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 依頼者の名前はハイラム。聖都に住む資産家の一人で、ラヴィニア室長の知り合いから特務監査室を紹介されてやってきた。依頼者が室長の知り合い経由という事は珍しく無く、それは依頼者が科学では解明出来ない事件に巻き込まれているという自覚があるケースである。細かな説明が不要な半面、依頼内容は特に厄介な場合が多い。
「では、お話を伺いましょう」
 ラヴィニア室長が優しげな口調でハイラムに説明を促す。ハイラムは俯き加減で落ち着きが無く、どこか躊躇いがちな様子だった。身に起こっている事は理解していても、非科学的という事が真っ当な大人の発言として躊躇わせるのだろう。
「あれは先月の頭の事です。私の娘が五歳の誕生日を迎えるという事で、プレゼントに縫いぐるみを求められたんです。それで娘を連れてアンティークショップを訪れました。娘は店の中にあったある熊の縫いぐるみが気に入り、それで早速購入しようとしたのですが……。今思えば、そういう事だからだったんでしょうね」
「何かトラブルでも?」
「はい。いざ会計という時に、店主はその縫いぐるみは売り物ではないから売れないと言ってきたのです。私は値上げの口実だと思い、縫いぐるみ一つには十分過ぎる金を積んだのですが。それでも店主は一向に了承してくれず、私と売る売らないの口論になったのです。店の窓際なんて目立つ所に陳列しておきながら、今更売れないとはどういう事だと。それで更に金を倍額出して、店主の妻も巻き込んで半ば無理やり買い取ったんです。娘はその縫いぐるみを大層可愛がり、今では何処へ行くにも必ず持って行きます。ただ、その日から屋敷の中で妙な事が起こり始めて。物が消えたり動いたり、はたまた妙な物音を聞いたり。それだけならただの勘違いで済むのですが、その、何と言いますか、単なる偶然かも知れませんし、私の思い込みなのかも……」
「どうぞ、続けて下さい。ここでの会話は一切他言致しませんので」
「はい……。娘が縫いぐるみを可愛がるのは良いのですが、どうもそれにのめり込み過ぎているようで。たまに、縫いぐるみと会話をし始めているようなんです」
「よくある子供のままごとの延長では?」
「それだけなら構わないのですが……。どこで聞いたのか、知らないはずの屋敷の中の事までも話すようになったのです」
「例えばどのような事を?」
「娘のハンカチの一つを、入ったばかりの使用人がくすねることがあったのですが。娘は犯人やその隠し場所まで正確に言い当てて。それでどうやって知ったのか訊ねてみると、オズボーンが教えてくれたと」
「オズボーンとは、その熊の縫いぐるみの名前ですか?」
「はい。ただ、娘が名付けた訳ではないのです。娘曰わく、縫いぐるみの方から自己紹介したのだと」
 ハイラムの娘の縫いぐるみ。これが娘の奇行の原因と思い込んでいるように聞こえる。しかし、ハイラムの様子からはパラノイア的な思い込みの兆候は窺えなかった。
「その後もこういった言動は続きました。それで妻は娘の成長に支障を来すのではと不安がり、無理やり娘からオズボーンを取り上げたのです。これが奇行の原因なら、取り上げてしまえば収まっていくのではないかと。ですが、その結果は悲惨なものでした。妻は先日、屋敷の中で事故に遭いました。シャンデリアが突然と落下して、運悪くその真下にいたのです。幸い命に別状はありませんでしたが怪我は酷く、当分はベッドから動くことは出来ないでしょう。そして更に恐ろしい事に、妻が取り上げて隠したはずのオズボーンは、いつの間にか娘の元へ戻ってきているのです」
「娘さんがたまたま見つけた可能性はないのですか?」
「妻も鍵のかかる倉庫の奥にしまっておいたのですから、偶然見付ける事は有り得ません。それで娘に直接訊ねて見たところ、オズボーンは自分で歩いて戻ってきたと。屋敷の誰も見たことはないのですが、オズボーンは時々自分で歩くそうなのです。屋敷の中の物が時々動いたり無くなったりするのもオズボーンの仕業だとか」
 縫いぐるみが歩くというのは、幼児期特有の空想が記憶を書き換えてしまう現象と判断するのが普通だ。しかし、これまでの経緯と、実際にあるはずのない物が物理的に戻ってきている事実が事態に信憑性を持たせてしまう。
「だから私は思うのです。あの縫いぐるみには、何か得体の知れない忌まわしいものがあり、それが娘に取り憑いているのではと。あのアンティークショップの店主にも問いただしてみましたが、もはや自分は知らないの一点張りで埒が明きません。それでこうして御相談にあがった次第です。自分でもおかしな事を言っている自覚はあります。ただ他に頼れる伝手もなく、自分ではどうする事も出来ないほど困り果てておりまして。こちらはこういった不可解な出来事の専門家と聞いております。どうか、どうかお力添えを」
 ハイラムの憔悴は、何よりも家族への心配だろう。妻が重傷を負い、娘が得体の知れない何かに振り回されている。しかもその原因も対処方法も全く想像がつかないのだ。現実的な目線でばかり物事を考えるセディアランド人にとって、理解の及ばない出来事ほど恐ろしい物はないだろう。