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 翌朝、エリックは耳元をくすぐるゴールドの鼻先の感触で目が覚めた。起き上がるとゴールドは早速エリックにじゃれついて来た。朝ご飯の催促だろう、そう思いながらエリックはゴールドをベッド下へ追い払って身支度を済ます。それから自分とゴールドの朝食をそれぞれ用意した。昨日の帰りに特にこだわりも無く買ったペットフードだったが、ゴールドはすぐにガツガツと食いついた。猫は幼少期に食べていた物をずっと食べる習性があるらしいが、これまでに与えられて来た食べ物もこういったものだったのだろうか。ふと、ゴールドの生い立ちを知らない事に気付いたエリックは、もう少し彼の事を調べるべきではないかと考えた。
 それからゴールドをカゴに入れ準備を済ませると部屋出る。いつものルートで庁舎を目指した。今朝も普段通りの人混みで、誰も彼もが無表情のまま黙々とそれぞれの仕事場へ向かっている。そんな中で猫を持って歩いているのは自分くらいだろう、そうエリックは内心微苦笑する。
「誰かー! その人、引ったくりよ!」
 そんな中だった。突然と甲高い悲鳴のような声が辺りに響き渡る。ふと声のした方を見ると、人混みが不規則なジグザグに割れている。何者かが強引に人混みを掻き分けて進んでいるのだろう。だが、誰もその何者かを非難したり関わり合いになろうとはせず、通り過ぎるなりまた自分の目的地へと向かい始める。
 朝から引ったくりとは。
 そう不快に思うエリックは、犯人がこちらに向かっていることに気が付いた。そこでエリックは、鞄とカゴをその場へ置くと、向かってくる犯人との距離を計る。そして荷物を抱え走って来た男が接近して来た瞬間、不意を突いて襟を取り、そのまま足をかけて強引にその場へ引き倒した。
「ギャッ!」
 男は石畳の上に倒れ込んだ拍子に胸を強かに打ち奇妙な悲鳴を上げる。そこへすかさずエリックはのし掛かって動きを抑えた。男は無理やり首を回して後ろのエリックを見、何事か言葉を投げかけようとするが、口がパクパクと動くばかりでほとんど呻き声しか聞こえなかった。
 久し振りに護身術紛いの事をやったが、案外上手くいって良かった。そうエリックは安堵する。官吏になり配属先が決まる前にはこういった研修も受けたが、実際に使ったのは初めてのことだった。人より小柄であるため不安ではあったが、素人相手には十分だったようである。
「ああ! 追いついた! すみません、本当にありがとうございます!」
 そして、息を切らせながら現れたのは身形の良い中年の女性だった。
「大丈夫、取り返しましたよ」
 エリックは男を抑えたまま、手にしていたバッグを女性へ手渡す。
「本当にありがとうございます。なんとお礼を言って良いか」
「いえ、お気になさらず」
「そうだ、ほんの僅かで恐縮ですが私からの気持ちです。さあ」
 女性はおもむろにバッグの中を探ると、エリックへ手のひら大程の布袋を差し伸べた。カチャリと金属の擦れる音から察するに、どうやら中は貨幣のようである。
「そんな、お礼なんて結構ですよ」
「いいえ、受け取って頂かなければ気が済みません。さあ」
 すると女性は突然と強引に布袋をエリックに握らせた。思わぬ事態に困惑するエリックだったが、変わらず謝礼を固辞する。しかし女性はそのまま一礼しあっと言う間に立ち去ってしまった。後を追おうにも、抑えている男を警察へ引き渡さない内は身動きが取れない。
 程なくやってきた警察官へ男を引き渡し、エリックは再び庁舎へと向かう。先程の出来事で思わぬ臨時収入となったが、喜びよりも困惑の方が大きかった。聖都であんな露骨な引ったくりが起こった事と、謝礼をあんな強引に渡す人間の組み合わせが、どうにも素直に飲み込めなかったのだ。
「……まさかな」
 カゴの中のゴールドを見ると、ゴールドはエリックを見ながら小首を傾げる。やや退屈そうにしているが、特に変わった様子は見受けられなかった。
「よし」
 そしてエリックは、商店街に差し掛かるとすぐに売店の一つに入った。そこでエリックは、その場で支払われるスピードくじを五枚購入する。そしてその結果に戦慄する。特等が一枚、一等が一枚、二等が三枚と、全てが当選したからだ。生まれて初めて購入したスピードくじだが、こんなにも極端な当選が有り得ない事くらいは分かっている。これはやはり、普通ではない何かが自分に起こっているという事に他ならないだろう。
 再び金貨の袋をカバンに入れ、エリックはもう一度カゴの中のゴールドを見る。ゴールドは丸まりながら退屈そうに大きなあくびをしていた。彼にはエリックへ何かをしている自覚は無いのだろうか。