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 グスタフの自宅は、一人暮らしの男性としては極々一般的な間取りのアパートだった。建物の築年数がいささか古いのは、彼が犬を飼える条件を満たす部屋を探したからだろう。聖都での賃貸事情として、猫よりも犬の方が飼う事を許可されていない場合が多いのだ。
「どうぞ、こちらです」
 通されたグスタフの部屋の中は、一人暮らしの男性にしては随分と綺麗に片付けられ、物も細かく整頓がされていた。エリックは部屋の様子を見て、グスタフと自分は似た性質なのだろうと何となしに考える。
「ふーん、まあまあねー」
 そう言ってソファーに座るルーシー。依頼主の部屋だと言うのに、まるで遠慮する様子がなかった。
「ルーシーさん、もう少し遠慮して下さい」
「やーねー、室長補佐殿は。小姑みたいなこと言っちゃって。それより、今はモズの声はするの?」
「いえ、普段から聞こえている訳ではないので」
「そっか。ま、確かに気配はしないしなー」
 やや懐疑的な視線をルーシーへ向けるグスタフの様子に、エリックは非常に申し訳ない気持ちになった。しかし、今回の仕事はどうしてもルーシーが必要だった。特務監査室のメンバーで、そういった存在を感知する事が出来るのはルーシーだけだからである。
「エリック先輩、アパート中の共有エリアの確認して来ました。非常通路にボイラー室、その他維持管理スペースは、いずれも問題ありません。それと念のため隣接する部屋全ての住人に聞き込んでみたんですけど、犬の声を聞いた人はいませんでした」
「ありがとう。引き続き定期的に巡回して、怪しい人物がいたらすぐに声をかけてね」
 マリオンには警察官時代の経験を生かし、事件が人間の犯罪である可能性に対応して貰う必要がある。これがグスタフに対して何らかの悪意を持った人間の仕業なら、司法の対応が必要となるのだ。
「となると、後は問題の声だな。今まで聞こえたのはアンタだけか? マリオンの話じゃ、アパートの人間は聞いてないようだしな」
 そしてふてぶてしい表情で腕組みするウォレン。何かしら賊の類がいた場合の荒事担当である。これまでの幽霊絡みの事件では、不思議と暴力沙汰などの犯罪が起こりやすかった。その対応には実戦経験豊富なウォレンが適任である。
「はい、私だけです。両親に来てもらった事もありましたけど、私には聞こえても二人には聞こえていないようで。それのせいで、医者に診させられましたから」
「まあ、誰も聞こえないってなら普通はそう思うよなあ」
 グスタフの部屋に集まる五人の大人。流石にいささか密集しているように思った。結局四人でグスタフの部屋へ押し掛けたのだが、幽霊事件はどうしても四人での対応になる場合が多い。それだけ事件の真相が多岐にわたっていて、様々な可能性を考慮しながら捜査をしなければならないからだ。
「では、一旦夜中になるまで待機しましょうか」
「はい。皆さん、長丁場になると思いますが、本当によろしくお願いします」
 グスタフは完全に特務監査室を頼みの綱としている。当然、彼を含む大半のセディアランド人は幽霊などという非科学的な存在を信じてはいない。だからこそ、いざその身に降りかかると圧倒的な疎外感を覚えるのだ。幽霊がどうあれ、きちんと納得のいく解明をしてやりたい。そうエリックは思った。
「さて、その前に飯だな。おい、マリオン。ちょっと買い出し行って来いよ。内容は任せるからさ」
「はーい、分かりました」
 ウォレンに夕食の事を言われ、そろそろそんな時間になる事を思い出す。外もほとんど日が落ちているが、この辺りはガス灯も多いためあまり暗さを感じない。
「あのー、エリック先輩? 一緒に来てくれます?」
「なんだよ、室長補佐殿に使い走りさせんなよ」
「だったらウォレンさんも行けばいいんですよ。分かった、一緒に行こう」
 依頼者の部屋に残すのがウォレンとルーシーになる事にはいささか不安はあったが、まだ幽霊とやらが出るには早い時刻である。少しくらいの外出は問題ないだろう。
 機嫌の良いマリオンを連れ、エリックはグスタフの部屋を出る。その直後だった。突然マリオンはエリックの肩を掴んで制止させる。
「マリオン?」
「しーっ。さっきは何も問題無いって言いましたけど、ちょっと依頼者の前で言いにくい事があるんです」
 そう言ってマリオンは、声をひそめながらグスタフの部屋の出入り口である扉のノブ付近を指差した。
「ここ。これ、空き巣がカギを開ける細工の跡があるんです。それも新しい跡ですよ」
 マリオンの指差した所には、ドアと金属部品の所に明らかな擦り傷が見受けられた。エリックにはただの擦り傷にしか見えないが、マリオンにはこういった犯罪手口の知識があるため、彼女がそう言うのなら正しいのだろう。
「グスタフは空き巣の話はしていなかったね。という事は……」
「この部屋に空き巣以外の目的で侵入した人間がいる、という事ですね」
 確かに、そんな話をいきなり憔悴している依頼者の前では出来ない。マリオンが機転を利かせてくれた事に感謝をする。
「じゃあモズは、その時に偶然鉢合わせたせいで殺された?」
「それも変だと思いますよ。だったらモズは、明らかな外傷が残る方法で殺されるはずです。だって、想定外の事なんですから」
「となると……初めからモズを殺すつもりだった? いや、モズがいると知っていたから、予め排除する準備をしていたのか。目的の邪魔になるからと」
 その推論が正しいとしたら、グスタフは何者かに狙われているというのだろうか。ならば、この案件は犬の幽霊がどうという事では済まないのかも知れない。エリックは俄かに緊張感が高まっていく。