BACK

「……これで我々の報告は以上となります」
 特務監査室の応接スペースに座るのは、ラヴィニア室長と国家安全委員会の責任者だった。二人に対してエリックは、今回の一連の捜査活動についての報告を説明する。ラヴィニア室長は至って普段と同じ様子だったが、国家安全委員会の責任者はいささか渋い表情だった。それは、エリックの報告内容について俄には信じ難い物が含まれているからである。
「それで……押収した証拠物は?」
「主に研究内容の核心部分についての資料は、全て我々の方で焼却処分しました。これは予めそちらにも通達した通りです」
「確かにこちらも、協賛した企業の闇資金の流れが分かる資料は押収出来たので問題はありません。ただ……」
「ただ?」
「今現在、こちらに預からせて貰っている三名の研究者ですが。あなた方を殺人罪で告訴すると主張しています。訴訟はセディアランド国民に認められた権利ですので、拘置中でもそれ自体は可能ですが、殺人は刑事ですから個人が個人を訴える事は出来ません。まあ警察も動きはしませんよ」
「肝心の殺人の証拠が無い、という事ですか」
「と言うより、そもそもそれが法的に人間と見なされていない事ですね」
 そう彼はエリックが用意した資料の一枚を手にし、軽く叩く。それはエリック達が現場で見た内の、あのフラスコの中に居た何かについての報告部分だった。
「研究者達はこれを、ホムンクルスと言っていました。構造的には人間と変わりがないため、法的にも人間であり、それを殺したのだから殺人罪は成立する。そういう内容なのですが、当然認められる訳がありません。ただ、逆に心神耗弱を疑われて、起訴した際に彼らの証言力が失われないかという危惧がありましてね」
「彼らの精神状態が正常と認めさせるには、ホムンクルスについての言及をしなくてはいけない、と。ですが、それではますます話が現実離れしてしまうのでは?」
「その通りです。ですので、研究内容にはあまり触れずに証言をしてもらおうと考えています。ですので、そちらが押収した証拠を確実に破棄しているのであれば、それはそれで問題はありませんので」
 裁判の際に、焦点を彼らの研究内容へ及ばぬようにの配慮なのだろう。あくまで協賛した企業の違法な資金の特定が彼らの目的なのだから、無駄に長引くような事態は避けたいのだ。
「ひとまず、裁判が終わり次第研究者の身柄はお返しいたします。彼らが研究内容について話そうとも、決して流出はさせませんので」
「はい、宜しくお願いします」
「それと、このホムンクルスについてなのですが……。押収したのはあなたでしょうか?」
「ええ、そうですが」
「率直に言って、それは人間でしたか?」
 突然の意外な質問に、エリックは思わず戸惑った。まさかそんな情緒的とも取れる質問をされるとは予想していなかったからである。
「いえ……良く分かりません。実はそれほど良くは見ていないんですよ。うっかりフラスコを割ってしまって、それがまずかったんでしょう、あっと言う間にドロドロに溶けてしまって」
「実際に動いている所はご覧には?」
「一応は見ました。ですが、本当にそうだったのか……。あまり落ち着いてもいなかったので、たまたま動いているように見えただけなのかも知れません」
「そうですか……」
「何か気になる事でも?」
「単なる個人的な興味本位です。失礼しました」
 そして国家安全委員会の担当者は、用意した書類をカバンに収め執務室を後にした。
 まずエリックが抱いたのは、納得して貰えたという安堵感だった。国家安全委員会との連携した仕事は初めてではないが、自分でさえも理解に苦しむ事柄を相手に理解して貰う説明には毎度苦心させられるのだ。
「これで一旦は終わりになりますね。後は裁判の経過次第ですけれど、研究者達の護送はお願いします」
「あー、いつもの所だよなー。ったく、それにしても災難だなエリック。お前、訴えられるんだってよ」
 そうからかうような口調のウォレンに、エリックは眉をひそめながら答える。
「刑事事件だから取り合って貰えないと言っていたでしょうに。そういう言い方、不謹慎ですよ」
 いささかエリックの語気が強いと思ったのか、ウォレンはおどけた返事を一度だけして自席へ引っ込んだ。
 後片付けをしながらエリックは、先程の質問と現場での実際の出来事とを思い出した。エリックは国家安全委員会の担当者に少しだけ嘘の回答をしていた。
 彼らがホムンクルスと呼んだあれはすぐに溶けてしまった訳ではなかった。フラスコをうっかり割ってしまったのは事実である。けれど、ホムンクルスはそれから少しだけ生きていたのだ。その姿は毛のない人間のようであったが、肌の色は人間ではありえないやや透明感のある乳白色、そして目は小さく黒目しかなかったが明らかにこちらを見て認識していた。ホムンクルスはエリックを見て右手を伸ばした。エリックは恐る恐る応じるように自分も右手を伸ばした。エリックの指にホムンクルスの手が触れると、そこから体温を感じた。その上、エリックの指を僅かな握力でしっかりと握ったのだ。まるで意思表示をしているかのように。
 この事について、エリックは意図的に報告書には書かなかった。直後に溶けて無くなってしまったホムンクルスの様を見て、自分が殺してしまったのではないか、という罪悪感がそこにあったからだ。だからこそあの研究者達も、ああも必死になり、殺人罪で裁かれるべきだと激昂しているのだろう。ホムンクルスは人ではない。けれどそれは人間の定めた法律の範囲での解釈である。エリックはこれについての気持ちの整理が未だに出来ていない。
 あの場にはマリオンも居た。エリックのした事についてマリオンは何も言わない。それはまるでエリックの葛藤を知っていて、整理がつくまで敢えて黙っているような素振りだった。エリックはそこに甘えている。少なくともその自覚があった。
 果たして自分は罪に問われるべきなのか。そんな疑問がいつまでもエリックの胸中にまとわりついていた。