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 翌日、村は昨日の騒動がまるで嘘のように普段の穏健さを取り戻していた。村人達はそれぞれ畑仕事などに取り組み、日が落ちれば自宅に帰って家族と過ごす。その暮らしぶりは聖都に比べると質素で不便さばかりが目立つ。けれど聖都のような時間に追われ人との軋轢に苛まれるようなストレスとは無縁でもあった。聖都の暮らしを捨ててこういった暮らしを選択する人の心境が少し理解出来た。
 客室でその日起こった出来事を書き留めるエリック。今日の所は特に動きが無く、さほど書き留めておくような内容もなかった。流石にそう何度も釜と鍬の会が襲撃を仕掛けては来ない。次は本当に何日も何ヶ月も先になるだろう。
「エリック先輩、何か動きがありませんね。明日はどうします?」
「そうだね、本当にどうしようか」
 サイモンだけに事情を説明し、救世主としての力の行使をこの村のみとし大っぴらにしない事を約束して貰えば、それで今回の仕事は完了である。サイモンの性格上、おそらくその申し出も呑んでくれるはずだ。しかしエリックが気がかりなのは、その後の事である。釜と鍬の会、彼らは今後も同じように直接的なアプローチをかけるに決まっている。その騒動が予想外の延焼をしないか、それが懸念されるのだ。
「釜と鍬の会の人達、マリオンはどう思った? 単なる暴徒?」
「うーん、昨日はそう思いましたけど。今、冷静になって考えてみると、ちょっと違う気がしますね。そう言えば先輩、あの人達の中に、我らの村にお戻り下さい、って言ってた人が居たの聞きませんでした?」
「確かにいたね。村長達に言わせれば、サイモンを無理やり連れて行くための妄言って所だろうけど」
「本当にそうなんでしょうか。ちょっと怪しいかな、なんて思っちゃいますね。村長さんとか、妙に何が何でも事実はこうなんだっていう強引な論調ですから」
 サイモンはこのマテレア村の人間であり、村長の息子同然の存在。もしこの前提が誤っているのだとしたら。事の構図は随分と変わってくる事になる。
「それに、そもそもあんなに簡単にリスクも無しに人の怪我が治せるなら、別に村人以外の怪我人でも治せばいいじゃないかって思うよね。そんなにしょっちゅう怪我人や病人が出る訳じゃないんだし。なんかこう、サイモンの力を村で独占しようとしている感じがする」
「私もそう思います。この地域なりの事情があるのかと思って言わないようにしてましたけど、やっぱり不自然ですよね」
 セディアランド人は基本的に合理的な気性をしているが、その合理性は時代や環境によって大きく左右される。この村の場合、その合理性はサイモンを独占する方向へ向いている。力を酷使した場合どんな事が起こるのか分からないから、といった所だろう。効率良く自分達だけが富める方法、まさに合理性である。
 その土地の文化や事情、彼らの合理性にまで口を挟む意図は無い。けれど事情を正確に認識し合理的な判断を求められるのが特務監査室である。仮の姿であるルポライターとしての観点から中立な記事を書くとしたら。次に必要な取材対象は自ずと決まってくる。それが正しい分析をするのに必要なものだ。
「よし、釜と鍬の会に何とか接触してみよう」
「やっぱりそうなりますよね。でも、大丈夫ですか? まずこの村の人は快く思わないでしょうし、あっちはあっちで受け入れてくれるか保証がありませんし」
「とにかく、彼らの居場所だけでも突き止められないかな」
「あの言い方だと、多分この村じゃない他の村ですよね。流石に一か八かで探すのは無謀ですし」
「一度、近くまで戻って他の村の情報を集めよう」
 聖都からここへ来る途中には、何度か町や村を通り過ぎた。その中に何かしら手掛かりになるような情報もあるはずである。釜と鍬の会についても、外から見た情報も得られるかも知れない。
「じゃあ、明日にでも移動したいね。ただ、少し唐突かな。変に勘ぐられると、何かしら水をさされかねないし。それにまだサイモンとも話がついていなかった」
「あ、大丈夫ですよ。それなら私に良いアイデアがありますから。サイモンと自然に話せて村からもすぐ離れられる妙案です」
 そうマリオンは得意気な表情を見せる。しかしエリックは何となく不安感が込み上げてきた。マリオンの能力は低い訳ではなく、仕事も出来る方なのでエリックにとっては非常に頼れる後輩ではある。しかし時折挟む私情で自分をからかうような言動をする事があるのだが、まさにその時と同じ表情をしているように見えるのだ。
「……別に信用していない訳じゃないけどさ。念のため先に聞かせてくれるかな?」
「いいですよ? だって本当に自信のあるプランですから」
 意気揚々とマリオンは自分のアイデアをエリックに説明する。そして、寄りによってそんな方法かとエリックは表情をしかめるものの、今はこれ以上の妙案は確かに無く、気は進まないが実利を取って採択せざるを得なかった。