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 勇者マックスが通っていたという剣術道場は、生家があった場所からしばらく歩いた路地沿いにあった。忙しなく馬車の行き交う大通りから離れているためか、グアラタルとは思えない閑静な立地である。建物の外観は古い木造で如何にも由緒ある雰囲気で、ここが勇者を輩出した道場だという威厳すら感じられる。
 オルランドは早速道場の門をくぐり玄関まで入る。そこでふと、この道場に幾つかの違和感を覚えた。道場には必ずと言って良いほどある看板が掛けられていないこと、そして道場の中から稽古の声や音が全く聞こえて来ない事だ。稽古なら、単に昼間だから勤め人の門下生が来ていないという理由が考えられる。しかし看板は明らかに不自然である。まさか、この道場も既に閉じられているのだろうか。
 俄かに不安に駆られたオルランドは、すぐさま玄関の戸を叩き中へ声を掛けた。
「おや、どちら様かな?」
 すると、玄関の中からではなく脇の中庭から一人の中年男性が姿を表し、オルランドの方を見ながら小首を傾げた。動きやすい稽古着姿の男は、にこやかな人当たりの良さそうな表情をしているが、一挙手一投足から迂闊に動けない威圧感のようなものを感じさせた。如何にも剣術を修めている人物だとオルランドは直感する。
「突然申し訳ありません。私はオルランドと申します。こちらが勇者マックスの縁の道場であると聞いて、是非お話を伺えればと思い来た次第です」
「ああ、観光の方ですか。まあ、何のおもてなしも出来ませんが構いませんよ。どうぞこちらへ」
 男はにこやかなまま快諾すると、オルランドを中庭の方へと促した。オルランドは一礼して彼の後に付いていく。オルランドが通されたのは、板張りの広い離れだった。そこは如何にも剣術の道場という佇まいだったが、今は門下生が来ていないためかどこか物寂しく見えた。
「さ、どうぞ楽にして下さい。粗末な物で申し訳ありません」
 道場の片隅にあった椅子とテーブル、それは応接用にしては随分と質素なものだった。使い古しをどこからか貰ってきたようにも見える。勇者の通った剣術道場だというのに、この質素さは流派の理念的なものだろうか。そうオルランドは思った。
「私はユーインと申します。一応、ここの師範という事になります。まあ、今となっては形だけですが」
「形だけ?」
「もうこの道場は運営していませんから。国から僅かながら恩給が出ていますので、それで糊口をしのいでいる有り様ですよ」
 そうばつの悪そうに笑うユーイン。諦めの見え隠れするその表情からは、剣術の実力者というよりも社会に敗北した哀れな人間という言葉が連想された。
「あの、何故道場をお辞めになったのですか? 仮にも勇者マックスが通っていた道場ならば、それだけで門下生は殺到するのではないですか?」
「だからですよ。オルランドさんは、こちらの出身の方ではありませんよね?」
「はい。生まれはメルクシスです」
「マックスの事はどのように伝わっています?」
「実はその事で訪ねて参りました。勇者マックスについて、実は驚くほど情報が少ないのです。魔王を討ち取った事ぐらいで、その後の事は不自然なほど聞かされておりません」
「なるほど。やはり、国が情報を規制しているんでしょうかねえ」
 国ぐるみで情報規制をしている。その可能性はオルランドも考えていたものである。しかしその動機がまだ今一つ確証を得るようなものが見当たらない。マックス一人の功績が大き過ぎるから、という説もほとんど憶測であり、何故政府がそこまで嫌がるかの理由も明確には分からないのだ。
「何かご存知なのでしょうか? 理由とか、経緯とか」
「まず、この国においての勇者マックスの名前ですが。残念な事に、あまり良い印象を持たれてはいないのですよ」
「勇者なのにですか? 魔王軍に勝利した立役者ではないですか」
「ええ。ですがその一方でマックスは、魔王討伐後の掃討戦の最中に戦場から逃げ出しているんです。逃げ出すことを咎めた親友を斬り殺した上で」
「親友を斬り……え? 何故そんなことを?」
「理由は分かりませんが、魔王を討ち取った時に何か事情があったのだと私は思っています。ただ……マックスの親友カスパール、彼もここの門下生で二人は無二の親友であり良きライバルでもありましたから、私にはとてもその出来事が信じられなくて」
 ユーインは酷く悲しげに薄い笑みを浮かべた。そこには、マックスとカスパール両名に対する師弟愛のような感情がはっきりと現れていた。