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 男を警察へ引き渡した後、四人はグスタフの部屋で現場状況の確認をしていた。グスタフは居間のソファーに座ったまま一言も発しなくなっている。手には年季の入った犬の首輪を持っている。おそらくモズのしていたものだろう。モズを殺した犯人が分かったのはともかく、その理由に打ちのめされているように見える。言葉がかけ難く、エリックはなかなか話しかけられずにいた。
「エリック先輩、現場の確認は終わりましたよ。後は報告書を明日にでも清書するだけです」
「ありがとう。それじゃあ、僕らもそろそろあがろうか」
 しかし、このままグスタフを放って行くのも気が咎める。消沈する彼を前に何と言っていいものか、そうエリックが悩んでいた時だった。
「ねえ、モズってかなり賢い子だったみたいね」
 唐突に声をかけたのはルーシーだった。ルーシーは馴れ馴れしい態度でグスタフの隣に座り、一緒に首輪を見る。
「ええ、本当に。表情も豊かで、自己主張も強くて。時々意見が衝突する事もあったけど、いつも寄り添ってくれて、本当に掛け替えの無い相棒でした……」
 モズの事を語りたかったのか、ルーシーの問い掛けにぽつりぽつりと話し出すグスタフ。モズという飼い犬に対してそれほど愛着があったこと、その別れがあまりに突然な上に悔いが残る形だった事を引き摺っているのだろう。
「まー、一般論だけどね。ペットが死んだら出来るだけ早く気持ち切り替えた方がいいよ。いつまでも引き摺っちゃうと、それだけ魂がここに引き留められるから。そういうのって、砂の上に飴玉落とすようなもので、居れば居るほど穢れてっちゃうの。本当にモズの事を思うなら、済んだ事にして新しい犬でも飼ったらいいよ」
 大切にしていた飼い犬が死んだ人間に対して、早く忘れて新しい犬を飼えというのは、当人してみれば相当な暴論だろう。そう割り切れない感情の問題だから落ち込み続けているのだ。けれど、ルーシーの言っている事は正しいとエリックは内心思う。死を引き摺り続けるのは当人を不幸にする。そして不幸とはその個人で完結せず、必ず周囲を巻き込むものだ。苦しく冷徹な決断ではあるが、新しい犬を飼って忘れるという方法は合理的な解決策だ。
「それは……分かります。ですが、今はまだそれを考える事すら難しくて……」
「ま、今日明日中にって訳じゃないけどね。しっかりしなさいね。ワンちゃんだって不安になるでしょ、そんな顔してたら」
 そういつもの調子で言いながら、ルーシーはグスタフの肩を叩く。グスタフはまだ気持ちを切り替えられていないが、一言二言何か感謝の言葉をルーシーへ返していた。これがルーシーなりの気遣い、励ましなのだと感じたのだろう。
 それが分かれば、いずれ自力で立ち直るはずである。ここから先は特務監査室の出番ではない。
「それでは我々はここで失礼させて戴きます。後日、報告書を郵送いたしますので」
「はい、よろしくお願いします。皆さん、こんな遅くまでありがとうございました」
 ソファーから立ち上がり深々と一礼するグスタフ。悲壮感は消えていなかったが、それでも何とか立ち直ろうとする意思は感じられる。今はそれで十分だろう。
 丁度、その時だった。
『ヒャン!』
 室内に響き渡る犬の鳴き声。一同が一斉に部屋中を見渡した。そして今回は、エリックにも犬の鳴き声が聞こえた。どこからか犬が入り込んだのかと思い見回すものの、その姿はまるで見当たらない。
「これ……モズの声……! 何か私にねだる時の……!」
 そう震える声で話すグスタフ。
 エリックはすぐさまルーシーの方へ確認の視線を向ける。ルーシーは何か感じ取れるものがあるのか、一旦静観の合図をする。
「やっぱり、まだここに居るみたいね。ちゃんと声をかけてあげて。それだけで気持ちが伝わるから」
 グスタフは手にしていた首輪を強く胸に当て、床へがっくりと膝をついた。
「ありがとう……ごめんな、モズ。お前のおかげで、今までずっと楽しかったから。ああやって毎晩吠えてたのは、私が危なかったからなんだな。それを教えてくれて、本当にありがとう、本当に、本当に……」
 そして、そこからは感極まったのか、グスタフの言葉は嗚咽へ変わる。押し殺した悲鳴のような嗚咽を繰り返すグスタフ。そこにはひたすらモズへの感謝と謝意が込められている。
「もう、私は大丈夫だからな……ありがとう、今まで本当に。またいつか会えればいいなあ……」
 これで、グスタフの最後の心残りが消えただろうか。モズへの後悔の念が無くなれば、いずれ前向きな生活へと戻る事が出来るだろう。
 ふとエリックは、黒猫のゴールドを思い出した。エリックはゴールドへの後悔の念を持っていたが、月日が経つに連れてそれを忘れてしまっていたようだった。
 自分の元へも、今のようにゴールドがやってきたりはしないだろうか。もし叶えば、思いの丈を伝えて後悔を晴らせるはずなのに。そうエリックは思わずにはいられなかった。