。お前を親と思った事は無いそうだ。お前も、アリスをただの食事としか見ていなかったんだろう? 今更孝行を言えた義理か」
 少しずつアリスに喰らわれ始めて、ハンナからはあの余裕の色は消え失せていた。そして挽回出来ない戦況と力の差に気付き、焦りの色が一層濃くなっていく。
 まさかここまで強くなるなんて。まさかジョンがここまで己を捨ててくるなんて。まさかーーー。
 生まれて初めての動揺を味わうハンナは、己を見失い我を忘れかけていた。自分が負けるような状況であっても、これまで喰い溜めて来た魔力によりあっさり逆転出来るはず。それがただの思い上がりだと気付くと、ハンナはたちまち未知の恐怖心に取り憑かれた。
 みしりみしりと音を立ててアリスの牙がハンナへ食い込んでいく。その恐怖に耐えかね、ハンナは両手に魔力を奮わせ、ジョンの体へ叩き込んだ。しかしジョンはびくともしないばかりか、魔力を両顎以外へ分散させてしまったため、アリスの牙がより深く食い込んでいく結果に陥った。
「諦めろ。お前は絶対に生き延びさせない」
 土気色になりかけた顔で、尚も強い意思を感じさせるジョンの目。それは執念や殺気などとひとえに言い表せるようなものではなかった。
 力が及ばない。言葉も通用しない。時間が経てば経つほど、自らの命が蝕まれていく。
 そんな状況の中、遂にハンナは捨て身の行動へ出る。
「うわああああ!」
 ハンナは泣き声のような悲鳴をあげると、無理やり体を仰け反り、アリスの牙から自らの体をを引き剥がした。だが力任せに剥がすあまり、ハンナの体は深くアリスの牙が喰い込んだ挙句肉体や魂まで大きな亀裂が入り、そこからハンナの大部分が魂ごとアリスへ引きずり込まれた。
「ヒッ……ヒイイ……」
 ハンナは呻き声を上げながらふらつく足取りで逃げ出す。既に避難するだけの魔力も魂も残されてはおらず、か細く萎れた二本の足だけが頼りである。そんなハンナは死と恐怖に苛まれ、恥も外聞もなく、ただひたすらにこの場を離れようと必死だった。とにかく生き延びなければ。ただその一言につきる。
「待て! ―――くっ」
 すぐに後を追おうとするジョン。しかし、ジョンは突然と目の焦点が合わなくなり、その場に膝をついた。ジョンもまた力の大部分をアリスに与え、ハンナに負わされた傷も満足に治せないほど疲弊していたためだ。
 黒い剣がアリスの姿へ戻り、ジョンの体を甲斐甲斐しく支える。しかしジョンはアリスにハンナを追わせようと、それを素気無く振り払う。
 ジョンはすぐに追って来れない。立ち上がることすら出来ないその様を見たハンナは、這々の体になりながらも思わずほくそ笑んだ。しかしその油断が、魔女なら普通はあり得ないミスを犯す。
「この、魔女がーッ!」
 天を裂くような絶叫。同時に、一振りの剣がハンナの体を一直線に斬り裂いた。
 唖然としながらハンナが最後に見たのは、血や体液にまみれながらも、目だけはぎらぎらと輝くヘンリックの姿だった。