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 オーウェンとラザラスの裁判が始まる。だがすぐに裁判官から和解勧告があり、開廷前に当事者と裁判官を交えた話し合いの場が別室に設けられた。エリック達はオーウェン側の関係者という名目でその場に同席する。
「和解はやぶさかではありませんがね、この条件は承伏しかねますな」
 裁判官から提示された和解の条件について、真っ先に口を開いたのは原告であるラザラスだった。
「賠償金の受け取りはともかく、原告は被告の過失を認めるというのは納得できませんな。これでは事実と異なるではありませんか。裁判所は、まさか虚偽の事実を認めろとでも言うのですかな」
「被告の主張として本件はオーウェン氏の過失によるものとありますが、故意に行ったというのはあなたの主張以外に物証や証言がありません。現時点でその事実関係は明確にはなっていないと判断します。この段階での和解案として、賠償金を受け取る代わりにオーウェン氏の主張を認める、これは平等な案だと思いますが。何より金額を考えても非常に現実的です」
「金額の問題ではない! 正義の問題だ!」
「ここは正義を問う場ではありませんよ」
 裁判官の説明に対してラザラスは、実に強い語気で時には演技がかったような素振りも交えて熱弁する。如何に自分の主張が正しいか、そればかりを繰り返し主張し、裁判官に対してすら批判的な言葉を浴びせるのも躊躇わない。しかしそんなラザラスについて、裁判官もまた慣れた素振りでいるのは仕事柄なのだろう。
「それでは、あなたは一体どのような決着を望んでいるのですか?」
「まず、彼が私の時計を壊した行為について故意であったと認定して貰いたい。その上で賠償請求を認めて貰えば十分である」
「故意であったと証明出来ればそのようにしましょう。弁護士に準備する時間も与えました。しかしそれは出来なかった。これはつまり、故意ではなかったのでは?」
「それは詭弁だ! 故意が証明出来ていないだけで、過失が証明された訳ではない!」
 しかし実際のところ、バーでの出来事を目撃した人間は数名いる。バーテンダーとスタッフ、そして客達だ。彼らは口を揃えてオーウェンは時計に触れていないと証言している。実際彼らは全てオーウェンとは知り合いであり、口裏を合わせているのかも知れない。けれど、ここまで証言が一致してしまうとラザラスの主張が誤りだと司法も判断せざるを得ないだろう。そこを考慮しての和解案なのだから、裁判官の言う通り、非常に平等な内容である。
「もはや話にならない! この件は法廷で決着をつけさせて貰う! 和解案など、私は断じて受け入れないからそのつもりでいるように!」
 ラザラスはオーウェンを指差してそう宣言する。オーウェンはうつむき加減に、ただ一言返事をするのみだった。
「和解は無理でしょうか。ただ、開廷する前に申し上げておきますと、このまま裁判を行ったところであなたの方は証拠不十分、一方オーウェン氏の方は数名の証言者がいるため、全面的にオーウェン氏の主張が認められる事になりますが、それでよろしいのですか?」
「その時は控訴させて貰う! 幾ら裁判が長引こうが、私は一向に構わない!」
 以前に担当弁護士から聞いたとおり、明らかに復讐目的で裁判を長引かせる構えのようである。ただそれを、こういった場で堂々と宣言するとは思っておらず、エリックはおろか裁判官ですらやや困惑した表情を浮かべた。どうにもラザラスという男は、自己顕示欲ばかりであまり賢くはないようである。
「法廷は私怨を晴らす場所でもありませんよ」
「私は何ら法に背いてはいませんよ。法に許された事しかやっていない。私の時計を壊したあの者とは違って、私は違法な事など何一つしていませんし、これからもしないでしょう」
「なるほど……意思は堅いようですね」
 開き直りにも見えるラザラスに半ば呆れた様子の裁判官。徒労に終わりそうなこれからの裁判を茶盤にすら思っているだろう。しかし茶盤で済まないのはオーウェンである。裁判費用は敗訴側の負担になるとして、弁護士費用は実費である。また出廷のために仕事へも支障が出るだろう。職場ではあらぬ噂を立てられるかも知れない。とにかく公私においての負担が大きいのだ。
「もっとも、被告人、あなたがきちんと自らの罪と向き合って謝罪し、自ら進んで誠意を形にするのであれば、取り下げてやっても構わないのですよ」
 そう得意気な表情で、まるで挑発するような仕草をするラザラス。それは裁判とは別に私的な謝罪を要求しているのだが、訴えた本人が言うべき事ではないとエリックにも分かる言い草である。あまり自分を客観視できないのだろう。
「……原告は言葉を慎むように」
「おっと、これは失礼した」
 にやにやと見下すかのような表情。それでもオーウェンはうつむき加減に沈黙を守っていた。それが賢明であるとエリックにも分かる。こんな挑発に乗った所で、オーウェンの立場が一層悪くなるだけなのだから。
 しかし、これほどこじれた状況に、一体どこに特務監査室の入る余地があるのだろうか。
 エリックは自分の場違いさが不安でならなくなってきた。