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 翌日、エリックは半ば昨夜の事を忘れた状態で登庁した。辛うじて小銭で買い上げたあの石ころはポケットに入れて来たが、今日一日で何も無ければさっさと捨ててしまおうぐらいにしか考えていなかった。
 特務監査室は今日もまた特に仕事柄無く、それぞれが思い思いの時間の過ごし方をしている。マリオンは普段となんら様子に変わりは無かった。あの石ころも特にこれといった変わりは無く、自分自身も感知するものはない。やはりあれはインチキだ。まんまと夕食代だけ巻き上げられたのだ。この状況に、そうエリックは確信する。
「エリック先輩、どうかしました? さっきから私の方、見てません?」
「え? ああ、いや。今日は何か変わったことあった?」
「変わったこと? うーん、別にこれといってないかなあ。あ、もしかして先輩、とうとう私のこと気になり始めました?」
「別にそういうのじゃないよ。何も無ければ、それでいいんだ」
 マリオンはいたって普段通りである。あのインチキ占い師が遠回しに脅迫していたという訳でもないようなら、単なる妄言の類で間違いないのだろう。
 小銭とは言え、つまらない事で金を捨てたものだ。そう微苦笑するエリック。そして、お茶でも入れようかと立ち上がった時だった。
「……ん? おいエリック、何か落ちたぞ」
 隣の席のウォレンが床から何かを拾い上げる。それは件の石ころだった。
「ああ、すみません」
「なんだこれ。石ころ? 何だってこんな物を―――うわぁっ!?」
 その時だった。突然ウォレンは悲鳴のような声を上げると、椅子から立ち上がって身構える。右手は既に愛用の大振りのナイフを抜き放っていた。
「ちょ、ちょっと! 何やってるんですか!」
「何って、おい、マリオン! お前、何だそれ! あからさまにヤベーぞ!」
「え? 私ですか?」
 きょとんとした表情で、マリオンはウォレンの指差す背後を見る。しかしそこには当然何も無い。
「おい、何だよ! 俺しか見えてねーのか!?」
「ちょっと先輩、昼間から飲むとか迷惑なやつだなー」
「飲んでねーよ! なんだよ、誰も見えないのか!?」
 ウォレンには、何か恐ろしい物がマリオンの背後に見えるらしい。それも今になって突然だ。そう主張しているが、誰も、マリオンですらそれが見えていない。
 そこでエリックは、ウォレンがあの石ころを持ったままである事を思い出した。
「ウォレンさん、ちょっとさっきの石ころを寄越して下さい」
「ああ? 石ころ? ほら、これか」
 ウォレンに渡された石ころを手にし、エリックは改めてマリオンの方を見る。すると、
「う、うわっ!? ええ!? な、何!?」
 今度はエリックが狼狽えた悲鳴を上げる。
「あれ? 俺は見えなくなったぞ」
「え、そんな。じゃあもしかして、これを持ってると見える……?」
「ちょっとー、男二人で盛り上がらないでよ。何が見えるとか何とか言ってるのー?」
 不機嫌そうに吐き捨てるルーシーは、ウォレンの胸を小突いた。
「マリオンの後ろに、如何にも危険そうなのが見えるんです。ちょっと歪な体格の老人みたいですけど、顔が物凄い怒りに歪んでいて。それもマリオンの顔を思い切り睨み付けてます」
「えっ!? 嘘! そんなのがいるんですか!?」
 するとマリオンは慌てて自分の背後を手で掻き回す。しかし謎の老人の姿は消えるどころか歪みすらしなかった。
「もしかして、これが死神……? だから、これを持ってると見える?」
 エリックの死神像は、主に物語の挿し絵に影響されている。黒いローブを身にまとい、顔は骸骨で手には大きな鎌を持っている。それは誰かの創作ではあるが、今エリックに見えている何かは全く違う姿をしている。表情の軋み具合や息遣いが明らかに人ではないが、全体的には単なる老人にも見える姿だ。
「何それ? ちょっと貸してよ」
 そう言いながら、ルーシーはエリックの手から石ころをかすめ取る。
「うおっ!? こりゃ凄い。私、こんなの初めて見た」
 いやに野太い嬌声を上げはしゃぐルーシー。それをエリックとウォレンはしかめ面で見る。
「ルーシーさん、これ何か分かります?」
「え? 死神じゃないの? これ作った人か誰かそう言ったんじゃないの?」
「ええ、まあ、そうですけど。その、本当に本物?」
「私だって知らないわよ。でも、作者がそう言うならそうなんじゃない? 実際、幽霊とか見える程度の人間には見えないみたいだし。視覚だけね、こうやって通じるようにする方法が色々とあるの。まあ大体はロクな事に使われないけど」
「幽霊とは違うってことですか?」
「格が違うのよ。要するに、その他有象無象に見えるような身分じゃないのよ死神ってのは。仮にも神様だからね。それにしても、なんか随分怒ってるわねー。いや、焦ってるのかな?」
「焦ってる?」
「もしかすると、マリオンを連れて行きたいけどなかなか連れて行けないって事なんじゃないかなー」