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 マテレア村には旅人が泊まる宿屋というものが無く、その日は村長の好意により村長の屋敷の一室を借りる事となった。滞在中は遠慮なく使って良いとの事で、ターゲットであるサイモンとも近くにいられるのもあり、エリック達は甘える事にした。
 夕食を戴いた後、エリックとマリオンは客室で休む事にした。旅の疲れもあったが、エリックは手帳に記したここまでの出来事を見直しながら今後の進め方について思考を巡らせる。
 貸して貰った客室は、ベッドが二つあるツインルーム形式で、エリックにとってはありがたい事に、ベッドとベッドの間に間仕切りとなるカーテンが設置されていた。これを引けば夜寝る時も雑念が少なくて済みそうだとエリックは思った。
「エリック先輩、救世主って割に案外平凡そうでしたけど。どうします? いっそ、直接的な質問してみましょうか? 救世主としての力を見せて下さいとか」
 隣のベッドの上に座って荷物の整理をしながら、マリオンがそう訊ねる。
「うーん、それが一番なんだろうけど。下手に疑ってる様子を見せて気を悪くさせるのもね。今は友好な関係を保っておくべきだよ」
「時間がかかりそうですね。ま、でも私はそれでも良いですけど」
 そう笑うマリオンは、今回の仕事にはどこか他人事のような思惑があるのではないか、そんな気がしてならなかった。
「ひとまず明日は、サイモンに張り付いて一日の様子を見てみよう。それである程度村の人に怪しまれないようにしてから、村人達に個別に聞き込みをしよう。サイモンが一体どういう事をしているのか、とかをね」
「分かりました。まずはあまり目立たず、観察しながら慎重に情報収集ですね」
 今回の出張は、いわば敵の懐に潜り込むような危険な仕事である。この村には救世主の味方はいても、聖都からの来客に味方するような人間はまずいない。彼らとは慎重に信頼関係を築かなければ、文字通りの命取りにもなりかねないのだ。
「流石に私も潜入捜査はしたことがないですけど……。だからエリック先輩、頼りにしてますね」
「ああ、そうだね。何とか今回も成功させよう」
 とは言え、エリックも捜査というものはほぼ独学の見様見真似である。頼られた所で確信を持って返答が出来ないのが心苦しい所である。
 翌日、エリックはサイモンの許可を得て、一日サイモンに同行する事となった。サイモンの仕事はまず、近所にある開墾中の畑を耕す事から始まる。そして種を蒔いたばかりの畑では雑草を取り除き、乾いた土があれば水も蒔く。それから近くの山へ出掛け薪を拾い、ついでに野草や山菜などを摘み取る。屋敷へ戻ると、今度は屋敷の傷んだ箇所の修復や村長からの頼まれ事をする。こうして一日を通して見たサイモンは、とにかく勤勉の一言に尽きる。時間さえあれば何かしら仕事や頼まれ事をするからか、行く先々で会った村人は誰もが好意的に話し掛けていた。それだけ村中からの信頼が篤いのは明らかである。
 その晩、エリックは再びマリオンと互いの見解や方針について話し合った。
「今日一日見た限りでは、素行に問題があるような感じではないね。働き者でみんなからも好かれていて」
「でも、ちょっと違和感はありましたね。釜と鍬の会でしたっけ。そこの信仰対象になっている割に、みんなから信仰されているという感じではなかったように思います」
「確かに。信仰というよりは、単に好かれている人って感じがしたね」
 サイモンが救世主と呼ばれているのは、この宗教団体が一番の要因である。彼が奇跡的な事を起こすからこそ、彼を教祖に宗教として成立したのだ。どんなに慕われていようと、軽々しく声をかけるような対象とは違うはずである。
「明日からはもっと突っ込んだ質問をしてみようか。釜と鍬の会の事も、こちらからちゃんと訊いてみた方がいい」
「そうですね。それに、今日の感触だと村の人からも話は聞いても大丈夫そうですし、そっちも進めましょう」
 サイモンが実際どういったことが出来るのか、その実態を掴まなければ調査は終わらない。やはり彼の行動についてもっと深く探りを入れなければならないだろう。しかしその分リスクもつきまとう。明日からは今日以上に警戒しながら行動しなければならないだろう。
 そう一人気炎を上げる中、不意にベッドの間の間仕切り用カーテンが閉められ、エリックはふと視線を向けた。
「ちょっと着替えますから、一応。でもぉ、覗くならバレないようにして下さいね」
「そんな事はしないから」
 相変わらずマリオンは緊張感が無い。溜め息をつきながら返事し、エリックは手帳に書き留めた内容に目を通す。その時、カーテンの向こう側から布の擦れる音がし、思わず視線をそっと向ける。間仕切りがあるのだから別に何も見える訳が無い。そう思っていたのだが、窓側から入り込む月明かりのせいか、カーテンが思ったより薄いせいか、まさに服を脱いだ瞬間のマリオンのシルエットを見てしまい、エリックは慌てて視線を手帳へ戻す。
 こんなに心労の溜まる仕事は初めてだ。早く終わらせてしまわなければ心身が持たない。エリックは必死で自分の自制心へ強く働きかけるのだった。