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「あ、エリック先輩! おはようございます!」
 その日の朝は、昨日の雨のせいによる靴の泥汚れを落とすため、馴染みとなった靴磨きの少年の所を寄ってから登庁するつもりだった。その通勤経路の途中、偶然マリオンと出会わせた。
「おはよう。そう言えば、マリオンのうちはこっちの方だったね」
「はい。でもエリック先輩はちょっと違いますよね?」
「ああ、今朝は寄り道してから行くんだ」
 そこでエリックは、マリオンに件の靴磨きの少年の話をする。彼女もまたこういった孤児の労働に理解があるらしく、エリックの行動に賛同した。けれど天気予報の事は、あまり真に受けられても困るため、言及は避けた。
 庁舎の近くまで来て、間もなく彼の居る場所へ辿り着く。丁度その時だった。
「へへっ、おい、早く!」
 通りを数名の少年が息を切らせて走っていく姿が目に留まった。何か仲間同士で声をかけているが、その表情は良いことでもあったのかはにかんでいる。ただエリックには何となくそれが不純な笑みに見えた。
「あっ、あれ!」
 突然、マリオンが声を上げて指差す。その先を見るとそこには、あの靴磨きの少年が倒れていた。彼の周りには仕事道具が散らばっている。それが一体何を示すのかは火を見るよりも明らかだった。
「今の子供! 私、捕まえて来ます!」
 元警察官らしく、すぐさまマリオンは怒りに燃えた表情で先ほど走り去って行った子供達の後を追おうとする。しかし、
「待って」
 その声は倒れている彼の発したものだったが、驚くほど良く通る不思議と澄んだ声だった。思わずエリックは足がすくみ、マリオンは走り出そうとした足を止めてしまう。
「……っと、とにかく、大丈夫かい?」
 ふと我に返り、エリックとマリオンは倒れている彼に駆け寄り体を起こす。彼の顔には殴られたらしい真新しい痣があり、服も道端の泥で汚れている。
 視線を周りに向けると、散らばった仕事道具の中にお金を入れている木箱があった。しかし蓋は開けっ放しで中身は既に持ち去られている。
「ほら、そこに座って。大丈夫? 頭は打ってない? とりあえず医者の所に連れて行くよ」
「あんな大勢で強盗をするなんて……。泣き寝入りする事はありませんよ、警察に話せばちゃんと捕まえてくれますから」
 すると彼は、静かに淡々と答えた。
「大丈夫ですよ」
 特に動揺している様子も無く、殴られ金を取られた事で嘆く仕草もない。彼は驚くほど平然とした様子で、顔には薄ら笑いすら浮かべている。エリックは一瞬自棄を起こしているのかとも思ったが、少年の立ち振る舞いには理性と威厳が漂っているような気がした。
「いや、大丈夫じゃないですよ! 警察の事はもっと信用して良いんですから!」
「そういう事じゃないんですよ」
 声を張り上げるマリオンに対して諭すようにそう言いながら、彼はすっと立ち上がり散らばった仕事道具を片付け始める。エリックとマリオンは、最初は唖然としながら見ていたものの、すぐに慌てて道具を拾うのを手伝った。
「ありがとう。お兄さんもお姉さんも良い人ですね。最近の聖都には珍しいですよ」
「う、うん。それはいいんだけど、警察は嫌でもせめて医者ぐらいには行った方がいいよ。怪我は後から来る事が多い。お金の事なら気にしなくていいから」
「そこはお気持ちだけで。それより、お二人には良いことを教えますよ」
 少年はおもむろに空を見上げる。今朝は雲一つ無い晴天で、風も心地良く乾いている。非常に過ごしやすい天気だ。
「今日の夕方に雷を降らせますので。ですから、夜になるまで外には出ないで下さいね」
 雷。それはこの季節にはあまりに季節違いの天候である。しかもこの空模様からそこまでの急変はあり得るのか。エリックとマリオンは、顔を見合わせながら小首を傾げる。
「それじゃあ」
 そう言い残すと、少年はあっという間にその場から立ち去って行った。走った訳でもないのに、目にも留まらぬ速さで居なくなってしまったのである。消えた訳ではないが、とてもただの徒歩とも思えない不自然さである。
 エリックとマリオンは、しばしあっけに取られてその場に立ち尽くしていた。
「あ、あの、雷を降らすってどういう事でしょう?」
「いや、分からないけど……」
 雷など人の手に負える代物ではない。せいぜい避雷針を建てる事で被害を最小限に留める程度だ。
 しかし、何となくではあるが微かな予感がエリックにはあった。それは、これまで彼の天気予報は、どんなに突拍子もない内容でも必ず当たったからだ。だが一つ気になるのは、雷が降るのではなく降らせると言ったことだ。それはまるで自分の意思で雷を操ることができるような言い回しである。
 ふと気が付くと、泥で汚れていたエリックの靴は磨き上げた直後のように綺麗ななりになっていた。これはあの少年の仕業なのだろうか。