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 その日、エリックとウォレンは先行したルーシーとマリオンに遅れて、ラヴィニア室長の病室へ向かった。昨日から彼女は一般の病室へ移され、容体も非常に安定しているという。それで、相変わらず仕事が暇だという事もありお見舞いへ向かう事にしたのだった。
「あら、いらっしゃい。二人とも変わりないようね」
 ラヴィニア室長の病室は、一般病棟の奥まった所にある個室だった。何となく雰囲気が特別待遇を感じさせる部屋である。
「室長こそ無事で良かったです。撃たれたなんて聞いた時は、本当に心臓が止まるかと思いましたよ」
「心配かけたわね。私もまさかあんな短絡的に来るとは思っていなかったから、油断してしまったわ。それにしても、本当に今回ばかりは運が良かったとしか言いようがないわね」
 ラヴィニア室長がサイドボードへ視線を向ける。そこには、銃弾の跡が生々しい特務監査室のバッジが置かれていた。
「つっても、誤差みたいなもんだろ。銃ってのは撃った時の反動すげえんだぜ。手のひらや肩にドスって来るしよ。こんなの一つでどうにかなるもんじゃねえし」
「その誤差で助かったのよ。私、本当に死ぬか生きるかの瀬戸際だったらしいから」
 実際に銃を撃った経験のあるウォレンだからこそ、銃の威力が途方もない事は良く分かるのだろう。ラヴィニア室長が辛うじて助かったのも本当に運が良かったのと、適切で迅速な医療のおかげである。
「このまま順調に行けば、月末には復帰出来そうなの。それまで、もうしばらくはよろしくお願いね」
「まー大丈夫ですよー。どうせ大抵は暇だしー。それに面倒なことはエリック君がやってくれますからー」
 ラヴィニア室長の髪を梳きながらルーシーが呑気に語る。まだ本当に一般病棟へ移ったばかりで、髪も長く梳いていなかったのだろう。血色や唇の色にも昏睡の跡が見え隠れしている。
「……まあ、いつもの通りですよ。本当に」
「ところで、先日の仕事はどうなったのかしら? 安全委員会から依頼されたそうだけど」
「マテレア村の件は、その本人と直接話をつけて来ました。彼は今もそうですが、今後も目立つ活動はしませんよ。そもそもあまり騒がれたくないそうですから」
「物分かりの良いタイプだったのね」
「ええ。ただ、彼の周囲がちょっと。彼の力を巡ってかなり対立しています。まあその辺りはうちの管轄ではありませんし、事後は国家安全委員会へ引き継いで来ました」
 国家安全委員会は、おそらく何らかの工作をして彼らの対立を強制的に鎮めてしまうだろう。詳しくは知らないが、諍いを起こすのも鎮めるのも彼らは得意としているそうだ。ただ、手段を選ばない辺りが普通の官吏と異なる点である。穏便に済ませてくれるだろうか。直接顔を合わせている事もあり、それが気懸かりだった。救世主とは言え、人心までをも救う事は出来なかったか。そう皮肉めいた事を思う。
「ねえ、ところでエリック君。その救世主っての、力は本物だったの?」
「ああ、はい。実際に怪我人を治していくのを僕もマリオンも見てきました。病気とか内部も治した事があるそうですよ」
「はー、そうなんだ。いっぺん、聖都に招待したかったねー。室長の怪我も治せるだろうし」
 確かに、彼の力だったら室長の生きるか死ぬかの怪我も瞬く間に完治できたかも知れない。医者を初めとする病院スタッフ達にはある程度の口止めが必要になるだろうが、室長が死ぬよりかは遥かにマシである。
 するとその話を聞いていた室長は笑顔で軽く首を振った。
「ふふ、気持ちだけで結構よ。私、あまりそういう力は好きじゃないの。何だか得体が知れなくて、リスクが分からないから。自分の体に触れる事なら尚更ね。それより、きちんとした学問になってる医療の方が信用出来るわ。こっちは根拠がしっかりしているもの」
「えー、でも長期入院って結構キツくないですかあ? 暇だし、お菓子も自由に食べられないし」
「何事も慎重過ぎるという事は無いのよ、特務監査室では」
 ラヴィニア室長もセディアランド人であり、こういう物事の捉え方もセディアランド人ベースである。危うきには近寄らず。安易だが確実な防衛策だ。
「これで、後の問題は犯人ですね。銃撃した実行犯は死亡していますけど、どうして室長を狙ったのか、理由が不明です。たまたまとは思えませんから」
「撃たれた時の事は突然過ぎてほとんど憶えてないのだけど……とにかく、知っている人ではなかったのは確実だわ」
「じゃあ、誰か指示したやつがいるかもって事かよ」
「それって……官吏の中に室長を快く思ってない人間がいるって事ですか? うち、首相直轄の機関なんじゃ」
 信じられないといった顔のマリオン。政府に自分達にとっての獅子身中の虫が居るなんて、俄には信じ難いのだろう。現在の政府に首相の政敵はほぼおらず、数少ない彼らも直轄の組織とは言え特務監査室のような小さな部署にちょっかいを出すほど暇ではないはずなのだ。
「誰かに恨まれてるのか、特務監査室の存在の何かが気に入らないのか。実際にいるのかどうかはさておき、これからはみんなもそういうのが居る前提で気をつけないといけませんね」
 特務監査室を敵視する何者かがいるかも知れない。まだ憶測にしか過ぎないのだが、あらゆる可能性を考慮するのは仕事柄染み付いており、エリックは決して楽観しなかった。今後、自分達の業務を通して何かしら仕掛けて来る事も考えられる。ラヴィニア室長はたまたま助かったが、次もそうとは限らない。
 業務には一層慎重に当たらなければ、誰かが死ぬかも知れない。そうエリックは自らに強く戒めるのだった。