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「あー、やっぱりそうなったかあ」
 事件から数日後、特務監査室の執務室は普段通りののんびりした空気に包まれていた。室長は例の如く朝から何処かへ外出で不在、ウォレンは自席で黙々と書籍を読み、エリックは書類整理などの雑務に精を出している。そんな中、いつものように来客用のソファーに深く座りながら新聞を読むルーシーが声を上げた。
「何かあったんですか?」
「ほら、この間のグラスグリス社の馬鹿社長。今度の臨時株主総会で追放される見通しだって。それで新社長はあの息子。発起人も同じ。株主達の後押しも凄かったのかなあ」
「確か息子さん、あの事件については起訴猶予処分になる見通しだそうですね。それでも株主が付いたという事は、まあよっぽどだったという事ですか」
「ま、あれだけやらかしてたらねえ」
 社長が何度も役人と揉めた上に、それでも原因となった曰く付きの骨董品集めは止めなかった。一見これが理由になるのだろうと思うが、セディアランド国民はそもそもオカルトめいた事は信じない。事件はあくまで理由の一つでしかなく、元から親子間の関係に問題があったと見るのが妥当だろう。
「なあなあ、どうして社長がクビになるんだ? 普通会社じゃ社長より偉いやつなんていないだろ?」
「先輩はホント残念ですねえ。今度は、社労士か経営関係の資格でも取ったら? 使えない資格なんか取ってないで」
「何だよ、ったく。今に見てろ、本当に取ってやるからな」
 ウォレンが自席で読んでいるのは、何かの資格の参考書である。自分に学がない事を自覚しているウォレンは、空いた時間に独学で教養を身に着けようとし始めたのだが、やはり形のある結果が出るものでなければモチベーションが保てないらしく、そのためあれこれ資格を取得するようになってしまった。仕事で生かされるかはさておき、確かに新聞に書いてある程度のことを正確に読み取るくらいの教養をつける方が先に思える。
 時折軽口を叩きつつ、如何にも暇を持て余しているといった最中。不意に外出先から戻ってきた室長が執務室へとやってきた。一応彼女が直属の上司に当たるのだが、それでもウォレンとルーシーは暇を持て余しているといった態度は改めない。当初から室長は二人のこの態度を容認しているからだ。特務監査室の悪い習慣だとエリックはつくづく思う。たまには室長も注意すれば良いのだが。
 そう思い何となしに視線を向ける。すると室長は唐突に予想外の話を切り出して来た。
「三人ともいるわね。急な話になるけれど、来週から我が特務監査室には出向の形で新たな人員を受け入れる事になりました。さ、入って」
「失礼します」
 室長に促され入ってくるその人物。彼女の姿にエリックは驚いた。
「あれ? この間の婦警さんじゃない」
「はい、自分はマリオンと申します。階級は警部補です。よろしくお願いします」
 ウォレンとルーシーは、彼女が先日の事件で関わった婦警である事に驚く。しかしエリックはそれとはまた別の事で困惑していた。エリックはそもそも彼女とは初対面ではなかったからだ。
「でも室長よう、何でまた? 警察庁の人間がうちに出向とか、何か不自然過ぎねえか?」
「ちょっと事情があるの。彼女ね、あの事件の責任者だったから引責させられる事になっちゃって。負傷者が多過ぎたこと、現場指揮を放棄したこと、勝手に刀を持って振り回したこと。そもそもうちの案件になるような刀だって当人へ知らされてなかった事が一番の原因なんだけれど、そこはね」
「あー、お偉方のメンツのためってやつか。現場が勝手な事をしたから責任はそっちにあるっていう」
「有り体に言えばそういうこと。あれが妖刀だった事を把握していた上で突入部隊を某部署の某さんが独断で向かわせたものだから、処遇に困窮してしまって。首相直属の組織の管轄に踏み入った負い目はあるけど、組織として全く処分も無しとはいかない。それで色々調整を図った結果、うちへの無期限出向となったのよ」
「おいおい、そんなの実質島流しじゃねえか。一度うちに入ったら抜けられねえのに」
「そうね。だからほとぼりが冷めた頃には、正式に転属となるわ」
 特務監査室が他の部署からどう思われているかは聞かないようにしているが、おそらくウォレンの言い方が最も的を射ているだろう。上役の責任を被せられる形で飛ばされたマリオンの心中は穏やかではないはず。そう二人は思っていた。
「はあー。マリオンだっけ。まったく、お偉方の都合で災難だな。勝手気ままに振り回されてよ。なに、うちもなかなか面白い仕事さ。市民を守るってところも警察と同じだしな」
「警部補ってことは、そこそこのエリートキャリアなんでしょう? 駄目な上役のせいで全部台無しかあ」
 そう同情し慰めるような口調のウォレンとルーシー。しかしそれを受ける当のマリオンはさほど気落ちしている様子は無かった。
「いえ、過ぎた事は気にしても仕方ありませんから。それに……」
 マリオンはおもむろに視線をエリックへ向ける。自然とエリックは背筋を緊張させた。
「エリック先輩と同じ職場なら、むしろ結果オーライかなって」
 恥ずかしそうに、しかし堂々と言い放つマリオン。その発言にエリックは、内心苦い表情だった。やはりそうきたか。そんな言葉が思い浮かぶ。
「あ、そうか。そういや二人は知り合いなんだっけ? 現場では後片付けでバタバタしてあんまり話せなかったけど」
「エリック先輩とは、聖都大時代の一年先輩後輩の仲で同じゼミでした。本当は私もエリック先輩と同じ省庁に入りたかったんですけど、そこまで頭が良くなくって。卒業してからは連絡も取り合えなかったんですけど、まさかこんな形で再会出来るなんて、本当に思ってもみなかったです!」
 あまり大声でそういった事を言わないで欲しい。直接的な言葉を口するのが憚れるエリックは、ただひたすら心の中でそう祈る。こういった話になれば、次の展開はすぐに予想がつくのだ。
「あれー? もしかして、マリオンはエリック君のこと好きなのかな?」
 想定よりも露骨な質問をするルーシー。しかし、
「はい、そうなんです。でもエリック先輩って昔から真面目で、なかなかそうならなくって。そういうお堅い所も好きなんですけど、ウフフ」
 マリオンもまた何一つ隠さず明け透けに答える。ストレートな物言いが好印象だったのだろうか、ルーシーは更ににこにこと機嫌良さそうに話を続ける。
 そして今の話を聞いたウォレンは、驚きと困惑の表情でエリックに問う。
「おい、お前マジかよ。あんな後輩いたのに、どうして未だ童貞」
「ウォレンさん、余計な事を言うと本当に怒りますよ」
 じろりと睨むエリックの迫力に負け、ウォレンは慌てて自分は余計な事は言わないというポーズを取った。
「それでエリック君、念のため職場恋愛について言っておくけれど」
「あ、はい。そうですよね、室長!」
「うちは別に禁止はしてないから、気を使わなくていいわよ。夫婦の方が機密情報の管理もし易いし。ああでも、結婚するのは正式にうちへ転属になってからにしてね。出向時期だと、変に勘ぐられちゃうから」
「ああ、はい……。そうですよね……」