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「……この状況で平気で嘘をつくとは、つくづく救えない奴だな」
 苛立つロイドの声。後頭部の銃口がより強く押し付けられる。囚人番号M20715はより死の危険を意識し、一層焦った。
「嘘じゃないって! 頼むから、どうか信じてくれよ! 俺はあんたに嘘なんかついちゃいない!」
「だったらお前、俺の妹の名前は知っているな?」
「ああ、知ってる。エセル・ウェイクマンだ。あんたが手紙を受け取ってくれるなら、その事も書くつもりだった。俺はあの過ちをいつも悔やんでいるし、深く反省しているんだ。もちろん、それを一生続けながら生きていくつもりだ」
「……お前が出していた仮釈放の申請。そのコピーが毎回俺の所へ送られてくる。その所感の欄にも妹の事は書いていたな」
「ああ、当然だ! 嘘じゃない、俺はちゃんと反省している!」
 その直後だった。囚人番号M20715の頭に強い衝撃が走る。込み上げた痛みに、思わず呻き声をあげながら頭を手で押さえる囚人番号M20715。一瞬撃たれたのかと思ったが、痛みこそ激しいものの意識ははっきりしている。焦るあまり何をされたのかすぐに分からなかったが、遅れて自分は銃のグリップで殴られた事に気が付いた。
「ふざけるなよ……! エセルのスペルは、最後はLが二つだ! 自分が殺した人間の名前もきちんと覚えられない屑の言うことなど、どうして信用が出来るって言うんだ!」
 ロイドの叫びに、囚人番号M20715は背筋が凍り付いた。これまで自分はエセル・ウェイクマンのスペルを一度も確認したことが無かったのだ。ただ、名前だけは聞いて知っていたのと、そんなに珍しくもない名前だったため、知っているスペルで記述をしていた。それがまさか、誤りだったなんて。すぐさま囚人番号M20715は弁解の言葉を考え始めるが、頭はうまく回らなかった。最初に撃たれた背中と今殴られた後頭部の痛みが酷く、殺される恐怖心に思考を支配されてしまっていたからだ。
「頼む、殺さないでくれぇ……。本当に、わざとじゃないんだ。俺はそこまで分からなかっただけなんだぁ……」
「エセルだって、今のお前みたいな気持ちだったはずだ! あんな形で人生を終えてしまうなんて、絶対に納得などいっているはずがない! 家族も友人もいない所で命を落とすなど、さぞかし心細かっただろうさ! 怖かっただろうさ! その張本人のお前が、何の反省もせず、自分は同じ目に遭いたくないと泣き叫ぶ! そんなの……通る訳がないだろ!」
 ロイドは怒りに任せて、床にうずくまる囚人番号M20715の体を何度も踏みつけ、蹴り上げた。囚人番号M20715はそのたびに悲鳴と嗚咽を上げる。もはや許しを乞う言葉すら口に出来なくなっていた。
 死ぬ。このままでは死んでしまう。せっかく仮釈放のために二十年以上も耐え続けて来たのに、地球の土を踏む前に死んでしまう。
 現実的な死に直面したせいか、囚人番号M20715の脳裏にある選択肢が浮かんだ。それは反撃だった。囚人番号M20715にとって反撃とは、模範囚として振る舞うため長らく自分の中で封印し続けて来た選択肢である。破る事に幾分かの躊躇いはあったが、命の危機が目前に迫っていてはもはやなりふり構ってはいられなかった。
「うわああああ!」
 突如立ち上がった囚人番号M20715は、無我夢中でロイドに向かって飛びかかった。流れ出る血や体中の痛みなどいちいち気に留めず、ただロイドを倒す事だけしか考えなかった。それ以外に自分が生き残る可能性は無いと思っていたからだ。
 不意を突かれたためロイドは、飛びかかる囚人番号M20715に組み伏せられる事はなかったものの、襟首を掴まれる事を許してしまった。そして囚人番号M20715は、すかさずロイドの顔面を殴りつけた。二度、三度と殴る内に、腕が異様に軽く感じるような気がした。自分が思っているよりも腕に力がこもっていない。それは長年の月面生活が祟り、地球の重力が合わなくなったせいか。そんな焦りから、囚人番号M20715はとにかくロイドが動かなくなるまで何度も執拗に殴り続けた。やがてロイドは、ゆっくり気持ちを落ち着けながら気組みを整えると、囚人番号M20715に対しての反撃に移る。ロイドは殴られながらも自分も同じだけ囚人番号M20715を殴り返した。その拳は見た目よりもずっと重かった。拳が割れる事を恐れていない、後先考えない殴り方である。
 二人の殴り合いは五分のように見えた。だが、偶然ロイドの拳が入った囚人番号M20715の腹部、その衝撃が背中の傷に響き、囚人番号M20715は予想外の激痛に思わずその場に膝をついてしまった。
「死ねえ、この屑が!」
 ロイドは下がった囚人番号M20715の顔を躊躇い無く蹴り上げる。それが決定打となった。囚人番号M20715は、その場に仰向けに倒れ込んだ。何とか体を起こそうとするものの、最初の銃撃と殴り合いでの負傷から思い通りに動けなくなっていた。
「もう終わりだ、もう、終わりだ! クソ野郎!」
 口の端の血を手の甲で拭いながら、ロイドは床に倒れる囚人番号M20715に向かって銃口を合わせる。そして、ほとんど間を空けずに引き金を引いた。室内に銃声が何度も鳴り響く。それは弾倉の中が空になるまで続いた。