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「え? 何よ、みんなして」
 登庁してきたルーシーを、四人が一斉に見つめる。そのあまりに露骨な注目ぶりに流石のルーシーも驚きを隠せなかった。
「いえ、ちょっと。ところでおかしな事を訊きますけど。ルーシーさん、先週はどちらへ?」
「先週? シャルダーカ国に旅行に行くって言ったじゃない。最近は政治対立が落ち着いて来たから、観光するのにはぴったりって」
「え、セディアランドにすらいなかったんですか? どうしてまた急にシャルダーカ国になんて。幾ら何でも遠過ぎませんか?」
「なんでって、そもそも勧めてくれたのエリック君じゃない。仕事も空くから、行くなら今が良いって」
 そう言われたエリックは、先週以前の自分記憶を探り始める。しかし、ルーシーへ旅行や旅行先のシャルダーカ国を勧めた記憶も一切なかった。シャルダーカ国のような遠い国の政情など、そもそもどうなっているかを全く知らないのだ。
「じゃああの休暇申請はルーシーさんが?」
「私のサインだけね。後はやっとくってエリック君が言ってたじゃん」
「僕が、ですか? ルーシーさんの休暇申請を?」
「そう。室長補佐権限でどうにでもなるって言うから」
 そのセリフもエリックにとって憶えが無いものだ。そもそも自分が、手続き関係をそんないい加減に処理すること自体が有り得ないのだ。
「なんか会話が噛み合ってねーな。お前、先週はマジで休んでたのかよ?」
「有給残ってるしー。怒られる筋合いなんてありませんー」
「いや、そうじゃなくてよ……。先週、お前普通に来てたぞ? しかも俺より朝早くさ」
「はい? 私が?」
 怪訝な表情でウォレンを見返すルーシー。続いて周囲を見るが誰もが真剣な表情をしており、冗談で言っている訳ではないとようやく察するや否や困惑の表情を浮かべる。ルーシーがこれほど困惑する顔を見せるのは、おそらく初めての事だろう。それだけ今の状況が不自然なのだ。
「あの……もしかして、先週のルーシーさんは偽者だったとか?」
 不意にそんな事を口走ったマリオン。半信半疑ではあったが、そう考えるのが自然だと言わんばかりだ。
「偽者……確かに、仕事ぶりが真面目で不自然だとは思ったけれど」
 簡単に偽者と言うが、本来そんなものを用意するのは途方もない労力が必要である。ただ背格好や顔立ちが似ているだけでなく、話し方や受け答え、人間関係の把握など、非常に多くの事を習得しなければいけない。そして、単なる一官吏でしかないルーシーの偽者を用意する事に多大な労力を払うメリットなど考えられないのだ。
 話の食い違いが混乱を生む中、おもむろにラヴィニア室長が話し始める。
「もしかして、ルーシーちゃんのドッペルゲンガーだったのかもね」
 また聞き慣れない妙な単語が出て来た。そう怪訝な表情をするエリックとマリオン、ウォレンは単純にピンと来ていない顔をし、ルーシーはなるほどと納得した様子だった。
「ドッペルゲンガーというのは、その人のそっくりさんだと思ってくれればいいわ。自己像幻視、二重存在、複体、色々呼び方もあるのだけれど、特徴も色々なの。自分の意思とは別に勝手に現れる所は共通しているのだけれど、突然現れては消えるとか、誰とも会話しないとか、自分のドッペルゲンガーを見ると死ぬとか、代表的な特徴はそんな所かしら。精神疾患の一種とも言われるけれど、今回みたいに第三者に目撃される例もあるから、何とも言えないところね」
「その、ドッペルゲンガーでしたっけ、ルーシーさんの分身が登庁してきて仕事をしていたという事でしょうか?」
「そういう事ね。おそらくだけど、本当に実在するそっくりさんよりは可能性があるでしょう?」
 そう言われた所で、エリックにしてみればその可能性はどちらも同じようなものである。ひとまずは、先週のルーシーはそういった普通ではないオカルト的な存在だったと解釈する他ない。
「あれ、ちょっと待って。じゃあ私が休暇申請出したエリック君も、ドッペルゲンガーだったの?」
 そうルーシーに指摘され、エリックはルーシーの主張を思い出す。エリックはルーシーの休暇申請を受け取った憶えもなければ、旅行先のアドバイスもいい加減な申請書類の処理もした憶えが無い。ルーシーが嘘をついている訳ではないとしたら、そういう可能性も出て来るだろう。
 ほぼ同時にドッペルゲンガーとやらが現れるなんて、一体何の偶然だろうか。頭の痛くなる解析にエリックが表情を歪めていると、
「少し職場環境の改善を考えた方が良いかしら。一説によると、ストレスがドッペルゲンガーを産む理由の一つだそうだから」
「あー、確かに。私、ストレス解消したくて旅行行ってきたのよねー」
 一体普段の振る舞いからのどこにストレスの溜まる要因があると言うのか。エリックはその言葉を寸出の所で飲み込んだ。
「分身って言いましたけど。何から何まで本人そっくりという訳じゃないんですね。あっちのルーシーさんはやけに勤勉でしたから」
「ドッペルゲンガーは第三者が作り出す場合があるそうだけど、その虚像は往々にして、その人がそうあればいいという願望が出ている事が多いそうよ。つまりは、そういう事ね」
 ラヴィニア室長の言葉を受け、自分の発言が意味する事に気付き、そっとルーシーを見る。するとルーシーは明らかに不機嫌な表情を浮かべていた。普段そんな事を思っていたのかと非難めいている表情だ。
 けれど、エリックもルーシーの自分に対する認識には文句の一つも言いたかった。旅行先のアドバイスはさておき、書類仕事を自分の都合に合わせて適当にやってくれるような人間になって欲しいと、そう願っているという事になるのだから。