BACK

 囚人番号M20715が更生システムに指示され乗り込んだのは、緊急脱出用を思わせる小型の宇宙ポッドだった。一人乗りのポッドは操縦は完全自動で、一度乗り込めば目的地へ到着するまで一切身動きが取れない。囚人番号M20715は、地球からムーン・ダイヤへ収監される時もこれに乗せられていた。当時と比較してモデルは随分と刷新されているが、基本的な機能と構造は変化がない。地球と月の間で囚人を移動させる目的だけで作られた乗り物、その簡易さは移送と言うよりも配達に近いと感じた記憶があった。
 指示通りポッドに乗り込み、安全ベルトで体をシートに固定する。するとドアが自動的に閉まりロックされ、機内が僅かに加圧される。この外と空気が遮断される感覚が囚人番号M20715はあまり好きではなかった。元々他人の指示に従う事を嫌う自由奔放な性格だが、その自由を奪い閉じ込められたような気分にさせられるからだ。実際二十年以上も囚人として自由の無い生活を続けて来たが、彼の生来の部分はそのまま変わらなかった。
『安全確認が終了しました。これより地球への移送を開始します。なお、機密保持のため目的地は到着までお知らせする事は出来ません』
 そんなガイダンスの後、ポッドは自動操縦により起動し飛び立つ。囚人番号M20715を長年縛り続けていたムーン・ダイヤがあっさりと遠ざかり、収監当時の記憶なども思い出す暇も無かった。
 目的地不明のまま飛び立った事に、囚人番号M20715は特に不安は抱かなかった。どの道自分の国籍のある国以外に到着する事も無ければ、既に仮釈放が決定している身分であるため警察に追われるような事も無いからだ。そもそも囚人番号M20715は、生まれ故郷に戻るといった特定の地域への執着は無かった。自分が思い通りに振る舞え居心地の良い土地ならば、どこの州でも大差ないと考えているからだ。
 ポッドに窓は無く、ただただ外装の裏側がそのまま見えているような彩りの無い空間だった。両手を左右に伸ばす事も出来ないほどの狭さで、辛うじて足は斜め下へ伸ばす事は出来るが、シートは倒れないため仮眠も取り難い。目の前にはディスプレイが備え付けられているが、特にこれといった映像コンテンツがある訳でもなく、ただ現在の大まかな座標と機体の状態が表示されているだけだった。
 二十年以上ぶりに地球へ戻れるとなり、期待で胸を躍らせていた囚人番号M20715だったが、この状態が三十分も続けば飽きが出て来るのは無理からぬ事だった。目的地も所要時間も分からず、ただひたすら待ち続ける他無い。かつての収監時は、おおよそ半日がかりで到着した。今回も、少なくともそれくらいの時間はかかるだろう。
 手持ち無沙汰の囚人番号M20715は、仕方なしに仮眠を無理にでも取る事にした。暇潰しになるものもなく、カバンも開ける事が許可されていないのであれば、後はもはや寝るくらいしか残っていないからだ。
 宙間飛行を行うポッドの機内は、大気圏内を飛ぶ航空機と比べ遥かに静かだった。ポッド自体の駆動音が小さい事と、宇宙は真空で音が伝わらないためだと囚人番号M20715は解釈する。不自然な態勢ではあったが、その静けさと昨夜ほとんど眠れなかった事もあり、思ったよりも早く意識が遠退いた。囚人番号M20715は眠っている間も夢は見ず、シート越しに伝わる微かな駆動音を聞きながらの半覚醒状態だった。時間の経過を意識しながらの眠りだったが、睡眠不足が影響しているためか非常に心地良かった。狭いシートでも辛うじて寝返りは打てるため、眠り自体を妨げられる事はほぼ無い。何度もポッドが到着する短い夢を見ながら、囚人番号M20715はうとうとと浅い仮眠を続けた。
『間もなく大気圏に突入します。機体が揺れるため、衝撃に備えて下さい』
 どれだけ眠り続けていただろうか。突然ポッド内にアナウンスが響き、囚人番号M20715は反射的に目を覚ます。それから間もなく、機体がどんっと音を立てて僅かに揺れる。囚人番号M20715は思わずシートの手摺りを掴み、緊張で奥歯を噛んだ。地球からムーン・ダイヤへ向かう際には、この大気圏突入の衝撃は無かった。大気圏脱出の際に、全身に圧が掛かって息苦しい思いをした事は未だ記憶に残っている。囚人番号M20715は収監当時の事を思い出しながら、全身を固く緊張させていた。大気圏に突入し、ポッドが空気との摩擦を解する。このまま摩擦熱でポッドが爆発するのではないか、そんな嫌な想像が脳裏を駆け巡る。しかし囚人番号M20715の不安をよそに、この不規則な揺れは数分足らずで終わっていた。そしてポッドの揺れが収まった頃、再びポッド内にアナウンスが響いた。
『お疲れ様でした。当機は大気圏内に入りました。これより水平飛行を開始、目的地へ向かいます』
 窓が無いため外の景色は分からないが、既に地球へ到着したのだ。それを思うと囚人番号M20715は、自分でも予想外の感動を覚え、興奮のあまり呼吸が苦しくなり、自然と涙すら流れ落ちてきた。二十年以上も離れていた地球に、こうして戻る事が出来たのだ。その事実にはただひたすら感動しかない。
 ポッドがどこに到着するかは分からないが、もう間もなく自分は自由の身となる。仮出所者向けカリキュラムによれば、到着地点は無人であり、そこから自律行動が可能となる。即ち、ポッドの到着が仮釈放の完了となるのだ。
 その事を意識し強く実感するようになると、たちまち囚人番号M20715の胸中にはむくむくと欲望が渦巻き始めた。